第976話 切り札

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 グルグリウスこいつは多分、話の通じる奴だ。


 クレーエはそうにらんでいた。この中でグルグリウスに敵う人間はまずいない。一番有力そうだったペイトウィンは一瞬で叩き潰され、今や虫の息となってグルグリウスの手の内にある。見上げるほどの岩の巨体を打ち砕くには、最低でも大砲くらい持ってこなければならないだろうが、そんなものはここには無い。ペイトウィンを叩き潰した一撃を見ても、盗賊二人を尻尾の一振りで掃ってしまった先ほどの一撃を見ても、その動きは決して鈍重ではない。ゴーレムの脚を吹き飛ばしたように投擲爆弾グレネードを投げつけても、大人しく爆発に巻き込まれてはくれないだろうし、仮に爆発に巻き込まれてもあの岩石でできてる身体だ……泥でできたマッド・ゴーレムのようにダメージを負ってはくれそうにない。

 要するにクレーエたちにはもう手も足も出ないということだ。無力な盗賊三人で一匹だけでも絶対に勝てないであろう巨大な悪魔に、今マッド・ゴーレム六体が加わろうとしている。あの後もずっと歩き続けていたマッド・ゴーレムたちは、今や悪魔グルグリウスの両脇に整列し、クレーエたちを取り囲もうとすらしている。


 絶体絶命の大ピンチ……そんな状況に追い込まれているクレーエにグルグリウスはわざわざ話しかけてきた。それも獲物を揶揄からかったりもてあそんだりするという感じでもなくだ。ということは、交渉の余地があるということではないのか?


 実際、グルグリウスはペイトウィンさえ連れて帰れればそれでいいと言っている。盗賊クレーエたちのことは「邪魔さえしなければそれでいい」とハッキリ言っていた。そのうえでこちらの都合を訊いてきている。ペイトウィンを守らなくていいのか?吹き飛ばされてしまった盗賊たちの仇を執らなくていいのか?とだ。つまりグルグリウスはクレーエたちに邪魔をする気があるのかと確認をとっているのだ。


 クレーエとしては邪魔する気なんてあるわけがない。ペイトウィンは正直言って扱いに困っていたし、むしろ『勇者団』ブレーブス丸ごといなくなってもらいたいくらいだ。吹き飛ばされた二人の盗賊も、仇をとってやらねばならないような義理はない。だいたいクレーエの命令を無視して勝手に銃をぶっ放すような連中なんか、とっとと死んでくれた方が良いくらいだ。それに、邪魔さえしなければ見逃してもらえるのが分かっているのに、絶対に勝てるはずもない相手の邪魔をなんでしなければならないのか!?


 だからクレーエは自分たちに逆らう意思がないことを明確に告げた。正直に話した。邪魔をする気はない、だから俺たちを放っておいてくれ。とっととペイトウィンを連れてどこかへ行ってくれ……両者の利害は完全に一致したはずだ。だというのに、グルグリウスから感じられるクレーエたちに対する感情は何故か急に冷たいものになりつつある。


 おいおい……俺ぁ何かしくじったか!?

 邪魔しなけりゃ見逃してくれるんじゃねえのかよ?


 自分を見下ろしたまま急に黙り込んだグルグリウスを見上げ、クレーエは頬を引きつらせ、ゴクリと喉を鳴らした。ゴーレムたちがクレーエを取り囲み始める。


「ひ、ひぃぃぃ!?」


 状況に気づいたエンテが悲鳴を上げて後ろからクレーエの脚にしがみついた。


 エンテコイツ、レーマ軍相手の時はちったぁ使えそうだったのに……


 エンテに腹を立てつつもそれをあえて押し殺し、自分たちを完全に取り囲みつつあるゴーレムたちを見回したクレーエはグルグリウスに向き直った。


「何だ、邪魔さえしなけりゃそれでいいんじゃなかったのか!?」


 見上げたグルグリウスの顔はさっきより遠くにあった。グルグリウスが身体を起こしたせいだ。おそらく、クレーエたちに対する興味を失ったのだろう。それを裏付けるように冷たい声が頭上から降り注ぐ。


「ええ、そのつもりだったのですが、そういえば口封じをしなければならないことを思い出しましてね。」


 何だよ、結局俺たちを殺す気になっちまったってのか……


 クレーエの額に冷たい汗が流れた。その間もクレーエたちを取り囲んでいたゴーレムたちが、今度は包囲網を狭めるべくクレーエたちへ迫り始める。クレーエはグルグリウスを見上げたままヘッと小さく笑うと、手に握ったワンドを振りかざした。


『荊の桎梏』ソーン・バインド!」


「何!?」


 驚いたグルグリウスの巨体に、地面から飛び出した魔法の荊が襲い掛かる。


『荊の桎梏』ソーン・バインド

 『荊の桎梏』ソーン・バインド

 『荊の桎梏』ソーン・バインド

 『荊の桎梏』ソーン・バインド!」


 クレーエは呪文を叫びながら杖を周囲のゴーレムたちに向かって順に繰り出し始めた。そのたびに地面から魔法の荊が飛び出し、ゴーレムたちを次々と絡み取り始める。


『荊の桎梏』ソーン・バインド

 『荊の桎梏』ソーン・バインド!」


 気づけばクレーエたちを取り囲むマッド・ゴーレムたちも一人残らず魔法の荊に捕えられてしまっていた。エンテもレルヒェも信じられないといった様子で言葉を無くし、クレーエの脚にしがみついたまま動けなくなったゴーレムたちを見ていた。

 それはクレーエが《森の精霊ドライアド》から教わり、使えるようにしてもらった地属性の魔法だった。トチ狂って何をするか分からないエンテを押さえつけるために教わった魔法で、『癒しの女神の杖』ワンド・オブ・パナケイアを通じて《森の精霊》から分けてもらった魔力で発動している。


「フ、フフッ……」


 初めての魔法が予想外にうまく成功した自分にクレーエは自分で驚き、思わず笑いをこぼしてしまう。が、さして間を置かずグルグリウスの「ヴフフッ」と思わず吹き出すような笑い声も頭上から降ってきた。


 さあ今のうちに逃げるぜ!!と、仲間たちに呼びかけるつもりだったクレーエは思わずグルグリウスを見上げる。魔法の荊に縛り上げられていた岩の悪魔は不敵な笑みを浮かべると、「フンッ」という掛け声とともにクレーエたちが見上げる目の前でブチブチンッと魔法の荊を引きちぎって見せた。


「ヴァラヴァラヴァラヴァラ!!」


 唖然とするクレーエたちとは対照的にグルグリウスは実に愉快そうに哄笑こうしょうする。


「いや見事見事!

 まさかたかがヒトの身で魔法を使うとは!!」


「ヘッ、俺も驚いてるところさ。」


 答えたクレーエのそれは精一杯の虚勢だった。彼にとってその魔法は最後の切り札だったのである。それが全く通用しなかった。ゴーレムたちは捕えられたようだが、グルグリウスの動きを止められないのであればクレーエたちには逃げようがない。


「ヴフフフフ……謙遜せずともよいでしょう。

 だが、魔法の荊は生身には通用するが、吾輩わがはいには通用しません。

 『荊の桎梏』ソーン・バインドは魔法の荊が持つ棘が刺さらなければ効果半減。ですが魔法の荊の棘は吾輩の岩石の肌には立ちませんのでね。」


 グルグリウスは再びクレーエたちに顔を近づけると余裕たっぷりにそう説明し、岩石でできた自分の腕を見せつけ笑った。


「そして、それはゴーレムたちとて同じこと。」


 その一言と共に、動きを止めていたゴーレムたちが一瞬身体を震わせたかと思うと、先ほどグルグリウスがやったのと同じように魔法の荊を引きちぎって見せた。

 泥でできたゴーレムの身体に魔法の荊は突き刺さったように見えた。本来、突き刺さった棘は傷口から流れ出る血を通して相手の魔力を奪う筈だったが、ゴーレムの身体に血は流れていない。魔法の棘は永遠に肉に届かない分厚い皮膚に突き刺さったようなもので、棘はただゴーレムの身体に食い込みはしたもののそれ以上の何も成すことなく、あとはゴーレムの強引な力に引きちぎられただけで終わってしまったのだった。


 万事休す……もはや悪魔とゴーレムたちから逃れる術は永遠に失われた。エンテとレルヒェが全ての希望を失い、再び絶望に叩き落とされようとしていた時、しかしクレーエは一人ほくそ笑む。


「?」


 グルグリウスが予想外にもクレーエの見せた余裕をいぶかしむと、森の奥から何やらズルズルと重いものを引きずるような音が響きはじめる。


「何事ですか?」


 森へ目をやるグルグリウスが疑問を口にすると、そのすぐ下でクレーエは同じく森を振り返って言った。


「ハハ、どうやらようやく、援軍が到着したみたいだぜ?」

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