第977話 ドライアドvsグルグリウス

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 重い何かを引きずるような音は次第に範囲を広げ、まるで森全体が鳴動めいどうしているかのようなドロドロという何とも言えない地鳴りに変わり、クレーエたちを、そしてグルグリウスに何か巨大な者の出現を予感させた。

 もちろん、《森の精霊ドライアド》から念話で聞かされていたクレーエにはその正体は分っている。そして、グルグリウスもまたそれが何なのかを、地属性の最上位妖精たるグレーター・ガーゴイルの知覚によって察知していた。


「な、何だ?」

「地震!?」


 一昨年の火山災害時に頻発した地震を思わせる気配に、レルヒェとエンテは音の聞こえる北の方を見回しながら震えあがる。しかし、それは地震などではない。その正体はすぐに、彼らの目に映った。


「も、森が……動いてる!?」


 レルヒェがそうつぶやくのと、エンテがその正体に気づくのは同時だった。


「ひ、ひぁあああああぁっ!?」


 《樹の精霊トレント》の群れに悲鳴を上げたエンテは飛び上がり、そっちはグルグリウスがいるというのにその存在も忘れて南へ逃げようとする。が、既に腰が抜けているのか立ち上がることも出来ず、四つん這いになって枯れ葉と腐葉土に塗れながら転がるように地面を掻き進む。


『荊の桎梏』ソーン・バインド!」


 クレーエはうんざりした様子で呪文を唱え、逃げようとするエンテを魔法のいばらで拘束する。エンテは魔法の荊を避けることも防ぐことも出来ず、あえなくその場でがんじがらめに捕えられ身動きが取れなくなってしまった。

 場の流れからグルグリウスとゴーレムに対して使ってしまった魔法だったが、クレーエが《森の精霊》から授けられたそれはここへ来てようやく元々の目的通りエンテを押さえつける役割を果たしたのだった。


「ひ、いやああああヤメっ、やめてくれぇ!!

 助けてくれぇえええ!!」


「うるせぇぞエンテ!

 大人しくしてろ!!」


 クレーエは𠮟りつけるが恐慌状態パニックになったエンテに聞き分けるだけの理性はない。


「ひぎぃっ!ふっ、ふんんっ!

 ころっ、殺される……死ぬっ……

 んっ、は、あ……あぁぁ………」


 クレーエの命令を無視して『いばら磔刑たっけい』から逃れようと暴れ続けたエンテは荊の棘に肌を破られ、全身にできた傷口から魔力を奪われてあっという間に大人しくなった。魔力欠乏に陥って失神したのだ。


「へんっ……『解除』ディスペル


 エンテが大人しくなったのを見計らってクレーエは魔法を解除する。魔法の荊はほのかに光ったかと思うと次の瞬間、小さな光の粒子に変化して拡散し、消滅した。


「あ、あ、ク、クレーエの旦那!

 こ、コイツラぁ……」


 エンテが大人しくなった頃、レルヒェが迫りくる《樹の精霊》の群れに目を奪われたままクレーエに救いを求めて来た。思い返せば前回 《森の精霊》の結界で初めて《樹の精霊》に出くわした時、レルヒェは爆睡していたのだ。レルヒェは《樹の精霊》を初めて目の当たりにしたことになる。

 それでもレルヒェがエンテのように取り乱さずに済んでいるのは、先ほどクレーエが「援軍が到着した」と言ったからだろう。


「安心しろレルヒェ、そいつらが《樹の精霊トレント》様だ。

 俺たちの味方、《森の精霊ドライアド》様の眷属よ。」


「と、《樹の精霊トレント》!?

 《森の精霊ドライアド》様って、旦那……旦那!?」


 初めて目の当たりにする精霊エレメンタルの実物、しかもそれを「味方」と言い切るクレーエの様子に理解が追い付かないレルヒェだったが、より詳しい話を求めようとクレーエを振り返った彼はクレーエとグルグリウスの間に見たことも無い少女が立っているのを見た。


「シッ、《森の精霊ドライアド》様だ。」


 低く鋭いクレーエの言葉にレルヒェは少女の後ろ姿に目を奪われたままゴクリと固唾を飲みこむ。


『待たせたわね。』


「!?」


 少女は振り返りもせずにそう言った。その声は耳には聞こえないが、頭の中に直接響いて来る。レルヒェにとって初めての念話だった。

 薄く緑色に輝く半透明の少女は小さな身体で仁王立ちになり、自分よりずっと背の高いグルグリウスを無理やり見下ろそうとするかのように腕組みして胸を張った。


『それで、グルグリウスアナタはどういうつもりなのかしら?

 私の友達に意地悪してくれちゃったみたいだけど。』


 その様子はそのものだが、クレーエからするとこれほど力強く頼れる存在は他にいない。なにせ『勇者団』ブレーブスを圧倒し、一方的に押さえつけた実力者なのだ。

 しかも今回は最初から《樹の精霊》の大軍を引きつれている。クレーエとレルヒェの背後には気づけば《樹の精霊》がズラリと並び、まるで森そのものが戦列を形作っているかのようであった。


「おおぉ、貴女様がブルグトアドルフの《森の精霊ドライアド》様ですね?

 我が主、《地の精霊アース・エレメンタル》様より伺っております。」


 いよいよグルグリウスと《森の精霊》軍団が対決するのか!? と思いきや、グルグリウスは相好を崩し、ズシンッと音を立てて片膝をつくと右手を自らの胸に添え、うやうやしくこうべを垂れた。


 おおっ、さすが《森の精霊ドライアド》様だ!

 こんな悪魔ディーモンにも御威光が利くみてぇだぜ!?


 予想以上の展開に思わずクレーエの頬が緩む。それに比べ当の《森の精霊》は少しばかり困惑の表情いろを浮かべていた。


『「我が主 《地の精霊アース・エレメンタル》様」?

 アナタ何なの?

 確かに《地の精霊アース・エレメンタル》様の魔力をアナタから感じるけど、私はアナタなんか知らないわ。』


「無理もございません。

 グルグリウスと名乗らせていただいております吾輩わがはいは今宵、生を受けたばかりのインプ。」


『インプ?』


 頭を垂れたまま自己紹介をはじめたグルグリウスに《森の精霊》は姿勢は変えずに顔をしかめた。生まれたばかりのブルグトアドルフの森の精霊たる《森の精霊》はインプという存在を知らなかったのだ。

 だがグルグリウスはそのまま自己紹介を続ける。


「そして《地の精霊アース・エレメンタル》様より魔力を与えられ、グレーター・ガーゴイルへと進化を遂げ、《地の精霊アース・エレメンタル》様の眷属へ加えていただいた者。

 ゆえに《森の精霊ドライアド》様が御存知の筈はありません。」


 そこまで言うとグルグリウスは頭を上げ、いかつくおどろおどろし気な悪魔顔に気色の悪い笑みを浮かべた。


「我らは同じ《地の精霊アース・エレメンタル》様より魔力をいただいた眷属同士、《森の精霊ドライアド》様は吾輩わがはいにとっていわば義姉上あねうえ吾輩わがはいは《森の精霊ドライアド》様の義弟おとうとにございます。」


義弟おとうと!!』


 グルグリウスの一言に目を丸め身体を伸びあがらせた《森の精霊》の声は、やけに高く響くように聞こえた。

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