第978話 姉弟喧嘩

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 魔法のことなんかクレーエには分からない。魔力のことも、精霊エレメンタルのこともわからない。だが、どうやら《森の精霊ドライアド》の実力はクレーエの期待以上でグルグリウスにも優っている様子ではある。

 グルグリウスが従えているゴーレムは六体。だが《森の精霊》の《樹の精霊トレント》はザッと見える限りで二十体以上はいそうだし、その一体一体もグルグリウスのゴーレムなんかよりずっと大きい。おまけに当のグルグリウスも《森の精霊》にひざまずいてを使い始める始末だ。が、同時にクレーエの胸中には一抹の不安が芽生え始めていた。


 義姉上あねうえ!?義弟おとうと???


 一昨日、クレーエはエイーと共に《森の精霊》の供物くもつにされそうになった。その難を逃れたのはクレーエのその場しのぎのだった。思い出すのも恥ずかしくなるほど安っぽい言葉を口から出まかせで並べたて、《森の精霊》に友達として取り入ったのだ。

 今、それと同じようなことが起きようとしている気がしてならない。


 ひょっとしてこの《森の精霊ドライアド》様……だまされやすいんじゃ?


 自分で騙しておきながらまんまと口車に乗せられた《森の精霊》に不審を抱くクレーエも随分と身勝手ではあるが、今彼らの運命は《森の精霊》に頼り切っている以上彼女のオツムがようでは困る。クレーエたちの安全のためには、何としてもグルグリウスを追い払ってもらわなければならないのだ。

 しかしクレーエの希望に反して《森の精霊》は今まさにグルグリウスの口車に乗せられようとしていた。


「そうです義姉上あねうえ

 《地の精霊アース・エレメンタル》様よりお聞きしていた《森の精霊ドライアド》が義姉上あねうえのような精霊エレメンタルだったとは!!

 このグルグリウス、義弟おとうととして大変うれしく存じ上げます。」


『ふ~ん♪』


 グルグリウスのおべっかに《森の精霊》はクルリと身体を捻って横を向き、片手を腰にもう片手を自らの胸に当てた。その表情を言葉に変換するなら「まんざらでもない」になるだろうか、クレーエの目にはかなり気取った様子に見える。


義弟おとうとが出来たのは素直にうれしいわ。』


 おいおい?

 まさかグルグリウスそんな奴の言うことを……


『でも』


 《森の精霊》は再びクルリとグルグリウスの方へ向き直り、両手を腰に当てて前のめりになる。


『森で暴れたのはめられたものじゃないわね?

 火遊びなんて許せないわ!』


 出来の悪い弟の悪戯いたずらを叱る姉を気取っているのだろうか? グルグリウスは困った様な愛想笑いを浮かべてわずかに身を仰け反らせる。


「それは吾輩わがはいではありませんよ義姉上あねうえ

 火を点けたのはペイトウィンこやつ吾輩わがはいはその火を消していた方です。」


 そう言うとズタボロになって気を失っているペイトウィンを突き出し、指さした。グルグリウスの言ったことは事実であったし、そのことは《森の精霊》自身も知っている。《森の精霊》は森のあらゆる生命体の集合意識のような存在だ。自分の領域テリトリー内に存在するあらゆる植物や生物が見聞きしたことなら全て知覚することができている。ペイトウィンが暴れたのは《森の精霊》の領域の外でのことではあったが、領域の外ではあっても近い場所での出来事ならある程度知ることぐらいはできた。エイーが追われていることに気づけたのもそのためなのだ。

 しかしそれでも《森の精霊》は納得がいかない様子で腕組みをする。


グルグリウスアナタペイトウィンソイツを追い掛け回すから、ペイトウィンソイツが抵抗して暴れたんでしょ!?

 グルグリウスアナタも無関係じゃないはずだわ!

 火を消してくれたのは助かったけどね。』


ペイトウィンコイツを捕まえるのは《地の精霊アース・エレメンタル》様の御命令です。」


 しつこい義姉ドライアド義弟グルグリウスはあっさりと匙を投げ、下駄をアース・エレメンタルに投げてしまう。しかし、《地の精霊》を出されると《森の精霊》は弱いらしく驚いたように目を丸め、それから起こったように頬を膨らませ、何か内から吹き出しそうになるのを堪えるようにグルグリウスを睨み上げた。


『あ、グルグリウスアナタならペイトウィンソイツが暴れないように捕まえるくらいできたでしょ!?』


 それを言われると弱い。グルグリウスの実力なら確かにそれくらい簡単に出来たはずだった。それをせず、わざわざペイトウィンの前に姿を現し、自らの存在と立場と役目を教えてやったうえに、あえて抵抗させて力の差を分からせてやろうとしたのはグルグリウスの自己満足以外の何物でもないのだ。その結果、無関係な森の樹々が焼かれ、少なくない生命が失われたのは言い訳の出来ない事実である。


「申し訳ありません義姉上あねうえ。」


 グルグリウスは今度こそ申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様より戴いた力を、ペイトウィンこやつに見せつけてやりたかったのです。」


 《森の精霊》は口を尖らせ、ジトッとした目でグルグリウスを睨みつづける。そら見なさい……言葉にはしないがその表情はそう言っているようだ。


「でも義姉上あねうえ領域テリトリーの外でしたし、ペイトウィンこやつが点けた火はすぐに消しました。

 なるべく火を使わせないようにもしました。

 それに義姉上あねうえ領域テリトリーに入る前に捕まえたではありませんか!?」


 信じられないことだがそのおぞましい外見に似合わずグルグリウスは今にも泣きだしそうなを見せている。さすがに追い詰めすぎたとでも思ったのか《森の精霊》の険も鳴りをひそめた。

 正直言うと《森の精霊》としてもグルグリウスの言い分はわからなくもない。膨大な魔力を貰って気持ちよくなって調子に乗るのは《森の精霊》もつい一昨日犯してしまった過ちだ。強大な力を与えられ、今までできなかったことが出来るようになって試そうとしない者など、そうはいないだろう。

 《森の精霊》もつい自分の力を試したくなり、やりすぎて捕まえなくていいと言われた捕虜を捕まえ、処分に困った挙句あげくに《地の精霊》に預かってもらっていたのだ。まあ、「献上」という形にはしてもらったが……それを思うとグルグリウスのやったことをあまり強くは責められない。


『ふーん……まあ、いいわ。』


 沈んでいたグルグリウスの表情がわずかに明るくなり、その期待の眼差しが《森の精霊》へと注がれる。


『森を荒らしたことは勘弁してあげる。

 もう二度としないことね。』


義姉上あねうえ!!」


 どうやら許してもらえたらしいことにグルグリウスは喜びを露わにした。それがうれしかったのか《森の精霊》の表情もわずかに緩むが、それを隠すかのように《森の精霊》はスッと身体を横に向け背後のクレーエたちを指し示す。


『問題は、私のの方よ。

 グルグリウスアナタ、彼らをどうするつもり?』

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