旅程の調整

第673話 夜明けの宿駅の騒動

統一歴九十九年五月八日、早朝 - ライムント街道第三中継基地/アルビオンニウム



 昨夜、再び戦禍に見舞われたブルグトアドルフは静かな朝を迎えていた。

 東西を山岳に挟まれたライムント地方は雨はおろか曇ることすらあまりない。そして夏は暑くなりやすく、冬はかなり冷え込む盆地特有の気候だ。そして谷合を流れる川を中心に、朝方は濃密な霧が発生しやすい。

 今朝もシュバルツァー川の流域やブルグトアドルフの街は朝靄あさもやに包まれていたが、その朝靄も第三中継基地スタティオ・テルティアとその向かいの宿駅マンシオーがある丘の上までは届いていなかった。


 宿駅からは幾筋もの炊事のための煙が立ち昇り、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの将兵と昨夜収容したブルグトアドルフの住民たちの朝食の準備が進められるている。同時に一部の住民たちは宿駅中央の広場に集まり始めていた。街へ戻る準備をしているのである。


 昨夜のブルグトアドルフで起きた事件は、それを少し離れたところから目の当たりにした住民たちに様々な影響を与えた。自分たちの街で再び戦闘が行われ、あまつさえ火までつけられた。自分たちはそれをすべもなく見つめることしかできず、守ってくれるはずの軍隊は何もしてくれなかった。人々が絶望を味わうには十分すぎる夜だったと言って良い。

 が、昨夜は同時に悪夢の終わりを告げる夜でもあった。アロイス・キュッテル率いるアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアが街の反対側‥‥‥南側から駆け付けてブルグトアドルフの街を強襲し、街で暴れていた盗賊たちを一掃したのである。

 おそらく百人ほど居たであろうと思われる盗賊たちはブルグトアドルフの街からの子を散らすように逃げ出し、街の外に広がる農地で次々と捕らえられた。生きたまま捕らえられた盗賊の数は六十七人に達し、死亡した盗賊も含めれば少なく見積もっても全体の三分の二以上にはなるだろうと推測されている。


 盗賊団は壊滅した。これでもうブルグトアドルフの街は安全だ‥‥‥


 そう胸を撫でおろした住民の数は決して少なくは無かった。アロイス自身がまだ油断はできないと警戒を呼び掛けたことで住民たちも楽観論を引っ込めざるを得なかったが、しかしせっかく取り戻せた自分たちの街を簡単にあきらめることができるわけでもない。

 住民たちの一部は街へ帰ることを熱望し、アロイスに詰め寄った。そして、アロイスはやむなく翌日である今日、一時的に家へ帰ることを許可することとなったのである。


 帰ってよいのは一家につき代表者一人、成人男性のみ‥‥‥軍の警護の都合上、必ず全員で一緒に移動し、街に居て良いのは一時間ほどで、必ず全員一緒に宿駅へ戻って来る。そして途中、軍の指示には必ず従う事‥‥‥それがアロイスの認めた条件だった。

 それを受け、住民たちは朝食もまだだというのに早くも集まり出している。これはアロイスが住民たちが帰る時間を告げていなかったためであった。人間の朝食の時間はまだまだでも、家畜たちにとっては朝食の時間などとっくに過ぎている。それどころか家畜たちはここ数日、まったく餌を与えられていないのだ。その家畜たちを想えば一刻でも早く家へ帰って家畜たちの様子を確認したい、世話してやりたいと思うのも当然であろう。住民たちは居ても立っても居られなかったのである。


 その、広場に集まりはじめていた住民たちの間で今、ちょっとした騒ぎが起き始めていた。家へ帰ろうと集まり始めていた住民たちに、一人の女性が必死に説得を試みはじめたのである。


「ねえ、ホントに考え直してちょうだい。

 街は、街は危ないのよ。行ってはいけないわ。」


 カサンドラ‥‥‥最初の盗賊の襲撃があった夜、いち早く気づいて中継基地スタティオへ駆けつけ、街の危急を通報したランツクネヒト族の女である。その彼女は街へ戻ろうとする男たちを引き留めようと、必死に訴えかけていた。

 しかし、男たちもカサンドラの言う事を聞いて街へ戻るのを諦めるわけにはいかない。彼らには彼らで帰るべき理由があるのだ。同じ町の住民であり、気心も知れた隣人であるカサンドラの言う事となると無下にも出来ないが、かといってその頼みを一から十まで聞いてやるわけにはいかない。男たちも最初のうちはカサンドラが盗賊たちへの恐怖で気持ちが参っているのだろうと好意的に解釈し、カサンドラを慰めていた。


「大丈夫だよカサンドラ。

 盗賊どもはとっくに追っ払われっちまったんだ。」

「そうさ、それに軍隊が守ってくれる。

 何も心配いらない。」

「それよりも家畜どもの面倒をみてやらにゃならん。」

「ああ、きっと腹を空かせてるぞ。」

「冬はもうすぐそこまで来てんだ。

 今のうちにたっぷりと肥えさせてやらにゃあ‥‥‥」

「んだんだ、ライムントの冬は家畜たちにとっても楽じゃねぇ。」

「それに牛の乳だって毎日絞ってやらにゃ、乳が酸っぱくなっちまうよ。」


 だがカサンドラは諦めない。今にも泣き出しそうな顔をし、一生懸命訴え続ける。男たちの中には「いい加減にしてくれ」とばかりにさじを投げ始める者も出始めていた。

 騒ぎを聞きつけ、広場には次第に家に帰る予定ではない者たちまで集まり始め、次第に人垣が出来つつある中、カサンドラの訴えは続く。


「盗賊なんか関係ないの!軍隊だって危ないわ。

 お願いよ。家畜なんかより、大事なものがあるでしょ!?」


 カサンドラの様子は決してイタズラや面白半分で言っているようなものではなく、本気で何かを心配しているようである。同じ街で生まれ育ち、幼少の頃から彼女のことを知っていた住民たちは決して話を聞いてやらぬわけではない。だが、カサンドラは一体なぜそうまでして男たちを街へ行かせたくないのかについては、ただ危ないからと言うだけで決して詳細を言おうとしない。言いたくても言えない……そんな感じで、ただ「行かないで」「考え直して」と繰り返すばかりであった。さすがにそれでは話を聞いてやるわけにもいかない。


「いい加減にしてくれ!」

「こっちだって生活がかかってるんだ!

 いくら命が助かっても家畜を失ったら生きていけないよ!」

「頭でもおかしくなっちまったんじゃないのか!?」


 男たちもさすがにを上げ、すがりつくカサンドラを突っぱね始めると、ついには周囲からもヤジが飛び始める。カサンドラはそれでもあきらめず、心無い男たちの言葉に傷つき、とうとう涙まで流しながら必死で訴え続けた。

 本来なら住民たちがこんなに早い時間に集まり出すとは思ってもいなかった兵士たちは当初こそ見て見ぬふりをしていたものの、騒ぎが大きくなってきたことから放置することも出来なくなり、ついには何事かと仲裁に入り始める。


「待てお前たち、静かにしろ!いったい何の騒ぎだ?!」


「兵隊さん、聞いとくれよ!

 なんだか知らないがこの子が俺たちに街へ行くなってしつこいんだ。」

「兵隊さん、俺たちを街へ連れてってくれるんだろ!?

 昨日軍団長さんヘル・ゲネラールが約束したぜ、いつ帰らせてくれるんだい?」

「そうだ、俺たちは待ってるんだ!」


 ただでさえ気のいていた男たちは、カサンドラに訳の分からないことで絡まれて気が立っていたこともあり、今度は兵士に食って掛かるように詰め寄り始める。こうなることが分かっていたのであえて放置していた兵士は顔をしかめながら住民たちをなだめた。


「待て、連れて行くのは朝食の後だ。

 街にいる軍団レギオーから来て良いって連絡が来るまで待て!」


「その連絡はいつ来るんだい!?」

「朝食なんか後だっていいだろ?」

「そうだ、家畜たちはここ数日何も食ってなくて腹ぁ空かせてんだ!」

「乳だって絞ってやらにゃならねぇ、乳が出なくなっちまうよ!」


「落ち着け!

 連絡が来るのは街の軍団兵レギオナリウスたちが朝食もその片づけも終えた後だ。

 だからまだまだ後だ、一旦解散しろ!」


 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア特有の派手な格好をした兵士が困り果てて解散を命じると、カサンドラが声を張り上げる。


「連絡なんか来ないわ!

 街へ行っては駄目よ!!」


「何だと!?」


 その場にいた全員が再び一斉にカサンドラへ注目した。カサンドラは顔を涙でグチャグチャにしたまま、両手で太腿のあたりでスカートを握りしめ、絞り出すように告げた。


「私、昨日見たのよ!

 街は、街はあの後、大きなモンスターに襲われたのよ!!」

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