第674話 カサンドラ

統一歴九十九年五月八日、早朝 - ライムント街道第三中継基地/アルビオンニウム



「モンスターだってぇ!?」


 勇気を振り絞ったカサンドラの告白に対する反応は冷淡そのものであった。


「何言ってんだ?」

「どうかしちまったのかカッスィ!?」

「夢でも見たんじゃねーのか?」

「寝ぼけてんなら顔でも洗ってきな!」


 男たちは流石に呆れ、嘲笑を浴びせかける。カサンドラはムキになって「本当よ!ウソじゃないわ!」とそれまでにも増して男たちに必死に訴えた。だが、カサンドラが必死になればなるほど、周囲の反応はより残酷に、より冷淡なものへと変わっていく。


「このキチガイ女!

 向こうへ行っちまえ!!」


 ついにはそんな暴言を飛ばし、石を投げつける者さえ現れ始めた。それでもしつこく訴え続けるカサンドラの頭に石が当たり、カサンドラは額から血を流してその場にうずくまる。


「おい!待て!せ!さんか!!」


 そのうち、騒ぎを見物していた群衆をかき分けて一人の兵士が飛び出してくると、カサンドラへ駆け寄っていく。


「カッスィ!カッスィ!!

 おお、カッスィ血が出ているじゃないか!?

 一体どうした!?何があった?」


ジーモンおじさんオンケー・ジーモン!?

 おお、おおぁああぁぁぁぁあ」


 可愛い姪っ子が群衆に囲まれ、頭から血を流しているのを見てジーモンは驚き、カサンドラに手を差し伸べる。するとカサンドラはようやく話を聞いてくれそうな頼りがいのある存在を見出し、緊張の糸が切れたようにワアッと泣き崩れた。


「ジーモン!そいつを何とかしてくれ!」

「さっきからおかしいんだ!」

「モンスターを見たとよ!子供じゃあるまいし」

「何がしたいんだか全く‥‥‥」


 ジーモンはブルグトアドルフの出身であり、住民の中には知っている者も多い。カサンドラの伯父にあたる彼の登場により、周囲の男たちはカサンドラの面倒を任せてしまおうと適当に理由を説明する。要領を得ない説明にジーモンは却って混乱するばかりだった。


「ジーモン!そいつぁアンタの姪っ子ニヒテだろ!?

 任せちまっていいか?」


 群衆を抑えようとして逆に詰め寄られていた兵士がジーモンに声をかける。この兵士の見たところ騒ぎの原因はまだ予定の時刻でもないのに勝手に集まってしまったこのせっかちな男たちと、その男たちを止めようとしたカサンドラだ。それら両方が居たのでは収拾がつかないが、どちらか一方が居なくなってくれれば少しは対処しやすくなる。そう考えた兵士はカサンドラの伯父であるジーモンが現れたことで、カサンドラの処置をジーモンに丸投げしようというのだ。

 ひとまずカサンドラを助けたい、この子カサンドラはこの場から離れるべきだと思っていたジーモンからしても同僚の申し出は渡りに船であった。


「ああ、そいつらを早く解散させてくれ!

 どうせ街へ行くのはまだなんだろ?」


 ジーモンは背中越しにそう応えると、カサンドラに寄り添い、立ち上がるよう促した。


「さあカッスィ、向こうへ行こう。

 行って傷口の手当てをしなきゃ、な?」


「待って、待ってジーモン、みんなを止めなきゃ!

 止めなきゃいけないの!」


 言い様に言いくるめられてどこかへ連れ去れようとしている‥‥‥そのことに気付いたカサンドラはジーモンの両腕をすがりつくように掴んで訴えた。


「大丈夫だカッスィ、まだ街にはいかない。

 その間に話を聞こう、その前に傷の手当てをしなきゃな?」


 ジーモンはあくまでも優しくそう言った。それは真にカサンドラを想っての言葉であったが、カサンドラはまるで自分が駄々をねる子供のようになだめられている事に気付き、涙を流す。


「ダメよ、ジーモンおじさん!

 彼らを、みんなを行かせちゃいけないの!

 私、見たのよ!見てしまったの!本当よ?!

 みんな、みんな死んでしまうわ!

 あんなの、軍隊だってかないっこないぃぃぅぅぅわああぁぁぁぁぁ」


 カサンドラはそう言い、ジーモンにしがみ付いてワァワァと泣き始める。ジーモンは立ち上がらせようとしたカサンドラが自分にしがみ付いてそのまま泣き崩れてしまったために、一緒にその場にうずくまるような形になってしまった。


「何だって!?

 カッスィ、何を見たって?」


「モンスターよ!本当よ!!

 私見たの!

 昨日の夜、街へ、家へ帰った時に‥‥‥

 大きな、変な音がするから、窓から外を見たの‥‥‥

 そしたら、のよ!!

 歩いてた!歩いて街へ入って行ったわ!!

 きっと森から出てきたのよ!」


 ジーモンの両腕にしっかりとしがみ付き、涙を流しながらカサンドラは伯父に訴えかける。嘘や遊びで言ってるわけではない、心底恐怖に囚われた人間独特の様子で訴えかける姪の訴えにジーモンは改めて膝をつき、態勢を安定させた。


「何がだ?

 何を見たって?」


「モンスターよ!

 大きな、大きな木のオバケだったわ。

 人の形をしてるけど、屋根より背が高いの‥‥‥

 手と足があって、一人で歩いて、街へ入って行ったわ‥‥‥

 アレは人を食べる化け物よ!

 だって、だってかごみたいになったお腹から、食べられてしまった人が見えたもの!!

 助けを求めるみたいに、手が外へ出て、揺れていたわ。

 でも、隙間から見えた顔が真っ青で、死んでたの!」


 正直に誰も信じてもらえないだろう‥‥‥そんなことはカサンドラにだって分かっていた。だがもう話さないわけにはいかない。そう決意を固め、語ったのはカサンドラが昨夜、一人で祖母の薬を取りに戻った家の窓から見た《藤人形ウィッカーマン》の姿についてだった。彼女は確かに見ていたのである。

 だがカサンドラが何を言っているのか、理解できた者は居なかった。彼女は真剣そのもので、普段の様子からして嘘をついたり悪戯をするような娘ではないし、おそらく本気で言っているのだろう。かといって歳も歳だし、寝ている間に見た夢と現実と区別がつかずに、恐怖で泣きわめくような子供というわけでもない。だが、彼女が言っていることは、ジーモンを含め周囲で彼女の言う事を聞いている者たちには全く理解できなかった。


 木の化け物?

 屋根より背が高いってよ‥‥‥

 そんなの居るのかよ?

 森から出て来たって?

 この辺の森にそんな話あったっけか?

 いや、聞いたことねぇな‥‥‥

 ここらの森で危ねぇのは熊とオオカミと蛇ぐれぇなもんだ‥‥‥

 木の化け物って、ここらじゃ足枷蔓ファダー・ヴァインくらいしかいないだろ‥‥‥

 人間を食べるだってよ?

 食われた人間って誰だよ、みんな居るぞ?

 昨夜の盗賊が食われたんじゃないか?

 ハハッ、じゃあじゃないか?


 人々は当初、静かに聞き耳を立てていたが、カサンドラが詳細を語るとヒソヒソと感想を述べあい、それはほどなくして揶揄からかいへ変わっていった。心無い、茶化すような言葉が耳に届いたカサンドラは思わず立ち上がり、その言葉を発した男たちへ向かって叫ぶ。


「冗談じゃないわ!」


 溢れ出る涙でキラキラと輝く瞳に真っすぐと見つめられ、軽口を叩いていた男たちは思わず口ごもる。


「あんな化け物!

 なわけはないわ!

 あれはきっと、地獄の悪魔の使いよ!」


「待てカッスィ!

 落ち着け、な?

 街は大丈夫だ、みんなも、軍隊が、俺たちが守ってやる。

 だからカッスィ、な?」


 これ以上騒ぎを大きくすれば、群衆の好奇心はやがて悪意へ発展し、その悪意はカサンドラへ向かってしまう。それがわかっているジーモンは群衆の無責任で容赦のない悪意から守るため、立ち上がってカサンドラの正面に回り込み、その両腕を掴んで抑える。


「ジーモン!ジーモンおじさん、本当よ!本当なのよ!!

 あんなの、軍隊でも敵わないわ。

 みんな、みんな殺されてしまう!食べられてしまうのよ!!」


「ああ分かった分かった!

 向こうで、向こうで詳しく聞こうじゃないか。

 みんなは大丈夫だ、まだ行かない。

 まだ時間はある。だから、な?

 さあカッスィ、こっちだ……」


 ジーモンはそう言い慰めながらカサンドラを無理矢理近くの建物の方へ連れて行く。これ以上、ここで騒げばカサンドラは二度と街で暮らせなくなってしまうだろう。未発達な地域社会とは、そうした残酷さがある。異常な者、異質な者を排除し、自分たちの純粋さを、潔癖さを保とうとする。そこに容赦はない。そして、地縁を絶たれた者は、その地では生きてはいけなくなってしまうのだ。いわゆる、村八分と言う奴になってしまう。そうならないために、ジーモンはなおも抗議し、訴え続ける姪っ子に耳を貸すわけにはいかなかったのだ。彼は姪も街も、どちらも愛していたのだから‥‥‥

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