第672話 敵地の外交官

統一歴九十九年五月八日、午後 - 迎賓館ホスティウム/サウマンディウム



 午前も終わりごろ、昼近くになってイェルナクはようやくプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵の前を辞した。ハン支援軍アウクシリア・ハンは叛乱軍であるというプブリウスの判断を一旦保留とさせ、捕えられた盗賊たちの即時処刑命令の延期も勝ち取った。イェルナクは処刑延期の命令書をプブリウスに書いてもらい、それを持ってサウマンディウム要塞カストルム・サウマンディウムへ直行すると、要塞司令部プリンキピア要塞司令プラエフェクトゥス・カストリフロンティヌス・ウァレリウス・メッラと面会し直接その命令書を手渡す。フロンティヌスは一日は待ってやったがどうせ処刑執行することになるだろうと再び盗賊たちを処刑場へ送り出す準備をしていたものの、手渡された処刑延期の命令書が正式なものである以上納得せざるを得ず、やむなく配下の兵士に命じて盗賊たちを牢獄へ戻させた。

 どうやら大切な捕虜たちを処刑の危機から救えたとようやく安心できたイェルナクは胸を撫でおろし、それから看守たちに聞かれぬようご丁寧に捕虜たち一人一人に声をかける。


 いいか、お前たちの処刑を中断させたのはこの私だ!

 私が伯爵に掛け合わなければ、今頃お前たちは処刑されていたのだぞ!?

 だが、お前たちの処分はまだ確定したわけではない。

 帝国に歯向かったお前たちは本来なら大逆罪だ!

 即刻、処刑されて当然だったのだ!!

 お前たちを処刑から救えるのはこの私ただ一人!

 これからもちゃんと私に協力しないと、お前たちを救ってはやれないぞ!?

 死にたい奴は好きにするがいい。

 だが、命が惜しいのなら……わかるな!?


 何十人もいるのだから文言はその都度つど変わるが、イェルナクが捕虜たちに言って聞かせた話は大まかにはそういった内容だった。

 反応は様々だった。素直に感謝する者も居れば、ただただ助けてくださいと懇願こんがんする者、そしておびえ戸惑う者も居た。だが、そういう反応はいずれも少数派であり、大部分は親に説教される反抗期の子供の様にブスッとした仏頂面ぶっちょうづらで不満そうに聞き、中にはあからさまに反抗的態度を見せる者もあった。


 へえ、そりゃありがたいね。

 で、いつまでこんな所に閉じ込めらんなきゃいけねぇんですかい!?

 助かるって言うからアンタに都合のいい証言したってのによぅ!


 無論、そのような態度をとる不届き者はイェルナクの職杖しょくじょうによる容赦のない打擲ちょうちゃくを受けて黙らされるのがオチであった。まあ、この状況でそういう反抗的態度をとるような人間は力づくで言う事を聞かされなければ分からない愚か者と相場が決まっている。近くにいた他の捕虜たちも馬鹿が一人、イェルナクに打ちのめされる様子を目の当たりにしても、イェルナクを止めるどころか同情さえせず、黙ったまま汚いモノでも見るような視線を投げかけるだけであった。


 捕虜たちに己の立場と状況を分らせたイェルナクはひとまずのところ今日の成果に満足し、護衛のゴブリン兵を引き連れて要塞カストルムを後にすると、同伴してきた妻と子供たちの待つ迎賓館ホスティウムへと戻ったのだった。


「ふぅ~~~っ」


 帰る途中、ゴブリン兵によって担がれる座與セッラの上でイェルナクはうれいに満ちた表情で何度となくため息をつく。


 今日は危ういところであった。

 伯爵閣下がよもやハン族を叛乱軍と考えていたとは……一応、考えを改めていただきはしたが、一歩間違えばハン支援軍アウクシリア・ハン討伐が現実のものとなっていたやもしれん。

 どうやら私も楽観的すぎたかもしれんな……捕虜たちの心配どころではなかったわ。気づかぬうちに油断して捕虜たちに気を取られているうちに自分の尻に火が点きかねんぞ。

 とにかく、伯爵閣下の注意を、サウマンディアの目をメルクリウス団に向けさせねば……このままではエッケ島へ安心して帰れん。


 しかしイェルナクの憂いは尽きない。今、彼に出来ることは何もなかった。プブリウスに渡した報告書……それらを精査した結果が出るのを待たねばならない。報告書の内容からプブリウスがメルクリウス団について真剣に考えるようになってくれればいいが、そうでないのなら何か次の手を用意しなければならない。だが、今のイェルナクに出来ることは限られている。エッケ島の本営から遠く離れたイェルナクの周囲に居るのはまつりごとなど何も知らぬ家族と、役立たずなゴブリン兵のみ……すべての問題に、イェルナクはここサウマンディウムで一人で対処せねばならないのだ。それを想うとドンドン気が重くなっていく。


「ふぅ~~~~っ」


 幾度目になるか分からない溜息をつき、イェルナクを乗せた座與セッラは少し黄色く色づき始めた陽光を浴びた迎賓館へ入って行った。


「おかえりなさいませ、殿」

「父上、おかえりなさいませ」


 迎賓館ホスティウム玄関ホールウェスティーブルムで家族の出迎えを受けたイェルナクは先ほどまでの憂い顔はどこへやら、両手を広げ、満面の笑みを浮かべてイェルナクは家族に歩み寄る。


「おお、イルテベル!

 良い子にしておったか!?」


 駆け寄ってきた息子を抱きとめたイェルナクはそのまま息子イルテベルを抱きかかえて立ち上がると、今度はそのまま妻ローランに歩み寄る。


「ローラン、今帰ったぞ。

 留守中、大事なかったか?

 おおインチュっ、父が帰ったぞインチュ!」


 イェルナクはローランが抱きかかえていた赤ん坊を覗き込み、相好を崩す。ローランは吊られるように笑いながら、抱いていた娘を夫の方へわずかに差し出した。


「はい、大事ございません。

 ほらインチュ、父上ですよ。」


 そのままイェルナクは抱きかかえた息子と共に、身体を仰け反らせて顔を遠ざけては逆に身体を屈めて顔を近づけ「ばぁ!」などと声を上げる……手を使わない「いないいないばあ」だ。それを受けてインチュはキャッキャと笑いながら激しく手を動かして喜ぶ。

 五回ばかり繰り返してインチュを笑わせると、イェルナクは抱きかかえたイルテベルと笑い合い、次いでローランを見る。ローランもまた微笑んではいたが、その笑顔には何処か憂いの影があった。


「さあイルテベル、今日はどれだけ字を練習した?

 父が見てやるから持って来なさい。


 どうしたローラン、何か気になることでもあったか?」


 イルテベルを床に降ろし、イルテベルが「はい」と元気に返事をして奥へ駆けて行くのを見送りながらイェルナクはローランに尋ねる。ローランはハッと驚き、慌てて否定した。


「いえっ、気になることなど!」


「そうか、何か憂えておるようだったぞ?

 ここには私たちしかいないのだ。

 気になることがあったら遠慮なく言いなさい。」


「そんな、殿をわずらわせるようなことなどありません。

 ローランは殿さえ元気でお勤めを果たしてくだされば……ただそれだけが気がかりでございます。」


「それならば安心するがよい!

 首尾は上々だ。其方そなたが心配することなど何もないぞ!?」


 イェルナクがことさら上機嫌に言うと、ローランの表情は少し明るくなった。


「まことにござりまするか?」


「うむ、もちろんだ。

 ああ……まあ、全部が全部順調というわけではないがな、だがおおむねうまく行っておる。」


「まあ、それではもうすぐエッケ島の本営に帰れるのですか?」


「んんっ!?‥‥‥んん~~~」


 ローランがキラキラと期待に瞳を輝かせるとイェルナクは思わず口ごもった。ローランを元気づけるためにことさら陽気に虚勢を張ってみせたイェルナクではあったが、実際のところはそこまで順調というわけではない。先行きはむしろ不透明で、エッケ島へ大手を振って帰れる見込みはまだ見いだせなかった。

 プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵がイェルナクの報告書を読んでメルクリウス団調査に本腰を入れてくれれば……そして、これから更に捕まって来るであろう捕虜たちの証言を何とか調整し、メルクリウス団の実在をプブリウスらに確信させることができれば、ようやくハン支援軍アウクシリア・ハン存続の糸口にすることができるだろう。とにかく、プブリウスにメルクリウス団の暗躍を信じ込ませなければならないのだ。それによってサウマンディアをハン族の味方にできれば、アルビオンニアやアルトリウシアを相手に交渉による事態の打開が可能となる。

 だがプブリウスは今のところイェルナクの主張に対いて懐疑的かいぎてきであり、ハン族は叛乱軍であるという認識を一時棚上げにできたところだ。当初、プラスマイナスゼロからのスタートだと思っていた交渉は実はマイナスから始まっており、今日ようやくプラスマイナスゼロのスタート位置に立つことができたといったところ……それがイェルナクの現状認識である。現実はその認識すら甘いと言わざるを得ない状況なのだが、それでさえローランの期待からはあまりにもかけ離れていた。

 イェルナクの表情から自分が夫を困らせたと気づいたローランは慌てて顔を伏せる。


「もうしわけございません、殿!

 私、殿を困らせるつもりなど……」


「いやっ!いやいや、そんなことはないぞローラン!

 其方そなたは私を困らせなどしておらん。」


「ですが……」


 妻でありながら夫の仕事に口出しした……男尊女卑だんそんじょひ社会のハン族ではあってはならない過ちを犯した。その認識にローランは自らをさいなむ。

 ますます反省の色合いを濃くするローランの顔を見てイェルナクは慌てた。顔を伏せるローランを下から覗き込むように身を屈める。


「ウソではないぞ!?本当だ!

 確かに、事態は油断ならざる局面にはあるが、希望が無いわけではないのだ。

 全体としては順調なのだ。うまく行っておると言って良い。

 だが、すぐに帰れると言い切れるほどには、楽観はできん。

 そういうことだ‥‥‥その、すまんな。」


 今度はイェルナクが申し訳なさそうに言うと、ローランは夫に謝らせてしまった事に驚き、パッと顔を上げてイェルナクに訴えかけるかのように口を開いた。


「そんな!殿が謝られることなどございません!

 女の身でありながらまつりごとを気にするなど、ローランが悪い妻だったのです。」


「いや!そんなことは無いぞローラン!

 其方そなたは良い妻だ!

 ああ、そんな悲しそうな顔などするでない。

 笑ってくれ、私は其方そなたの笑っている顔が見たいのだ。

 子供たちも心配するでは無いか、な?」


 夫婦が互いに慰め合う様子は、二人の息子のイルテベルが今日の勉強の成果を見せるために自室からヘタクソな文字がいっぱい並んだ書字板を持ってくるまで続いた。

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