第671話 引き延ばし

統一歴九十九年五月八日、午前 - 『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテス/サウマンディウム



「お、お待ちを!」


 イェルナクは血相けっそうを変えて顔を上げた。

 ハン支援軍アウクシリア・ハンはレーマ帝国に反旗をひるがえした。アルトリウシアを破壊し、人質を奪い、船を奪い、財貨を奪い、街に火を放って逃げた。そして帝国の版図はんとの外へ逃れよとした。だが果たせなかった。旗艦『バランベル』号が座礁し、アルトリウシア湾の外へ出る事さえ叶わず、やっとの思いでたどり着いたのがエッケ島だった。家出をしようと思いっきり飛び出したのに、情けないことに玄関先でつまづいて動けなくなってしまったのだ。

 西は海、東と北はレーマ帝国、南は仇敵アリスイ氏族‥‥‥ハン族がレーマ帝国から逃れるためには、船で南へ進み、アリスイ氏族の領域の沖合をパスして更に南へ逃れる他ないのだ。しかし船は壊れ、ハン族では修理することも出来ない。船が無ければ脱出できない。このままではハン支援軍アウクシリア・ハンは叛乱軍として討伐され、ハン族は滅亡するほかなくなってしまう。


 その運命を回避するためにイェルナクが考え出したのがメルクリウス団による陰謀説だった。


 ハン支援軍アウクシリア・ハンは叛乱を起こしたのではなく、メルクリウス団の陰謀に巻き込まれたのだ。ハン族を降臨術の生贄に捧げようとするメルクリウス団から身を護るため、メルクリウス団に操られた者たちと戦い、仕方なく脱出したのだ。


 レーマ帝国による討伐を逃れるためには、叛乱という事実そのものを否定してみせる他ない。メルクリウス団の陰謀論はそのための苦肉の策だった。

 もちろん、これをそのままエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人やルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵に持ち掛けても相手にしてくれるわけがない。彼らは直接の被害者であり、こちらの言う事に耳を傾けてくれるとは到底思えない。だからイェルナクはプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵に話を持ち掛けたのだ。

 サウマンディアは今回、直接の被害を受けたわけではない。状況も直接目の当たりにしたわけではないから、一応は冷静に話を聞いてくれるはずだ。それでいてアルビオンニア侯爵家へもアルトリウシア子爵家へも強い影響力を持っている。プブリウスを味方につけ、仲介の労をとってもらい、事件の責任をメルクリウス団に押し付けてしまえばハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱を有耶無耶うやむやに出来る筈!


 イェルナクはそのためにわざわざサウマンディウムまで足を運び、プブリウスの説得に乗り出したのだ。プブリウスの理解を得る……それこそが、ハン族存亡の危機を打開するための第一歩なのである。それなのに、あろうことかプブリウス自身の口からハン支援軍アウクシリア・ハンが叛乱軍であると断定するセリフが飛び出してしまった。


「我々は叛乱軍ではありません!!

 ハン族は、ハン支援軍アウクシリア・ハンはメルクリウス団の陰謀に巻き込まれたのだと、あれほどご説明申し上げたではありませんか!?」


 思わず腰を浮かせ膝立ちになったイェルナクは拱手きょうしゅさえ解いて一歩二歩と前に出た。このままハン支援軍アウクシリア・ハンが叛乱軍だという認識を改めることができなければ、ハン族滅亡を避けることは不可能になってしまう。

 茫然とした表情で文字通り縋りつこうとするイェルナクに怖気おぞけを覚えたプブリウスはわずかに顔をしかめながら、反射的に身を引いた。椅子が床を滑り、きしみ音をあげる。イェルナクはその音でハッと我に返って立ち止まった。


「貴官はそう言うがな、それを証明する手立てはあるまい?

 ハン支援軍アウクシリア・ハンがアルトリウシアで略奪と殺戮ハック・アンド・スラッシュの限りを尽くし、街に火を放って船で逃亡した……それは物証もあり証言者もいくらでもいる。

 だが、貴官の言うメルクリウス団の陰謀とやらを示す証拠も証言も無い。」


「あるではありませんか!?

 盗賊どもが証言しております!!」


「それはアルビオンニウムで暴れておる盗賊どもの首領の話だ。

 貴官のいうメルクリウス団とは違う。」


「同じです!

 違うはずがありませぬ!」


「盗賊団の首領と、貴官の言うメルクリウス団とやらが同一であることを示す根拠などあるまいが!?」


「あのような超常の力を持った者など、この世に何人もおりますまい!?

 そんな同じ異能を持った者が同じ時期に同じような場所に現れたなら、同一人物であると考える方が普通ではありませんか!!」


 イェルナクは必死だった。プブリウスを味方にできるかどうかにハン族の存亡がかかっているのだから諦めるわけにはいかない。


「同じではあるまい!?」


 プブリウスもまた少しムキになっていた。


「貴官らを襲ったという連中は、魔法で精神を支配されておったのだろう!?

 だが盗賊どもはどうだ?

 異常な戦闘力を見せつけられ、力で従えさせられておったではないか!」


 本来の彼の目的は時間稼ぎ‥‥‥イェルナクを一日でも長くサウマンディウムへ引き留め、エッケ島へ帰れなくしてリュウイチの降臨に関する情報がエッケ島にこもハン支援軍アウクシリア・ハンに伝わらないようにすることの筈だった。しかし彼はイェルナクが今日一日で見せた異様な卑屈さというか、不快な雰囲気に気付けばすっかり気分を振り回されていた。ともかく今目の前にいる蛮族のホブゴブリンをとっちめて、とっとと追い払ってしまいたい……そんな気分にいつの間にか支配されてしまっていた。


「相手は!一人ではありません。

 きっと、異なる異能を持った複数の者から成るのです!

 アルトリウシアの住民を精神支配したのと、盗賊どもを力づくで支配した者がたまたま違っただけでしょう!」


「それ見ろ!

 別の人物では無いか!?」


「いえ!支配の実行者が違うだけです!

 きっと仲間で、同じメルクリウス団の一員なのです!!」


「そんな証拠がどこにある!?」


「このような異常な能力者が同時に現れたのですぞ!?

 無関係なわけがないではありませんか!」


「それは貴官の勝手な空想であろう!?」


「はい、今はまだ、たしかに私の想像にすぎませぬ!

 ですが、メルクリウス団を実際に捕まえてみればハッキリすることです!

 我らの無実が、それで明らかになることでありましょう!!」


「捕まるはずのないメルクリウスに罪をなすり付ければ、自分たちが罪をまぬがれると思っておるのではないのか!?」


「そのような事、考えも及ばぬ事でございます!

 伯爵閣下は今回のメルクリウス捕縛作戦の総大将ではありませんか!?

 閣下の御力ならば必ずやメルクリウス団を捕縛するものと、私は確信しております!確信するからこそ、私はこうして閣下に事実究明をお願い申し上げておるのですぞ!?」


「ぬっ‥‥‥」


 プブリウスは言葉に詰まった。今回の言い争いはイェルナクに軍配が上がった。イェルナクが言うようにプブリウスは今回のメルクリウス騒動の捜査の総責任者であり、この件に関しては近隣領主さえも指揮下に入れて必要な様々な指示を出せる立場にある。同時に、メルクリウス逮捕のために出来る最善を尽くす責任があるのだ。ここでもしもプブリウスがイェルナクの発言を否定すれば、プブリウスはメルクリウス捜索の任務を放棄していることになってしまう。

 何とか言い返す言葉を探して口を止めてしまったプブリウスに、この言い争いの勝利を確信したイェルナクはこの場はここで終結すべきだと判断した。パッと姿勢を正し、眼前で両手を組んで拱手きょうしゅすると頭を下げ、平伏する。


「伯爵閣下、どうかお許しください。

 我がハン族の未来をうれうがあまり、言葉が過ぎてしまったようです。

 ただご理解ください。

 私は、我がハン支援軍アウクシリア・ハンは、もはや閣下の御力に御すがりするほかないのです。

 閣下の御力でメルクリウスを捕まえ、真実を明らかにしてくださいませ。」


 床に這いつくばるイェルナクを見降ろし、プブリウスは荒げた息を数度の深呼吸で落ち着かせると、いつの間にか前のめりになっていた身体を背もたれに落ち着かせた。


「ふぅぅぅぅぅむ‥‥‥わかった、いいだろう。」


「おおっ!」


 プブリウスの答えにイェルナクは思わず喜色きしょくばんだ。

 面白くない。面白くは無いが、プブリウスとしてはここは引くしかなかった。


 そうだ、別にここでこの男に勝たねばならないわけではない。負かす必要などないのだ。私は最初から勝っている。ただ、勝利を確実にするために、今はコイツをサウマンディウムへ引き留めておかねばならんだ。そのために、今は負けて置いてやる。


「だが忘れるな!?

 メルクリウス団の陰謀とやらがハッキリするまで、貴官らは無実にはならん!

 メルクリウス団とやらが本当に実在し、人々を操ってハン支援軍アウクシリア・ハンを襲ったと確認されない限り、貴官らは叛乱軍のままなのだからな!?」

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