第1423話 オトの尋問

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



 事態を察したオトが浮かべた表情を言葉にするなら「だから言わんこっちゃない」だった。オトはうつむいていたのでその表情は隣のゴルディアヌスからは見えても正面のリュウイチからは見えない。


『オト、君の知っている範囲でことの経緯を聞かせてほしい。

 ゴルディアヌスからいつ、どこで何を頼まれたんですか?』


 リュウイチはオトのことをネロたち八人の中で年齢的には上から三番目ぐらいだが一番の常識人だと考えていた。軍人になる前は職人として生計を立て、所帯を持って立派に一家を養っていたということから、独身だったリュウイチはオトのことを敬意をもって接する価値のある人物だと評価しており、オトに対する態度や言葉遣いは他の奴隷たちに対するより丁寧である。だがそれは同時に、オトがリュウイチの常識人という評価に伴う期待を裏切ったことをも示しており、オトは言いようのない心苦しさを覚えていた。


「きょ、今日の昼前、報告会の前のことです。

 旦那様ドミヌスから休憩をいただき、旦那様ドミヌス奥方様ドミナの前から下がらせていただいた時に、要塞司令部プリンキピアにゴルディアヌスが来まして、その時に相談を持ち掛けられました」


 この世界ヴァーチャリアには時計が普及していないので時間は大まかにしか分からない。ある程度の大きな村や町になればどこかの公共施設に日時計があってそれに応じて鐘が鳴らされたりもするが、それも昼間だけだし多く鳴らすところで一時間に一回、田舎の村では二~三時間に一回鳴らす程度であって時間単位の時刻が辛うじて分かる程度であって、前回鐘がなってからどれくらい経ったか、あるいは次鐘が鳴るまでどれくらい経ったかなどといった分単位での時刻は誰も知り様がなかった。ゆえにこのように時刻に関してはいい加減としか思えない報告にならざるを得なかった。


『どんな相談でしたか?』


「……その、エ、エルゼ様が、先週の毒ロウソクのことを思い出され、お泣きになられたと……それで、御可哀そうだから力を貸してほしいと……」


 リュウイチは大きく鼻で息を吸い、そしてそのまま鼻から吐き出した。だがその鼻息は静まり返った室内にやけに大きく響き、オトとゴルディアヌスは思わず固唾を飲み込んだ。そのタイミングを見計らったわけではないだろうが、ネロがスッと新しい香茶の入った茶碗ポクルムをリュウイチの前に差し出し、差し出した時と同じようにスッと身を引く。リュウイチは『ありがとう』と小さく礼を言って茶碗を取り上げた。それを胸元へ運び、香りを楽しむように茶碗から立ち昇る湯気を吸いこむ。


 香茶の香りに鎮静効果があるというのは本当かもしれない……。


『続けてください』


 身体を硬直させていたオトはリュウイチに促され、閉ざしていた口を再び開いた。


「は、はい……

 さ、最初は、《風の精霊ウインド・エレメンタル》に今日だけでいいから、エルゼ様をお守りいただくようお願いして欲しいというものでした」


 茶碗に注がれていたリュウイチの目がオトへ向けられ、オトは喉の奥がキュウッと締まるのを感じた。覚えた息苦しさに唾を飲み込もうとするが、やけに飲み下しにくい。何とか飲み下したものの息苦しさは解消せず、オトはハッと何か咳き込むように息を吐き、やっと声が出せそうになると話を再開した。


「わ、私は、それを断りました。

 大協約に反しますし、礼拝に来ているキリスト坊主はマティアス司祭ブレディガー・マティアスっていう神官フラメンです。

 キリスト坊主で一番魔法にひいでた実力者ですから、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様が近くで動いて気づかれねぇわけがないと……

 そ、それでゴルディアヌスは一度諦めてくれたんですが……」


 リュウイチが茶碗を口元へ運び、ススッと静かな音を立てて啜った。オトもそれに誘われるようにゴクリと唾を飲みこむ。いや、実は口の中はさっきからずっと乾いていてカラカラだ。唾を飲み込もうにも飲み込む唾など口の中には無い。さっきから飲み込んでいるのは唾ではなく空気だ。飲み下しにくいわけである。オトはさっきから気になっていた違和感の正体にようやく気づいたが、しかしそれは彼の窮状を救う何の材料にもならなかった。


「それでもゴルディアヌスは《風の精霊ウインド・エレメンタル》様からお知恵を借りたいと……《風の精霊ウインド・エレメンタル》様に動いてもらうのは無理でも、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様には《風の精霊ウインド・エレメンタル》様の御知恵があるに違いないと……それで、知恵を借りるだけなら……その、問題にならないかと……それで、その……《風の精霊ウインド・エレメンタル》様に……取り次ぎました」


 オトは説明しながら、自分は悪くないんじゃないかと思い始めていた。そう、オトはゴルディアヌスに無謀な真似をしないように説明し、説得し、諦めさせたのだ。そのうえで知恵を借りたいというから取り次いだだけであり、そこで何かお咎めをうけるようなことは何もないはずだ。だというのにこうして痛くもない腹を探られている……何がどうしてバレたのか知らないが、オトはゴルディアヌスに巻き込まれただけであり、とんだとばっちりである。腹が立ってきたオトは思わずチラリとゴルディアヌスの方を見た。ゴルディアヌスもそれが分かっているのか、何か本当に申し訳なさそうに目をギュッとつむって俯いている。多分、歯も食いしばっているのだろう、頬の筋が少し張っている様子が見えたが、もしかしたらそれはロウソクの光の加減でそう見えただけだったのかもしれない。


『それで、《風の精霊ウインド・エレメンタル》を呼び出してゴルディアヌスを紹介したんですか?』


 リュウイチの質問にオトはハッと我に返った。


「いえ!

 その、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様をお呼びし、御相談をもちかけました」


『どういう風に?』


「その……最初に御断りをさせていただきました。

 仕損じたら旦那様ドミヌスに御迷惑をおかけすることになるかもしれないと」


 リュウイチは再び香茶を一口啜り、口をへの字に曲げて茶碗を両手で抱えるように持て太腿の上に降ろすと、自身の上体を背もたれに預けた。


「《風の精霊ウインド・エレメンタル》様は最初、旦那様ドミヌスに背くことになるのではないかといぶかしんでおられました。

 ですが、私らも旦那様ドミヌスに背くつもりはなく、上手くいけば旦那様ドミヌスの御心を安んずることができる。でも、旦那様ドミヌスの御為になるとは限らず、また旦那様ドミヌスに知られてはならない……そうご説明申しあげると、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様も御興味をお示しになられまして……」


 オトが言葉を慎重に選びながらそう言うと、リュウイチは背もたれに預けていた上体を起こした。


『何で私に知られてはならないんだい?』


 オトは一瞬面食らったように目を丸め、束の間考え、やがて思い切ったように答える。


旦那様ドミヌスを巻き込むことになるからです!

 旦那様ドミヌスに知られれば旦那様ドミヌスが事に関係することになってしまいます!

 そしたら、侯爵夫人マルキオニッサ旦那様ドミヌスの御力で助けていただいたことになり、侯爵家が《レアル》の恩寵おんちょうわたくししたことに、大協約に背いたことになっちまいます」


 リュウイチは再び背もたれに上体を預け、オトは続ける。


旦那様ドミヌスに御報せずに私らだけで動けば、《レアル》の恩寵おんちょうを独占したことにはならねぇんじゃねぇかって……

 ウ、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様は旦那様ドミヌスの眷属以外にもいらっしゃいますから……それに、御知恵を借りるだけなら……

 なので、旦那様ドミヌスには知られねぇようにしねぇとって……」


 オトは自分の言い訳がだいぶ苦しいと思い始めたのか、その言葉は次第に弱くなり、最後はしりすぼまりになって途切れた。

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