第461話 灯されたロウソク

統一歴九十九年五月五日、昼 - マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルビオンニア侯爵家の嫡子ちゃくし、カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子の寝室には彼の家族たちが集まり、キリスト教会から呼ばれた聖職者たちと共に日曜礼拝が執り行われる。

 いつもならカールの叔父であり、現領主エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人の実の弟であるアルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニアアロイス・キュッテル、そしてカールの伯父でエルネスティーネの兄であるグスタフ・キュッテルも一緒に参列するはずだが今日はいなかった。アロイスはシュバルツゼーブルグの盗賊を討伐してルクレティアの安全を確保するために部隊を率いて出立してしまったし、グスタフは御用商人であるとともにアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの兵站隊長という肩書も持っていたため、アロイスの後方支援の準備で忙しく参列できなかったのだ。


 アルビノであるカールは日中は寝室から出ることが出来ない。だからこそ、カールの寝室で礼拝を行うのだが、礼拝にはそれなりの舞台をしつらえる必要がある。そこで、日曜礼拝の時だけカールのベッドの向かいに組み立て式の祭壇が用意されることになっていた。ある程度おおまかには使用人たちが組み立てるが、聖像など一部の装飾品類は礼拝のために教会から来る聖職者らの手によって設置される。当然、その作業はカール達がいる目の前で行われていた。

 準備作業中、カールのベッドを彼の家族たちが取り囲み、マティアス司祭が礼拝に先立っての挨拶と団欒だんらんを楽しむことになっている。それはカールがまだアルビオンニウムに居た頃からそうだったし、ティトゥス要塞カストルム・ティティでもそうしていた。


「まあっ、大変!!どうしましょう!?」


 突然、祭壇の飾りつけを行っていた修道女が大きな声を上げ、司祭と侯爵家の団欒は中断された。


「どうしたのですか、ザスキア尼シュヴェスター・ザスキア?」


マティアス司祭プリースター・マティアス、申し訳ありません。

 祭壇に使うロウソクを間違って持って来てしまいました。」


 祭壇の飾りつけを行っていた修道女ザスキアはロウソクを納めた木箱をかざして、中身を離れた位置に座っているマティアスに見えるようにした。

 木箱の中にはロウソクが並んでいるが、確かに彼らが見慣れていたいつもの蜜蝋ロウソクとは色合いや形が微妙に異なるようである。マティアスは高齢で目が衰えているせいか、離れた位置からではその違いはわからないようだった。


「見たところロウソクであることに間違いはないようですが、違うのですか?」


「はい…これ、南蛮ロウソクなんです。」


 ザスキアはマティアスにも見えやすくするため、木箱を抱えたまま祭壇の前からマティアスのところまで足早に歩み寄ってきた。


「おお…蜜蝋ロウソクではないのですか?」


 カールの締め切った寝室では日中でもロウソクやランプの灯りが頼りである。薄暗い中で視力の衰えたマティアスがロウソクを一本手に取り、顔の前に持って来て目を凝らして観察しながら訊くと、ザスキアは申し訳なさそうに謝った。


「すみません。一昨日、寄付していただいたものだったのですが、似たような木箱に入れていたので間違って持って来てしまいました。」


 ロウソクには蝋の原材料ごとに違いがある。レーマ帝国で最も明るく上等とされているのがクジラなどの海棲かいせい生物から摂った脂を原料とする鯨油ロウソクだ。これはアルビオンニアの特産品でもある。

 次いで上等とされるのが蜜蝋ロウソクで、ミツバチの巣から採取される蜜蝋を原料としており、煙や煤が出にくい。融点が高いので溶けにくく、暑さで変形していたりすることが少なくて燃焼時間が長い。炎は柔らかな優しいオレンジ色で、ほのかに甘い香りが漂うのが特徴である。

 それらの対極には獣脂で作られる獣脂ロウソクなどがあるが、ロウソク自体が黒く臭いうえに、燃やすと煙や煤が大量に発生し、生臭い悪臭を発する。メリットは安いということだけだが、デメリットが多すぎるので好んで使う者はいない。


 いくつか種類のあるロウソクだが、礼拝には伝統的に蜜蝋ロウソクが使われていた。特にそういう決まり事があるわけではない。鯨油ロウソクが出回るようになる以前は蜜蝋ロウソクが最上等のロウソクであったこと、そして炎の色や甘い香りによって神聖な雰囲気を演出するのに都合が良かったなどの理由から、礼拝には蜜蝋ロウソクを使うのが慣習化していたのだ。


 だが、ザスキアが持ってきたのは南蛮商人が持ってきたロウソクで、植物由来の油…木蝋もくろうを原料にしたロウソクだった。紙を丸めて細いパイプ状にした芯に蝋を分厚く塗りつけて作られたロウソクで、芯の中を空気が通るため炎が大きく、明るさはレーマで作られる鯨油ロウソクの倍以上だ(なお、この明るさは芯の構造に由来するもので、同じ木蝋で糸状の芯のロウソクを作れば、鯨油ロウソクの方が明るい)。煙も少なく、蝋垂れも少ない。そのかわり、炎が常に揺らぐため明るさが安定しないうえに、芯が燃え尽きずに炭化して残るため、時折燃え切らなかった芯を切って長さを調節しなければならない。

 南蛮ロウソクはレーマ産のロウソクよりも明るいが、炎が常に揺らいで明るさが絶えず明滅を繰り返すことと、燃え残った芯を切らねばならない点からアルビオンニアではあまり好まれていなかった。


「仕方ありません。今日はコレを使いましょう。」


 マティアスは小さくため息をつきながらロウソクを箱に戻した。


「司祭様、よろしければ当家の鯨油ロウソクを御用意いたしますが?」


 エルネスティーネが横からそう申し出ると、マティアスは「いやいや」と微笑みながら遠慮した。


「別に南蛮ロウソクでは都合が悪いと言うことはありません。

 これも神のおぼしでしょう。

 むしろいつもより明るくなって、聖書が読みやすくなるかもしれませんよ。

 ザスキア尼、構いませんから今日はコレを使いましょう。」


 マティアスがそう言うとザスキアは「かしこまりました。」とホッと安堵したように言うと、祭壇の準備に戻って行った。


「それにしても、南蛮ロウソクを寄付された方がいらっしゃるのですか?」


 エルネスティーネが祭壇の飾りつけに戻るザスキアを目で追いながらマティアスに尋ねる。ロウソクは決して安いものではない。庶民にとっては贅沢品である。まして南蛮ロウソクは輸入品で、南蛮にほど近いアルビオンニアではそうでもないが、アルビオンニア以外のレーマ帝国内では珍しさゆえに希少価値があり、そこそこの高値で売れる。地域によっては蜜蝋ロウソクより高い値が付くだろう。


「ええ、どうも最近来た南蛮商人が持ち込んだもののようですな。

 元々売り物ではなく、自分たちで使うための物だったのだそうですが…ロウソク一箱と聖書一冊を物々交換したのだそうですよ。」


 マティアスはロウソクを受け取った際に聞いたいきさつを穏やかに笑いながらエルネスティーネに説明すると、エルネスティーネは目を丸くして驚いた。


「まあ、聖書と!?」


 マティアスはエルネスティーネの驚き様が面白かったのか、クスクスと笑った。


 レーマ帝国も啓展宗教諸国連合の国々に比べると識字率は高い方だが、地域によってバラつきが大きい。都市部では識字率が高く出版物も普及しているが、地方の農村では識字率が低く本は希少である。この点、キリスト教徒の多いアルビオンニアは地方の庶民でも識字率が高い傾向にあった。レーマ正教会が少なからぬ予算を投じて聖書を大量に印刷し、信者に無料で配布したからである。


 レーマ帝国内ではキリスト教の立場は悪く、またレーマ帝国内では亡命者に過ぎないランツクネヒト族がアイデンティティを保ち続けるのは困難だった。レーマ帝国は良くも悪くも多民族多種族国家であり、種族や人種の違いにはさほど頓着しない。その中では民族意識は薄れやすく、むしろそんなものは捨てた方が生きやすいくらいだ。

 亡命してきたランツクネヒト族の有志たちはそのことに危機感を抱いた。彼らは大戦争が終われば故郷に戻り、ランツクネヒト族の国を創ることを志していたのである。なのに、彼らの下に結集すべき同胞たちは民族の違いに対して寛容すぎるレーマ帝国の中で同化され、吸収されようとしている。


 このままではランツクネヒト族は消滅してしまう。


 そう考えた彼らが民族としてのアイデンティティを確立し、堅持するための拠り所として選んだのが宗教だった。キリスト教をランツクネヒト族の精神的支柱としたのである。そしてそのために設立されたのがレーマ正教会であり、そのためにレーマ正教会が実行したのが聖書の無料配布だった。ランツクネヒト族にキリスト教への信仰を堅持させ、同時にレーマ帝国内でのキリスト教への理解を広めるには、それがもっとも効果的と考えられたのである。

 結果としてそれは成功を納めたと言っていいだろう。ランツクネヒト族は自らの民族意識を強く持つようになり、ランツクネヒト義勇軍アウクシリア・ランツクネヒトは高い結束力を獲得したし、最終的にはアルビオンニア属州を得たのだから。


 このため、ランツクネヒト族ならどの家庭でも最低一冊は聖書がある。下手すると家族全員が一冊ずつ持っていたりする。もちろん、無料で配布されるのは活版印刷で大量に刷られたものであり、表装も安っぽいものである。

 ただ、貴族や豪商など富裕層は、やはり金をかけて上等な表装をほどこされた立派な聖書を持つ傾向にある。エルネスティーネも実家が豪商なだけあって、それなりに豪華な聖書しか見たことが無かった。その彼女からすれば、聖書をロウソクと交換するというのは暴挙のように思えただろう。


「もちろん、聖書と言っても活版印刷で刷ったものです。

 教会が無料で配ったもので、誰もが持ってるものですよ。」


「それにしても聖書をですか?」


 エルネスティーネは教会が聖書を印刷して配っている事は知っていた。そのためのお金を寄付したこともある。ただ、実物は見たことがなかった。

 いぶかしむエルネスティーネにマティアスは笑い話でも披露するかのように続けた。


「ええ、その人は明日売って金に換えようとロウソクを家に持って帰ったところ、奥方に見つかってしまいましてね。

 聖書をロウソクと交換するなんてとんでもないと怒られまして…」


「それは当然ですわ」


「しかし、南蛮商人はもう帰った後で聖書を取り戻すことも出来ない。

 それで、その人は教会で新しい聖書を貰い、代わりにロウソクを寄付するよう、奥方に言われたのだそうです。」


 マティアスの話が終わったころ、ちょうど準備も終わったようだった。というより、準備が終わったがマティアスが楽しそうに話をしていたので、それが途切れるのを待っていたのだろう。ちょうどいいタイミングで助祭が「準備が整いました」と物静かに報告する。見ると南蛮ロウソクは通常のロウソクを大きく上回る炎を上げて勢いよく燃えあがり、祭壇をいつも以上に明るく照らしていた。

 マティアスは満足そうに微笑むとヨイショと掛け声をかけて立ち上がった。


「さて、用意が出来たようですな。では始めましょうか?」

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