日曜礼拝の異変

第460話 妻にされた女たち

統一歴九十九年五月五日、昼 - エッケ島兵舎/アルトリウシア



 海賊と他の盗賊たちで何か違いがあるとすれば船を使っているかどうかというだけでしかない。他人を襲って金品を奪い、時に人をさらう…その本質は山賊も海賊も全く同じだ。大概は貧困から逃れるために他人の財産や食料を奪う事からはじめ、次第にそれが常態化していく。

 場合によっては時の権力者におもねって、協力することで権力の側に就く者もある。歴史上に登場した有名な海軍軍人の中には海賊出身者が少なくない。だが、そういうのは全体からすればきわめて例外的な存在だ。全体の九割以上が、最終的に為政者によって捕らえられ、処刑台の露と消える。その稼業に手を染め、適当なところで脚を洗わなければ、待っているのは破滅のみである。

 山賊にしろ海賊にしろ全体の九割近くが、その稼業を始めてから三年以内にあの世へ旅立つことになる。自由な生きざまには、それだけリスクが伴うのだ。


 それでも盗賊稼業が絶えないのは、結局のところ楽に稼げるからに他ならない。普通なら汗水流して一年かけてようやく手に入れる食料を、わずか一日の戦闘で奪えるのだ。三年以内に九割が死ぬというとんでもないリスクから目を背ければ、これほど楽な稼業は無いのである。

 一日の戦闘、興奮、そして手に入れる食料や財宝…そりゃ働くのが馬鹿々々しくなるのは当然だろう。そして一度成功し、二度成功し、数度の成功を繰り返せば、自分は失敗しないと根拠もなく思い込むようになる。いわゆる正常性バイアスという現象だ。このような状態に陥ると、次第に獲物を、そして状況を侮るようになる。


 ある意味、それを象徴しているのがこのエッケ島であろう。この島はかつて海賊たちの拠点が築かれ、島全体が要塞化されていた過去を持っていた。

 海賊は農閑期の農民や漁民などが兼業でやっている場合はそうでもないが、大概は狙っている獲物の近くに拠点を設けたがる。商船の航路が集中する海域にある島、漁村や港湾都市に近い離れ小島や河口の中州などだ。離れ小島や中州が選ばれるのは、陸地から海や川で隔てられているため奇襲を受けにくいからだ。

 エッケ島はアルトリウシア湾の湾口に位置し、湾内にあるセーヘイムなどの集落を襲撃しやすく、同時にアルビオン海峡の東に位置していて海上交通も集中している。商船を狙うにしろ、湾内の集落を狙うにしろ絶好のポジションと言える。


 しかし、海賊に限らず盗賊にとって最良の生き残り策は逃亡である。どれだけ強大な力を持ったとしても所詮はただの“賊”・・・国家から目を付けられ、軍隊を差し向けられれば対抗できるはずもない。ゆえに、危なくなったら…というより、ある程度稼いで目立ちそうになった時点でその地を捨てて身をくらませねば生き残れない。

 だが、このエッケ島に拠点を築いた海賊は何を勘違いしたのか島を要塞化してしまった。結果的にこの地を捨てて逃げるという選択肢を自ら捨ててしまったのである。

 おかげで彼らは油断し、目立ちすぎ、そして討伐されてしまった。所詮は離れ小島、多少防御施設を作ったところで本格的な軍隊の侵攻に耐えられるわけはないのである。


 ともあれ、そのおかげでエッケ島へ逃げ込んだハン支援軍アウクシリア・ハンはその廃墟を利用することが出来た。彼らが“王宮”と呼んでいる竪穴式たてあなしきの巨大なドームハウスもそうだし、港湾施設などもそうだ。そして、海賊たちが暮らしていた住居などもそうである。

 ハン族は元々遊牧民族であり、天幕で生活する。アルトリウシアからの脱出に当たってはもちろん十分な量の天幕を用意していたが、『バランベル』号が沈没した際に多くが海水に浸かってしまい、獣皮製の天幕は大半がダメになってしまっていた。そのうえで、ドナート率いる騎兵部隊によるアルトリウシア平野での活動のために貴重な天幕をいくつか抽出させられており、ゴブリン兵はその数を蜂起前の半分以下にまで減らしているにもかかわらず、天幕の数が不足する事態に陥っていた。それを廃墟や廃墟の建材が補ったのである。


 そうした背景もあって、ゴブリン歩兵たちの多くは海賊たちの廃墟での生活を強いられている。本来約束されていたはずの天幕での生活に比べ、薄暗くジメジメして隙間風の吹きすさぶそれは酷く不潔で、みじめで、不快なものだった。

 その点、騎兵を束ねるドナートはかなり優遇されていると言える。彼には立派な天幕が用意されていたからだ。


 ディンキジクの下を辞したドナートは“兵舎”の並ぶ広場を歩き、その最奥にある天幕群の奥へと進む。途中、幾人もの歩哨ほしょうとすれ違い、その度にされる挨拶に答礼してたどり着いたやけに立派な丸い天幕がドナートの“家”だった。

 玄関先で一人静かにたたずみ、深呼吸をすると、覚悟を決めたようにドナートは中へ入った。


「「!?」」


 突然の侵入者に二人の女が驚き、サッと立ち上がって奥へ逃げて行く。だが、天幕の中は別に区切られているわけではない。入口…家ならば玄関に当たる部分に、外から中が丸見えにならないように衝立ついたてが立てられているだけだ。その衝立の横に回れば、天幕の中はすべて丸見え…先ほど奥へ逃げた二人も壁際で互いに身を寄せ合って不安そうにドナートを警戒している。

 ブッカとホブゴブリンの若い女…ブッカの方はまだ少女と言っていいだろう。二人ともアルトリウシア脱出の際にリクハルド軍を撃退した功績により、ドナートに与えられた女だった。あの蜂起ですべてのゴブリン兵に女があてがわれているが、二人の女をあてがわれたのはドナートだけである。

 しかし、彼女たちからすれば突然さらわれて「今日からお前はこの者の妻となるのだ」などと言われても、「はいそうですか」と納得できるわけではない。ましてや相手は悪名高いハン支援軍のゴブリン兵である。突然、奴隷に堕とされたようなものだ。彼女たちのドナートに対する態度も当然と言えるだろう。


 彼女たちのようにゴブリン兵の妻にされてしまった女たちの多くは力づくで手籠てごめにされてしまっている。中には逃げ出そうとする者も少なくない。泳げないホブゴブリンは船が使えなければエッケ島から出られもしないので、比較的おとなしく諦めている者も多いが、ブッカは男女を問わず泳ぎが得意なのでしょっちゅう逃げ出そうとする。

 表を歩いている歩哨はそうした女たちの逃亡に備えてのものだった。


「安心しろ、夕方にはまた出かける。それまで昼寝するだけだ。」


 ドナートは小さくため息をついてからそう言うと自分のベッドへ歩き、寝るのに邪魔になりそうな最小限の装備を外して寝転がった。そして、わざと壁の方を向いて寝る。

 背中を向けて寝るドナートの姿に、怯えていた女たちは少し安堵したようで、互いに顔を見合わせると警戒を緩めた。


「食い物は、足りているか?」


 ドナートは背を向けたまま二人に声をかけ、気を緩めかけていた二人はビクッとして再び警戒し始める。


「不満かもしれないが、お前たちに与えられている食料は一応、我が軍ではかなり恵まれている方だ。

 信じられないだろうが、あれでもハンの王族とほぼ同じものが与えられているのだ。」


 女たちからすれば、ドナートが何を考えてそう言っているのか分からない。自分は身分が高いからそれだけ凄いモノが得られているんだぞと自慢しているのか、それとも王族と同じものを食べさせてやっているんだからありがたく思えと言っているのか、はたまた彼女たちの境遇を慰めているのか・・・。

 彼女たちは自分たちの食事がかなり恵まれている事自体は理解していた。食事を運んで来るゴブリン兵から聞かされていたし、普段は外出は出来ないが風呂の時に会える他の女たちから、かなり粗末な食事しか与えられていない事を聞いていたからだ。

 だが、だからといって感謝は出来ないし、嬉しいとも思わない。彼女たちの食事はアルトリウシアで生活していた頃に比べて明らかに低質なものだったからだ。満足できるのは量だけで、食材の質や料理内容はかなりみすぼらしい。


 パンはやたら硬くて噛めば歯の方が負けそうになる軍用固焼きパン、野菜と言えば漬物か根菜だけだし、肉も魚介も塩漬けか干物だけ…要するに保存食中心の軍用食だ。唯一新鮮なのは山羊か羊の乳で、それはアルトリウシア脱出の際に攫って来た家畜から採っているらしい。山羊乳や羊乳はまだいいが、時折それに何かの動物の血を混ぜた飲み物が出される。それ以外はワインだが、どう見ても最低級の安ワインロラだ。甘味はわずかばかりのドライフルーツのみ。

 何より最悪なのは、毎日同じ料理、同じ味ということだ。わずかに見られる変化は、山羊乳や羊乳に血が混ぜられているかどうかぐらいで、それ以外はすべて同じなのである。彼女たち自身は料理せず、調理を担当している者が一括して作ったモノを運んで来るのだ。料理も片付けもしないでいいのは楽だが、出される料理が料理だけに不満を抱いてしまうのは禁じ得ない。

 これで外出も好きにできないのだから、牢獄と同じである。


「りょ、量は足りてます。」


 年長の方のホブゴブリンの女が、躊躇ためらいがちに答えた。量は足りている…つまり質は足りていないということだ。女たちは分かっているのだろう。あれも食べたい、これも食べたいと言ってみたところで叶うわけはないと…自分たちが既にエッケ島では最上等の食事をさせてもらっていることが分かっている以上、それ以上を要求しても意味は無い。


「そうか…」


 女が他にも何か言うかと期待して待ったが、それきり何も言わないのでドナートはため息交じりに返事をした。


「少しは、外に出ているのか?」


 しばらくの沈黙の後、再び問いかける。


「い、いえ…出歩いているのを見つかると、兵隊に怒られます。」


 再び、ホブゴブリンの女が答えた。その声には怯えと、わずかな怒気が含まれていた。無理もない…彼女たちにとってドナートは人攫いであり、人買いも同然の男なのだ。気遣いを見せられても、ふざけるなとしか思えない。中途半端に優しくするくらいなら、元のアルトリウシアへ戻してほしいと思っているに違いなかった。


「兵たちにはあとで言っておく。

 海の方までは無理だろうが、この周辺を歩くくらいはできるようにさせよう。」


 ドナートはそれだけ言うと、それ以上の会話を諦めた。

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