第459話 状況の予測

統一歴九十九年五月五日、昼 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストラ・マニ/アルトリウシア



『伺いたい事というのは、何でしょうか?』


 筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスラーウス・ガローニウス・コルウスは降臨者リュウイチからの反問にゴクリと唾を飲んだ。


「はい、リュウイチ様はルクレティア様に魔道具マジック・アイテムをお与えになられました。

 それで、もしその魔道具を通じてルクレティア様の御様子やあちらの状況についていくらかでも御存知でしたら、我らにお教えいただけないでしょうか?」


 そう言うことか!?…会議の出席者たちはラーウスが何故、秘匿すべきとされた情報を報告してしまったのか疑問に思っていたが、ラーウスの質問によってようやくその理由を理解した。

 リュウイチは自分たちが知らない現地の情報を知っている…どうしてかは分からないが、ラーウスはそのことを知ったのだ。彼の上司であり、現在アルトリウシアの領主代行でもあるアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子がラーウスの発言を制止することなく、黙ったままリュウイチの様子を静かに伺っているということは、アルトリウスもそのことを知ったのだろう。

 出席者たちは一斉にリュウイチへ視線を集中させ、会議室はシンと…それこそ水を打ったように静まり返った。


『え~っと…まず、詳しいことは私もまったく分かりません。

 ルクレティアに渡したマジック・アイテムの一つ「地の指輪」リング・オブ・アースに憑いている《地の精霊アース・エレメンタル》が昨夜遅くにけっこうな魔力を使って何か魔法を使ったようです。一昨日の夜もかな?』


 会議室内に「おお~」と低いどよめきが起こり、ラーウスはわずかに身を乗り出してリュウイチに問いかける。


「昨夜と、一昨夜も!?

 いったい、何故、どういう魔法を使ったのかはお判りでしょうか?」


 リュウイチは苦笑いしながら首を横に振った。


『残念ながらそれはわかりません。

 ルクレティアには私と魔力を共有できる、この「魔力共有の指輪」リング・オブ・マナ・シェアリングを渡してあって、彼女が魔法を使うとそれを通じて使った分の魔力を持っていかれるので分かるんですけど…そっちからは魔力をとられていません。ルクレティアは魔法を使ってないみたいです。

 どうやら《地の精霊》は「魔力共有の指輪」を使わなくても私から直接魔力を持っていけるみたいですね。』


「一昨夜につきましては我々は何も把握しておりませんが…。

 既に戦闘があったということなのでしょうか?」


 一昨夜…ルクレティアの一行は予定を変更してシュバルツゼーブルグで一泊し、そこでヴァナディーズが『勇者団』ブレーブスのファドに呼び出されて襲撃されている。《地の精霊》はそのファドを追い払うためにロック・ゴーレムを召喚し、追い払った後は火災や戦闘の痕跡を消すために魔法を使っていた。

 ルクレティアに同行している軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスも護衛隊長のセルウィウス・カウデクスもその辺の事情をルクレティアから聞かされていたが、この時点ではファドの正体は不明なままであったため、早馬を使ってまで報告すべきこととは判断してなかったのだった。

 このため、ラーウスたちは第五中継基地が襲撃されて壊滅したという事以外の情報は何も得ていない。


『それは何とも…どういう魔法を使ったのかは分かりませんので。

 ただ、《地の精霊》には目立つようなことはするなとは言ってあります。

 魔法を使うにしても、光とか音とかを発したり、痕跡を残したりするような…何か人目を引いてしまうような魔法は使わないように命じてありますので、迂闊うかつなことはしないと思います。』


「た、確かにシュバルツゼーブルグ卿からも、一昨夜に何かがあったと言うような報告はありません。

 昨夜については、仮に何かがあったとしても早馬が到着するのは早くても今日の夕刻頃になるでしょう。」


 ラーウスはテーブルに広げられた書類…早馬が持ってきたシュバルツゼーブルグからの報告に目を落としながら言った。一昨夜、もし戦闘があったなら…ましてや目立つような大魔法が行使されたというような異変があれば、間違いなくそこに記載されていなければおかしい。だが、そこには記載がない。ということは、何らかの理由で魔法は使われたが、すくなくとも目立つような戦闘は行われていないということになる。

 会議室には何か釈然としないようなモヤモヤとした空気が漂った。


『それだけ時間がかかるということは、やはりそれだけ遠いのでしょうね?』


「あ、いや…まあそれもあるのですが…」


『遠いというだけじゃなくて、何か他の理由が?』


「ええ、馬の体力に限界があるのです。

 馬も動物ですから、速く走らせれば早く体力が尽きます。それで、早馬は街道沿いに置かれた中継基地スタティオ交換所ムーターティオで疲れた馬を交換しながら来るのですが、今回はその中継基地が潰されております。」


『ああ、馬を交換できないから速く走らせられないと言う事ですか?』


「ご賢察けんさつの通りです。

 中継基地が万全であれば、馬を乗り継ぎながら一日かそこらで着けたでしょうが…こんなことなら、伝書鳩も用意させればよかったかもしれません。」


 レーマ軍ではまとまった数の伝書鳩を常用していたが、現在のアルトリウシアではサウマンディウムとの連絡体制強化のため、保有している伝書鳩の内サウマンディウムへ送る分を増やしているため数に余裕が無かった。そして、ルクレティアの一行が今回そこまで緊急性を要する事態に直面するとも考えていなかったので、ルクレティアの一行に伝書鳩は持たせていなかったのである。

 伝書鳩なら山や川といった障害となる地形を無視できるうえに速度も速い。一頭の馬が移動できるのはどれだけ頑張っても一日に七十~八十キロくらいがせいぜいだが、鳩ならその距離を一時間で飛んでしまう。長文を送ることはできないが、それでも昨夜戦闘があったなら、今頃ラーウスたちも概要くらいは知ることが出来ていただろう。


『でも中継基地が潰されたのって一つでしょう?』


 リュウイチの疑問にラーウスはアルトリウスの方をちらりと見た。この先をどう話していいか判断しかねているのだ。アルトリウスはラーウスの視線に気づくと小さく咳ばらいをして説明を始める。


「リュウイチ様、現在我々が把握している被害は確かに一つです。

 ですが、現地で何があったかを早馬を走らせても届くまでに時間がかかります。」


『報告がまだ届いていないだけで、被害が他にもあると言う事ですか?』


 リュウイチが眉を持ち上げ、伸びあがるようにして言うとアルトリウスは首肯した。


「被害はあったかもしれませんし、無かったかもしれません。

 ルクレティア様御一行が第五中継基地の壊滅を知ったのは昨日の午前…その後、彼らは生存者の捜索と死体の確認だけをして北上を再開しました。

 ルクレティア様の御一行は第三中継基地スタティオ・テルティアにご宿泊の予定ですが、その途中に第四中継基地スタティオ・クァルタがあります。

 もしも第三中継基地や第四中継基地も被害に遭っていた場合、カウデクスセルウィウスアヴァロニウス・レピドゥスセプティミウスが被害報告の早馬を出したとしても、昨日のうちに到着することはできません。昨日の夕刻に早馬を出したとして、夜通し走って今頃到着するかどうかと言ったところでしょう。

 しかし、途中の中継基地が潰されている以上、早馬は走り続けることはできませんから速度を緩めるか、途中で馬を休憩させるしかありません。それだけでも、通常より時間がかかるようになります。

 まして、軍の施設である中継基地が襲われるほど情勢が危険であるならば、夜中に街道上に馬を停めて休ませるのは非常に危険です。現地指揮官の判断で夜明けを待って早馬を出しているかもしれません。第三中継基地から早馬が今朝発ったとしたら、こちらに到着するのは今日の夜中…ですが第四中継基地や第五中継基地が潰されているのであれば、そこからさらに遅れますから、明日の朝方にならなければ着かない可能性もあるのです。」


『それは…最悪の場合を想定した話ですよね?』


 アルトリウスは黙ってうなずくと、鼻の頭を人差し指で軽く掻いてから鼻を啜るようにスッと勢いよく息を吸い込み、話を続ける。


「確かに、最悪の場合を想定した話です。

 ですが、リュウイチ様がおっしゃられた昨夜、《地の精霊》様が魔法を用いられたというのが現地での戦闘を意味するのであれば、そのことを報告する早馬が現地を発つのは今朝でしょう。第五中継基地が潰されていて、第四中継基地も被害に遭っているのなら、その早馬が到着するのは今日の夜遅くか、明日の早朝ぐらいになるでしょう。」


 そこまで話すとアルトリウスは確認を求めるようにラーウスへ視線を向けた。


「閣下の御説明通りだと思います。

 現地で昨夜何があったか、報告が届くとすれば明日の朝であろうと小官は推測いたします。」


『報告の早馬を…の話ですね?』


 その言葉にリュウイチはどうやらもっと最悪な事態を想定ているらしい事に気付き、ラーウスは焦りを隠しながら笑みを浮かべた。


「早馬を事態はおそらくないだろうと小官は考えます。」


『…理由を伺ってもよろしいですか?』


 ラーウスの上ずった声と態度にいぶかしみながらリュウイチは問いかけ、ラーウスはゴホンと咳払いをして気持ちを落ち着かせてから説明を始める。


「はい、リュウイチ様は先ほどルクレティア様は魔法を使っていないとおっしゃられましたね?」


 ラーウスの言いたいことが分からないまま、キョトンとした様子でリュウイチは頷く。


「ルクレティア様の護衛はほぼ半個大隊コホルス、三百名近い精鋭部隊です。将兵合わせて二百五十名ほどの軍団兵レギオナリイ騎兵隊エクィテスが二十騎以上付いています。さらに、リュウイチ様の奴隷たちも…。

 それらが戦闘で早馬も出せなくなるほどの損害を出すような事はまずあり得ません。彼らは我が軍の精鋭で、相手はただの盗賊です。

 それにもし仮に戦闘でそれほどの大損害を出したとしたら、ルクレティア様が治癒魔法をお使いになることでしょう。ですが、ルクレティア様が魔法をお使いになられたご様子は無いのですよね?」


 リュウイチは得心したらしく、声は出さなかったが眉を持ち上げ、口を「おおっ」というように開けて身体を伸びあがらせた。その反応に手ごたえを感じたラーウスはようやく心からの安堵の笑みを浮かべて締めくくった。


「ゆえに、おそらく大規模な戦闘は生じていないものと…少なくともルクレティア様の御一行に心配するような損害は生じていないものと、小官は確信いたします。」

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