第1018話 教会を訪ねる法務官

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ ティトゥス教会/アルトリウシア



 フライターク山噴火による災害被害をモロに被ったアルビオンニウムが放棄され、全住民の強制退去から間もなく二年……アルビオンニウムに半世紀もの期間をかけて建立こんりゅうされたアルビオンニウム司教座大聖堂が土石流に埋まったことでアルビオンニア属州における拠点を喪ったレーマ正教会アルビオンニア教区の、次の司教座が定まるまでの拠点となっているのが、アルトリウシアに建立されたティトゥス教会だ。立地だけは好条件であるにもかかわらず、限られた建築資材で急造された礼拝堂は規模こそは大きいものの、その外観は倉庫を思わせるほど簡素な造りになっている。内部には今や廃墟と化したアルビオンニウムの大聖堂から持ち出された絵画や彫像で飾り付けられ、相応の威容を誇ってはいるものの、キリスト教に興味のない、あるいは懐疑的な多くのレーマ帝国臣民にとっては、そのありがたみは信徒ほどには感じない。むしろそれらが豪華であればあるほど、壮麗であればあるほど、却っていかがわしく感じられてくるのだから不思議なものだ。それが大戦争を戦った敵側陣営の最も主要な宗教なのだから、無意識のうちに心の内にある種の壁を築き、距離感を保とうとしてしまうのも致し方のないことなのだろう。

 今日、珍しく教会を訪れた客人もまた、そうしたキリスト教に対して懐疑的な典型的なレーマ帝国臣民の一人であった。彼は啓展宗教諸国連合側の多くのキリスト教宗派にとって差別の対象となる種族ホブゴブリンであるのだから、キリスト教に対して警戒感を抱くなという方が無理なのだろう。


 神は自身に似せて人間ヒトを創り、すべての被造物を支配する権利を与えた……


 《レアル》からキリスト教がこの世界ヴァーチャリアに伝えられるにあたって、最も問題となった教義がそれである。この世界にはヒト以外の知性ある種族が数多く存在していたからだ。ゴブリン系種族、オーク系種族、オーガ系種族といった亜人たちをはじめ数多くの獣人たち……その総数はヒトよりも圧倒的に多い。いくら降臨者がもたらした宗教とはいえ、いきなり他種族の支配を一方的に受け入れろと言われても無理な話だ。降臨者やその親族を貴族としてあがたてまつる程度ならともかく、降臨者と同じヒト種だというだけのヴァーチャリア人を無条件に崇め奉れと言われても納得できるわけがない。

 だが、啓展宗教諸国連合側の一部のキリスト教徒はそれを強要した。メルクリウスに与えられた精霊エレメンタルを使役する魔力と、そして《レアル》伝来の強力な武器の力によって……啓展宗教諸国連合側の多くの国々で、亜人たちや獣人たちは差別の対象となっており、家畜同然の不当な扱いを受けている。そして少なからぬ数の亜人や獣人たちが救いを求めてレーマ帝国へと逃げ込んできている。それは大戦争が終結し、大協約体制による国際秩序が定着した今になっても変わらない。

 啓展宗教諸国連合から最も遠く、レーマ帝国でも最南端に位置する辺境アルビオンニア属州ともなれば、そうした亡命者たちの存在に触れる機会はまず無いのだが、元々帝都レーマで生まれ育った彼は亡命者の存在に知らないままでいることはできなかったし、今こうして辺境の地に赴任してもこの問題に対する意識は変わらない。その彼にとって、キリスト教は不幸をまき散らす邪教以外の何物でもなく、その教義にも、宗教美術の数々にも、どこか嫌悪感のようなものを掻き立てられずにはいられなかった。


「お待たせして申し訳ありませんでした。

 どうぞこちらへ。」


 憎悪を理性で押し殺した冷たい視線で廊下に飾られた宗教絵画を観察していた彼は、廊下の奥からかけられた柔らかい声に振り向いた。


「突然の来訪にも関わらずご対応いただき、感謝申し上げますマティアス司祭。」


「いえいえ、お気になさらずに。

 神の家の門戸はいつでも誰にでも開かれております。

 まして職務に忠実な法務官殿を拒む扉は持ち合わせておりません。」


 マティアス司祭の歓迎の言葉に、アグリッパ・アルビニウス・キンナは会釈しながら口角を持ち上げ、笑みを返すとマティアスの招きに従って廊下を歩き始めた。窓と窓の間、戸と戸の間、壁という壁にイチイチ絵画や彫像が配置されているのは、アルビオンニウムの大聖堂や大小の教会から引き揚げてきた美術品があまりにも膨大過ぎて収蔵する場所が足らないからに他ならない。実際、アグリッパが案内された応接室にもやはりキリスト教の宗教絵画や彫像で壁という壁が埋め尽くされているような状態だった。


「相変わらず、見事な作品の数々ですな。」


 キリスト教嫌いのアグリッパの口から出たそれは嫌味でもなく感嘆でもない、率直な感想だった。どれだけ美術品好きの上級貴族パトリキ屋敷ドムスでも、ここまでの密度で美術品を並べ立てたりはしないだろう。宗教にも芸術にも興味のない無教養な人間であったとしても、この量の凄さだけは理解できるはずだ。


 恐縮です……と苦笑し、マティアスは続けた。


「正直申しますと、あまりにも数が多すぎて我々の手には少々余っているほどでしてね。

 しかし、歴代侯爵閣下をはじめ数多くの信徒たちが寄進してくれたものばかりですので、粗略に扱うことも出来ません。」


 内心で自慢しながら表面上だけ謙遜して見せる……それは貴族ノビリタスたちが己の権勢を誇る際の常套じょうとう手段ではあったが、アグリッパの印象ではマティアスの言葉に裏表はないようだ。手に余るほどの美術品を管理せねばならないことに、実際に困っているのかもしれない。


「ランツクネヒト族の信仰のあつさには感心するばかりです。」


 席に着いたアグリッパが修道女が淹れたての香茶を目の前に差し出すのを見守りながらごくありきたりな社交辞令を返すと、マティアスは無言のまま手をかざして修道女に退室を促した。


「ランツクネヒト族が故郷を追われ、遠くレーマの地においてもなお民族の結束を保っていられるのは、神の御導きがあったればこそです。

 ランツクネヒト族ならば、その神の教えに感謝を抱くのは自然なことでしょう。」


「なるほど、それこそが神の恩寵おんちょうというわけですか……」


 修道女が静かに退室すると、応接室はアグリッパとマティアスの二人だけとなった。二人の前に置かれた二つの茶碗ポクルムから、香茶が静かに湯気を立ち昇らせる。


恩寵おんちょうあつき存在に感謝の念を抱くのは、キリスト者だけではございますまい?」


 同意を求めるマティアスに、アグリッパは微笑み返す。


「もちろんです。

 私も十二主神ディー・コンセンテスを崇める身。

 それが異教の神であろうと、信仰自体に疑問を抱くつもりはございません。」


「御同意いただけて何よりです。」


「しかし……」


 マティアスが会釈するのと同時にアグリッパがまるで釘でも差すかようにひときわ高い声を発し、マティアスは表情をわずかに硬くしてアグリッパへ視線を戻した。


「すべての人が等しく恩寵おんちょうに感謝するとは限りません。

 中には、恩寵おんちょうそのものに気づかぬ者もいるでしょう。

 受けた恩を恩とも思わず、感謝どころかもっともっとと図に乗る者。

 あるいは恵みたまう方の御心みこころも解せず、当たり前のものと誤解する者。

 それどころか受けた御恩を逆恨みする者。

 はたまた、恩をあだで返す者。」


 マティアスの視線の先のアグリッパは、極ありきたりな世間話をするかのような態度と表情ではあったが、その目は冷徹に、まっすぐマティアスを射抜くようである。


「そのような不届きな者ども……いるとは思いたくありませんが……」


「いますとも!」


 アグリッパは再びマティアスの話をさえぎった。緊張で頬をわずかに強張こわばらせるマティアスに、アグリッパは柔らかな口調で続ける。


「だから私のような者が居るのです。

 法の秩序を守るためにね。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る