第1018話 教会を訪ねる法務官
統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ ティトゥス教会/アルトリウシア
フライターク山噴火による災害被害をモロに被ったアルビオンニウムが放棄され、全住民の強制退去から間もなく二年……アルビオンニウムに半世紀もの期間をかけて
今日、珍しく教会を訪れた客人もまた、そうしたキリスト教に対して懐疑的な典型的なレーマ帝国臣民の一人であった。彼は啓展宗教諸国連合側の多くのキリスト教宗派にとって差別の対象となる種族ホブゴブリンであるのだから、キリスト教に対して警戒感を抱くなという方が無理なのだろう。
神は自身に似せて
《レアル》からキリスト教が
だが、啓展宗教諸国連合側の一部のキリスト教徒はそれを強要した。メルクリウスに与えられた
啓展宗教諸国連合から最も遠く、レーマ帝国でも最南端に位置する辺境アルビオンニア属州ともなれば、そうした亡命者たちの存在に触れる機会はまず無いのだが、元々帝都レーマで生まれ育った彼は亡命者の存在に知らないままでいることはできなかったし、今こうして辺境の地に赴任してもこの問題に対する意識は変わらない。その彼にとって、キリスト教は不幸をまき散らす邪教以外の何物でもなく、その教義にも、宗教美術の数々にも、どこか嫌悪感のようなものを掻き立てられずにはいられなかった。
「お待たせして申し訳ありませんでした。
どうぞこちらへ。」
憎悪を理性で押し殺した冷たい視線で廊下に飾られた宗教絵画を観察していた彼は、廊下の奥からかけられた柔らかい声に振り向いた。
「突然の来訪にも関わらずご対応いただき、感謝申し上げますマティアス司祭。」
「いえいえ、お気になさらずに。
神の家の門戸はいつでも誰にでも開かれております。
まして職務に忠実な法務官殿を拒む扉は持ち合わせておりません。」
マティアス司祭の歓迎の言葉に、アグリッパ・アルビニウス・キンナは会釈しながら口角を持ち上げ、笑みを返すとマティアスの招きに従って廊下を歩き始めた。窓と窓の間、戸と戸の間、壁という壁にイチイチ絵画や彫像が配置されているのは、アルビオンニウムの大聖堂や大小の教会から引き揚げてきた美術品があまりにも膨大過ぎて収蔵する場所が足らないからに他ならない。実際、アグリッパが案内された応接室にもやはりキリスト教の宗教絵画や彫像で壁という壁が埋め尽くされているような状態だった。
「相変わらず、見事な作品の数々ですな。」
キリスト教嫌いのアグリッパの口から出たそれは嫌味でもなく感嘆でもない、率直な感想だった。どれだけ美術品好きの
恐縮です……と苦笑し、マティアスは続けた。
「正直申しますと、あまりにも数が多すぎて我々の手には少々余っているほどでしてね。
しかし、歴代侯爵閣下をはじめ数多くの信徒たちが寄進してくれたものばかりですので、粗略に扱うことも出来ません。」
内心で自慢しながら表面上だけ謙遜して見せる……それは
「ランツクネヒト族の信仰の
席に着いたアグリッパが修道女が淹れたての香茶を目の前に差し出すのを見守りながらごくありきたりな社交辞令を返すと、マティアスは無言のまま手を
「ランツクネヒト族が故郷を追われ、遠くレーマの地においてもなお民族の結束を保っていられるのは、神の御導きがあったればこそです。
ランツクネヒト族ならば、その神の教えに感謝を抱くのは自然なことでしょう。」
「なるほど、それこそが神の
修道女が静かに退室すると、応接室はアグリッパとマティアスの二人だけとなった。二人の前に置かれた二つの
「
同意を求めるマティアスに、アグリッパは微笑み返す。
「もちろんです。
私も
それが異教の神であろうと、信仰自体に疑問を抱くつもりはございません。」
「御同意いただけて何よりです。」
「しかし……」
マティアスが会釈するのと同時にアグリッパがまるで釘でも差すかようにひときわ高い声を発し、マティアスは表情をわずかに硬くしてアグリッパへ視線を戻した。
「すべての人が等しく
中には、
受けた恩を恩とも思わず、感謝どころかもっともっとと図に乗る者。
あるいは恵み
それどころか受けた御恩を逆恨みする者。
はたまた、恩をあだで返す者。」
マティアスの視線の先のアグリッパは、極ありきたりな世間話をするかのような態度と表情ではあったが、その目は冷徹に、まっすぐマティアスを射抜くようである。
「そのような不届きな者ども……いるとは思いたくありませんが……」
「いますとも!」
アグリッパは再びマティアスの話を
「だから私のような者が居るのです。
法の秩序を守るためにね。」
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