第183話 リュキスカの行方

統一歴九十九年四月十七日、午前 - 《陶片》満月亭・応接室/アルトリウシア



「話と言うのは女の事だ。」


「ハッハッハ、ここは売春宿ポピーナです。いくらでも用立てますとも。」


 話を切り出したクィントゥスにヴェイセルは大様おうように応じる。それはヴェイセルの相手を飲んでやろうという気構えの現れであったが、クィントゥスはあくまでも冷静かつ事務的に話し続ける。


「いや、女は一人で良い。」


「これはこれは、一途いちずなことですな。

 店の女なら見取みどりです。

 しかし、今はまだお昼にもなっていませんし、女たちが仕事を始めるのが午後からです。

 今しばらくお待ちいただきたいですな。」


「リュキスカという名の女だ。」


 その名にヴェイセルは笑顔を張り付けたままピタリと止まり、目を少し見開いた。

 それは昨夜、謎の客に連れ去られたまま帰ってこないヒトの娼婦。今ラウリの手の者が八方手を尽くして捜索している真っ最中だった。


 軍団レギオーが関係している!?


 驚きを隠しきれないヴェイセルではあったが、かといってここで狼狽うろたえてはこの後、話を進めていく上で主導権を取れない。

 ヴェイセルはあえてすっとぼけることにした。


「・・・リュキスカは・・・ヒトの女ですよ?」


 眉を寄せ、いかにも「何を言ってるんだ?」と言わんばかりの表情を作って見せる。


 ゴブリン系同士であればまだ異種間での性交は普通と言える範囲内だが、ヒト種とゴブリン系種族との性交渉はこの世界ヴァーチャリアでは立派な「変態行為」と見做みなされる。

 ヒト種とゴブリン系種族の男性器は形状が酷似しているので性交渉自体は普通に可能ではあるが、子供は出来ない。そして女性器の形状が異なり、ヒト種の女性器は陰核クリトリスが性器の外側にあるのに対して、ゴブリン系種族の女性器は内側にある。このため、ヒト種の女性は性交で時間をかけねば性的絶頂に達しないのに比べ、ゴブリン系種族は性交の際にごく短時間で性的絶頂を迎える。性行為の過程や時間がヒト種とゴブリン系種族では全然違うのだ。


 早い話、ゴブリン系種族の男はヒト種に比べて。三こすり半もできれば「絶倫」と称えられるか「遅漏」と陰口叩かれるかしてしまう。

 ただでさえゴブリン系の女に比べて痩せっぽちな上に、自分のイチモツでイかせる事の出来ないヒトの女を抱こうというゴブリン系種族の男なんかいないし、自分は何度もイかされながら何分間もの間射精もせずに突き続けるヒトの男に好き好んで抱かれたがるゴブリン系種族の女もいないのだ。

 

 にもかかわらず、アンタクィントゥスはヒトの女を抱きたいんですか?・・・と、あえて早合点して返答する事で、ヴェイセルはクィントゥスに揺さぶりをかける。


「知っている。」


 ヴェイセルの期待に反してクィントゥスは動揺を見せず、サッと聞き流した。


「ふむ、リュキスカをどうなさりたいのですかな?」


「彼女を・・・彼女と彼女の子供を身請みうけしたい。」


 なるほど、リュキスカの失踪に軍団レギオーが関わっているのは間違いないようだ。しかし、だからと言ってそのまま受け入れるわけにはいかない。

 多少なりとも事情を把握しない事には容認できる話では無いし、少なくともラウリがここに到着するまでは時間を稼がねばなるまい。・・・そう考えたヴェイセルは時間の引き延ばしを図る。


「なるほど、それにはまず本人の意思を確認しなければなりませんなぁ・・・

 しかし、生憎と彼女は昨夜から姿が見えませんものですから・・・」


 わざとらしく、いかにも困ったような表情かおを作ってゆっくり話しながら悩んでいるふりをする。しかし、その間もずっと彼の視線はクィントゥスから離れる事は無かった。

 クィントゥスは咳ばらいを一つして・・・


「彼女の身柄は我々が知っている。」


「ほぉ!そうでしたか!?

 実は昨夜、一人の客に連れ去られてから、手の者が探し続けていたのですよ!

 いったいどちらに!?」


 あえて大袈裟に驚き、そして喜んで見せるヴァイセルの反応はいかにも芝居がかってはいたが、それに実際に対するクィントゥスには意外なほど効果を発揮していた。負い目とは時に精神の防御力を著しく低下させる。

 クィントゥスは顔の表情は全く変えずポーカーフェイスを保っていたが、喉を鳴らして唾を飲み込み、言葉選びに時間をかけ始めた。


「彼女は・・・昨夜彼女を買った客と今も一緒にいる。

 その客は大変高貴な方で、御身分を明かす事が出来ない。

 しかし、彼女を大変お気に召され、身請みうけしたいとおっしゃられた。」


「なるほどぉ・・・しかぁしぃ、それには彼女のぉ、意志を確認させていただきませんことにはぁ・・・」


 ヴェイセルのもったいぶった話し方はクィントゥスの感情を揺さぶるのには十分なものだったが、クィントゥスは己の立場をわきまえている。苛立ちは自覚していたが、それを表に出すほど軽率ではない。


「もちろんだ。

 彼女の同意は得ている。

 そして、そのために彼女の子供を引き取りたいのだ。」


「そぉうでしょうとも!

 ただぁ・・・私も彼女に会って確認したいのですよぉ。

 そのぅ・・・大変申ぅし上げにくいのですがぁ、私はカッシウス・アレティウスクィントゥス様のことを存じ上げないものですから・・・」


 ヴェイセルの顔はにこやかだが言っている事は罵倒に近い。お前の事なんか信用できんと言っているようなものだからだ。

 実際、クィントゥスが持ち掛けてきたような話は誰か有力者か共通の知り合いを通じて申し入れるべきことで、初対面の相手にアポも無しでいきなり吹っ掛けていいような話ではない。クィントゥスは常識を疑われるような事をしているのだし、もしもヴェイセルがそれに応じてしまったらヴェイセルも世間から良識を疑われてしまうだろう。

 まず、今後彼が商売を続けていくことは出来なくなってしまうに違いない。


 ヴェイセルは言外げんがいに「一昨日来やがれ」と言ってるのだった。


店主ドミヌスのおっしゃりたい事は理解しているつもりだ。

 このような話を突然持ってきた事の非礼はお詫びする。

 しかし、だからと言って我々も簡単に引き下がるわけにはいかんのだ。」


 クィントゥスは静かに深呼吸してから、失いかけていた冷静さを取り戻して続けた。その様子にどうやらガキの使いではないようだと察したヴェイセルは表情を消した。


「・・・・・ふーむ・・・彼女は生きておるんでしょうな?」


 クィントゥスの顔を覗き込むように身を乗り出して言うヴェイセルに、クィントゥスは力強く答えた。


「無論だ!」


「いや、世の中には女を傷つけて喜ぶ類の男もおりますからなぁ。

 もしや、あやまって殺してしまって、それを隠すためにぃ・・・とかね?」


「いや、そのような事はない。彼女はちゃんと無事でいる。

 だいたい、それがホントなら子供を引き取るなどとは持ち掛けないのではないか?」


「なら、せめて彼女に会わせていただけませんかねぇ?」


 ヴェイセルが片眉をあげて作り笑いを浮かべる。

 独占欲が強すぎて女を監禁してしまう男と言うのは残念なことにどの時代、どの国にもいる。もちろんこの世界ヴァーチャリアにもだ。そして、そうしたトチ狂った男の欲求の対象にされてしまいそうになる娼婦は珍しくない。ヴェイセル自身もそういう男や被害にあった娼婦たちを過去に何度か見てきている。

 そうした被害から女たちを守る事が、こういう商売をしている男にとって大切な役割であることをヴェイセルはよく理解していた。娼婦たちに店の外で客を取らせないように言い聞かせているのも、自分たちがその役目を果たせるようにするためだった。

 今、ヴェイセルの目の前にいるクィントゥスが、そうしたトチ狂った独占欲の持ち主だとは思わないが、昨夜リュキスカを連れ去った客が、そしてクィントゥスを代理人としてここに遣わせた人物が、そういうトチ狂った独占欲の持ち主である可能性は決して否定できない。

 むしろ、今現在その可能性を最優先で想定しなければならないと言えるだろう。


 確かに昨夜訪れた例の客はとんでもない御大尽ぶりだった。十枚以上のデナリウス銀貨をバラまき、リュキスカをその気にさせてしまった。

 リュキスカはあれで賢い部類の女だが、あれだけの羽振りの良さを見せられれば気を許してしまうのも仕方ないかもしれない。実際、ヴェイセル自身も厨房からチラッとその姿を見て、羽振りと身なりの良さにすっかり気を許してしまっていた。

 だが、あの客はリュキスカをさらって行ってしまった。


 彼自身、油断があったことは否定できない。リュキスカの軽率を非難することも、彼にはできない。

 しかし、だからと言ってリュキスカを連れ去ったまま返そうとせず、あまつさえ身分を隠したまま代理人を送ってよこすような男を許す気にはなれなかった。


 笑顔の下に怒りをたぎらせるヴェイセルの心情を察しながらも、いやそうであるからこそ、クィントゥスは心苦し気にかぶりを振った。


「すまないがそれはできない。」


「何でです?」


「理由は言えない。」


「言えない理由は?」


「軍機に触れる。」


「軍機ねぇ・・・すると、今あなたがこうしてここに来ているのも軍務ですか?」


「そう思っていただいて構わない。」


 ヴェイセルはフーッと大きく息を吐きながら背もたれに上体を預けた。


「お気づきですか?

 これは軍団レギオーが人さらいを手伝ったと言ってるようなものですよ?」


「それは違うが、店主ドミヌスの立場からはそのように見えてしまうのは理解している。」


 その時、ドアがノックされた。


「何だ!?」


 ヴェイセルが姿勢を変えずにクィントゥスを見たまま問いかけると、ドアの外から女の子の声で返事が返ってきた。


「お茶をお持ちしました。」


 ヴェイセルは姿勢も視線もそのままで両眉をキュッと持ち上げ、フーッと息を大きく吐いてから「入れ!」と大きな声で命じる。

 ドアが開いて十二、三くらいのヒトの女の子がティーセットの乗ったカートを押して入って来ると、ヴェイセルとクィントゥスは椅子に腰かけなおした。

 ひとまず水入りである。

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