第182話 潜伏準備

統一歴九十九年四月十七日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 リュウイチとリュキスカの朝食イェンタークルムが終わったのはそろそろ人々の挨拶がおはようボヌム・マーニからこんにちはサルウェーに替わろうかという時間帯だった。

 その間、奴隷たちはルクレティアとヴァナディーズの部屋クビクルムからは離れていてなるべく目立ちにくい寝室クビクルムを選び、掃除して家具・寝具を整え、も用意しいていた。

 朝食を終えたリュウイチが食堂トリクリニウムを出る際にリウィウスが事情を説明し、リュウイチとリュキスカをその部屋へ案内する。


 そこは二階の角部屋だった。

 私的エリアの二階のすべての部屋は庭園ペリスティリウムを見下ろすように囲むベランダ状の廊下に面しているので、同じく二階の寝室クビクルムで寝起きしているルクレティアやヴァナディーズからリュキスカの寝室クビクルムが全く見えないというわけではないが、ルクレティアとヴァナディーズが公的エリアに近い寝室クビクルムを使っているのに対し、リュキスカ用に割り当てた寝室クビクルムは奥側なので、夜中にうっかり光でも漏らしたり迂闊うかつに出歩いたりしない限りは多少の物音が立っても気づかれない筈だった。


『じゃあ、リュキスカはしばらくの間この部屋で寝起きしてもらう事になると思う。』


「うわっ、兄さんの部屋も広かったけどここもまた随分広いじゃないか!?

 ホントにこんなトコ使わしてもらっていいのかい?」


 『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』で貸しているようなのような一ピルム半四方(約七・七平方メートル)程度の部屋を想像していたリュキスカは驚いた。

 どうせ使用人部屋だろうし寝起きするのにベッドと少しの荷物を置ける程度の広ささえあれば十分だと思っていたが、ここにはそれだけでは飽き足らず人が寝れそうなテーブルとそれを挟むように長椅子クリナイが置かれている。まるで寝室クビクルム食堂トリクリニウムを合わせたような部屋で、しかも壁際には見た事も無いような家具が並べて置かれていた。

 ベッドもリュウイチの寝室クビクルムにあった奴ぐらい大きくて、真ん中に寝転がったリュキスカが手足をどの方向に伸ばしたとしてもベッドから手先足先がはみ出る事はない。

 天井は高くてやたら太い梁が渡されているが、それらはタールで黒く塗られている。しかし、壁にはあかるい黄色を基調とした壁紙が貼られていて、天井近くに採光窓があるため暗さはあまり感じない。


 リュキスカが「はぁー・・・」と感嘆の声を漏らしながら、阿呆みたいに口をポカンと開けたまま室内を見回す。


『あれ、赤ちゃん用のベッドは?』


「あぁ・・・そんなモンは多分ココにゃあ無ぇですが、探させやす。

 もしかしたら注文する事になるかもしれやせんが、そしたら少しお時間を頂く事になるかもしれやせん。」


 リウィウスが申し訳なさそうに言うと、リュキスカがクルっと振り返って今日初めての作り笑いじゃない笑顔を見せた。


「いやぁ、何か悪いねぇそんなにしてもらっちゃって。」


「とんでもねぇこって、んじゃあ部屋の中のモンの御説明をさせていただきやす。」


 リウィウスがリュキスカに部屋の中にある物の説明を始める。

 どこに何があるか、何をどうすればいいか・・・などだが、そもそもリュキスカ自身の持ち物があるわけではないので、予備の布巾スタリオの場所とかの使い方とか、洗い物や洗濯物の出し方や汚れ物の始末の仕方などだ。

 リュキスカは物珍しさからイチイチ、へぇとかホォとか大袈裟なくらいに声をあげて驚いている。


「へぇーっ、コレが!?

 ただの椅子にしか見えないね。」


「こうしてフタを外すとホレ、穴が開いてまさ。

 で、中のこの真鍮の容器がで・・・」


「はぇーっ!真鍮のなんて初めて見たよ。」


「フタを開けて、ここに座って用を足すんでさぁ。

 で、終わったらこの肘掛けンとこのフタを開けると、ケツ拭き用の布巾スタリオが入ってやすんで、これで拭いてくだせぇ。

 使い終わったら言ってくれりゃは交換しやすんで。」


「はぁーっ・・・貴族パトリキ様は布巾スタリオでお尻拭くのかい。

 いやはや、贅沢だねぇ。

 で、拭いたのはどうすんだい?」


 この世界ヴァーチャリアでも紙は結構な規模で量産されているが、トイレットペーパーはまだない。読み終わった官製日報アクタ・ディウルナを手で揉んで柔らかくしてからトイレットペーパー代わりに使う人はいないわけでは無いが一般的ではない。

 貧民パウペルたちは別の桶に汲んできた水を使って手で洗ったり、あるいは干し草を手で揉んでよく柔らかくしてから拭いたりする。ある程度以上の余裕のある人物なら棒の先に海綿をくくり付けたブラシのような器具で洗う。海綿には酢水または塩水を含ませてあり、洗い終わったら海綿だけを捨て、棒だけ使いまわす。

 富裕層になると何らかの布を使う。富裕層本人は使い捨てるが、使い終わった布は使用人や奴隷たちが回収して洗って数回使いまわす。

 リュキスカは貧民パウペルなので当然干し草で拭くか水で洗うかだが、妊娠中から出産後しばらくは痔になってしまったので、アルトリウシアに来てからはずっと水で洗っていた。



「ああ、ん中へ捨てて下せぇ。」


「え!?捨てちゃうのかい?

 洗って使うんじゃなくて!?」


「あ・・・」


 リウィウスは思わず絶句する。ホントは使用済みの尻拭き布巾用の回収容器があったのだが、ココでは使われていなかった。

 使用済みのを集めてリュウイチが浄化魔法をかけるとアラ不思議。から汚物が消えて、中には新品のように綺麗な尻拭き用布巾だけが残されている・・・というのがココでのやり方だったのだ。

 リュウイチの浄化魔法の事も当然隠さねばならない事なのに、リウィウスはついいつも通りのやり方について話をしてしまった。


 どうする?どう誤魔化す?


「さすが上級貴族パトリキ様は贅沢なんだねぇ。」


「あ、ああ・・・まあな。」


 幸い、リュキスカは上級貴族パトリキの贅沢の一環と勘違いしてくれ、リウィウスは胸をなでおろす。


「で、そのが出たってどう知らせりゃいいんだい?」


「え?」


「さっき食堂トリクリニウムアンタリウィウス兄さんリュウイチに話してたじゃないか。

 アタイも他の人に見つかっちゃいけないんだろ?」


「あ、ああ・・・それを分かってくれんなら話が早ぇや。

 一応、一時間か二時間に一遍誰か見回らせる。

 そん時にドアの下の隙間から目印に何か出しといてくれりゃ、そん時に見回った奴がタイミング見計らって戸を開けて用事を訊く・・・そんでいいか?」


「ふん・・・わかったよ。」


「っと・・・言葉遣い、言葉遣い・・・説明はこれで全部でやすが、何か訊きてぇことや分かんねぇ事はありやすか?」


「いや・・・多分大丈夫だよ。」


 後ろで様子を見ていたリュウイチが声を声をかけた。


『終わったんならこっち来てもらっていいかな?

 服を選んで欲しいんだが』


 振り返るとテーブルメンサ長椅子クリナイに色んな服が置かれていた。


「ちょっと兄さんアンタ、コレ出した時もそうだったけど、こんなにイッパイどこから出したんだい!?」

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