第184話 早馬

統一歴九十九年四月十七日、午前 - セーヘイム/アルトリウシア



 セーヘイムの郷士ドゥーチェにしてブッカたちの族長、そしてアルトリウシア艦隊クラッセムクェを率いる艦隊司令プラエフェクトゥス・クラッシスであるヘルマンニは今軍船ロングシップ『スノッリ』号の船上の人となった。船員たちは『バランベル』号追跡に加わり損ねた水兵ら二十名。

 面子は寄せ集めな上に人数も定数の半分しかいなかったが、老練な船乗りでもあるヘルマンニの指揮の下で良くまとまり、効率よく操船作業をこなしていく。


 彼らの今回の航海目的は単なる送迎であった。サウマンディアへ帰るカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子とアントニウス・レムシウス・エブルヌス卿および彼らの従者たちをアルトリウシア湾の入口にあるトゥーレスタッドまで送り届ける。

 トゥーレスタッドまで行けば彼らが乗ってきたのとは別のスループ艦がサウマンディアから迎えに来ている筈だった。


 セーヘイムからトゥーレスタッドまでは、ブッカたちの操る軍船ロングシップなら三時間かかるかどうかぐらい。今日は漕ぎ手の人数がいつもより少ないが風も波も穏やかなので三時間弱ぐらいで着けるだろう。

 ヘルマンニにとってはちょっとした散歩のような、日帰りの航海だ。


 岸にはいつものように多くの人たちが見送りに来ている。大部分は動員をかけられた被保護民クリエンテスたちだったが、その中にはエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人、ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵、そしてアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子の姿もあった。


 桟橋から離れ、湾内で舳先を出口に向けるべく旋回していた『スノッリ』号が針路を定めると、漕ぎ手のリズムを合わせるための太鼓がリズミカルに響き始め、船は本格的に加速していく。

 太鼓が鳴り始めるとともに岸から見送る人たちの歓声は最高潮に達したが、それは船が港の出口に達すると共に急速に収まっていった。



「さて、我々も帰るとしますかな?」


 見送りに動員されていた被保護民クリエンテスたちが三々五々、船着き場から帰っていく様子を脇に見やりながらルキウスがヤレヤレとでも言う風に口にすると、エルネスティーネは「そうですね」と返した。


「お帰りですか?

 お昼にはいささか早うございますが、ささやかながら昼食ブランディウムなど御用意いたしております。

 当家にお寄りいただければ幸いに存じますが・・・」


 彼らの脇に控えていたヘルマンニの妻インニェルが慇懃いんぎんに訊ねる。その脇にはメーリも控えていた。

 レーマ帝国で昼食は間食とほぼ同じ扱いである。庶民の中にはガッツリ食事をする者もいないわけでは無いが、貴族は食べないか食べたとしても小腹を満たす程度にしか食べない。

 インニェルが用意していたのもお茶と菓子の類だった。



「お気遣い感謝します、インニェルさん。

 是非およばれしたいところですけど、今日は所用がございますの。」


「左様でございますか。

 残念ですが、無理にはおとめいたしません。」


 いつものインニェルであれば無理にでも誘ったかもしれないが、昨日からエルネスティーネの息子カールが体調を崩しているらしいという話を聞いていたインニェルはあっさりと引き下がった。


子爵閣下ルキウスはいかがなさいますか?

 もし、当家にお寄りいただければ幸甚に存じます。」


「せっかくのお誘いだが、私も残念ながらマニウス要塞カストルム・マニへ視察の予定がありましてな。

 お前はどうするアルトリウス?」


 ルキウスはアルトリウスが自分と同じくマニウス要塞へ戻るであろう事ぐらいは承知していた。ルキウスはリュウイチの様子を見に行く予定だったし、アルトリウスもそれは同じだったが、にマニウス要塞に何かがあると悟られないため、あえて芝居を打って質問したのだった。



「はい、せっかくのお誘いですが私も軍務がありますので。」


「左様でございますか。

 残念ですわ。」


 インニェルは意外なほどあっさり引き下がった。いつものインニェルはそれこそ親戚のおばちゃん並みにしつこい。実際、アルトリウスにとっては幼馴染の親友サムエルの母親であり、インニェルは家族以外で最も親しいおばちゃんで、成人した今でも貴族とは思えないくらいに過剰におせっかいを焼きたがるところがあった。



「この埋め合わせは後日・・・

 また早いうちにウチに御招待させていただこうと思います。」


「いえ侯爵夫人、どうかお気遣いなく。

 そう言えば、本日はスパルタカシアルクレティア様はいらっしゃらなかったのですね?」


 ルクレティアから聞き出して事情を知っていたインニェルは彼らを家に招待するのを形ばかりにとどめた。彼らの負担にならないようインニェルなりの気を使ってのことではあったが、インニェルに対して隠し事をしている彼らはインニェルがあっさり引き下がった事に却って後ろめたさを募らせてしまう。

 それを察したインニェルはエルネスティーネの詫びを軽くかわして話題を切り替えた。


 本来なら立場上来ていておかしくないルクレティアの姿が見えない。

 実はルクレティアは朝食を済ませてからすぐにマニウス要塞カストルム・マニへ向かっていた。

 昨夜、ルクレティアは会議の後、父ルクレティウスから懇々こんこんと話を聞かされた。お説教をされるような雰囲気ではあったが、説教とはまた違う。話を聞かされるルクレティアからすれば、何だか理由の分からないことで意志の再確認を迫られているような印象を受けた。

 実際にそうだった。

 ルクレティウスはルキウスやエルネスティーネから、リュウイチがルクレティアを娶る意思が無いことを聞かされ、ルクレティアのことを案じていた。そのことをルクレティアに告げるほどルクレティウスは無神経ではなかったが、だからと言ってそのまま放置して愛娘ルクレティアが傷つくのも見たくはない。かといってルクレティアが子供のころから憧れていた聖女になる機会を、自らのおせっかいでつぶしたくもない。

 その結果、話を聞かされる側からすれば何が言いたいのかよく分からない「ホントにそれでいいのか?」「本気で巫女になるつもりか?」と説教じみた意志確認を夜更けまで続けることになってしまったのだった。

 なんだかよく分からない父の長話に付き合わされ、元々堅かったルクレティアの意志はより強固になったと言っていいだろう。

 今朝、朝食を済ませたルクレティアは「じゃあお父様、行ってまいります。」という簡単な挨拶に強い意志を込めて父に告げると、巫女以外の神官としての職務を一切放棄するかの如く、真っ直ぐマニウス要塞へ向かっていったのだった。



「ああ、彼女は・・・ちょっと所用があった様でしてな。」


 本当は事情を知ってはいたが、どう説明したらいいかわからないルキウスは知らないふりをした。


「そうでしたか・・・たまにウチに顔を出すようにお伝えくださいな。」


「ええ、是非伝えましょう。」


 丁度、彼らのいる桟橋のところまで馬車が回され、従者たちが乗車の準備を整える。


「それではインニェルさん、メーリさん、今日はありがとうございました。」


「まあ侯爵夫人、私どもは何もしておりませんわ。」


「いえ、そんなことはございませんよ。

 また御招待いたしますから、是非おいでください。」


「楽しみにお待ちしておりますわ。」


「では失礼いたします。ごきげんよう。」


「どうぞお気をつけて。」


 お決まりの挨拶が交わされ、エルネスティーネが侯爵家の馬車に乗り込むと、馬車はそのまま走り出す。

 一同が去り行く馬車に一礼して見送ると、続いて子爵家の馬車が回されてきた。またインニェルとルキウスの間で同じような挨拶が交わされ、ルキウスが馬車に乗り込もうとしたところで、早馬が駆けつけた。馬車の乗降口前に置かれた踏み台に足を乗せたルキウスだったが、何事かと乗り込むのを止めて様子を見守る。



軍団長閣下レガトゥス・レギオニス!!」


 馬で駆け付けたのはただの伝令兵ではなく百人隊長ケントゥリオだった。伝令兵にメッセージを託さず、百人隊長ケントゥリオが直接来るなど並大抵ではない事態が発生した場合だけである。しかも、その百人隊長ケントゥリオはクィントゥスの大隊コホルスの一人だった。

 ルキウスとアルトリウスの顔に緊張が走る。



「どうした!?」


「はっ、それが・・・」


 百人隊長ケントゥリオはチラッとインニェルとメーリを見る。彼女たちの前では話せない内容なのは違いない。

 インニェルはそれを察すると追い払われる前に自ら「ではお先に失礼いたします。」と言って、メーリと共に去って行った。


「で、どうした?」


「はい、それが、何からご報告してよいか・・・」


「順を追って話せ。」


「はっ!実は昨夜、が女をお買い求めになりまして・・・」

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