第1082話 余剰戦力無し

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 会議室の中はまだモヤモヤした雰囲気が残っていた。


 世界中の尊崇の念を集めるムセイオンの聖貴族たち……ゲイマーガメルの血を引く彼らが勝手に脱走し、盗賊どもを率いて民間人を殺傷して暴れまわり、軍隊にさえ歯向かって降臨まで引き起こそうとしていたなど、おおやけになれば世界を揺るがす大スキャンダルである。大協約体制への信頼とムセイオンの存在意義を根底から揺るがす事態になるだろう。

 だからこそ今まで誰もが『勇者団』ブレーブスのことは秘匿し続けていたのだ。それなのに、事件対策の総責任者であるプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵の家臣であり、使者としてアルトリウシアに来ているマルクスの口から『勇者団』の情報秘匿を解除すればよいなどと言われれば、これまで気を遣って秘密管理を徹底していた者たちとしては動揺しないわけがない。必要な軍団兵レギオナリウスにだけ緘口令かんこうれいいた上でという修正があったにせよ、それで問題が解消されるとは思えなかったからだ。

 アルトリウスは並んで座っている配下の軍団幕僚たちトリブニ・ミリトゥムとチラリと目配せしてから、言いにくそうに口を開いた。


「お言葉ですがマルクスウァレリウス・カストゥス殿、それでも難しいと言わざるを得ません。

 お恥ずかしい話ですが、その緘口令がどの程度有効なのかに疑問を禁じ得ないからです。」


「機密を保持できないと、そうおっしゃられるのですか?」


 それは部隊を統率出来ていないと言っているようなものだ。軍隊が作戦を展開する時、当然作戦内容は敵側に漏れてはならない。作戦内容や機密情報が敵側に筒抜けの状態では、どれだけ実力差があったとしても勝つのは難しくなってしまう。緘口令などイチイチ布かなくても情報の漏洩を防ぐくらいできなければ、軍隊として戦争を遂行できはしないだろう。それなのに緘口令がどの程度有効なのか疑問を禁じ得ないなど、ましてそれが一軍団レギオーを率いる軍団長レガトゥス・レギオニスの口から出るなど前代未聞であった。


「真に不本意ですが、現状では完璧を期することは難しいと言わざるを得ません。」


「どういうことですか?

 現に貴軍は今のところ、リュウイチ様のことを秘匿しきっているではありませんか!?」


 マルクスからすれば納得のいく話ではない。さすがに侯爵家、子爵家の家臣団の中にもアルトリウスを始め軍人たちに奇異の目を剥けるものが現れ始める。


「それはリュウイチ様に関わっている特務大隊コホルス・エクシミウスは元々第一大隊コホルス・プリマ……つまり最精鋭の軍団兵レギオナリウスたちだったからです。

 本来ならば全ての大隊コホルスの作戦能力を均質にすることが望ましいのですが、わが軍は三個大隊コホルスのうち長期にわたって水道建設に従事することが決定していた第二大隊コホルス・セクンダおよび第三大隊コホルス・テルティアに新兵および老兵を集中させ、代わりに第一線での戦闘に堪えうる精兵を第一大隊コホルス・プリマに集中させました。

 その第一大隊コホルス・プリマのうちアルビオンニウムへ派遣された半数は現在特務大隊コホルス・エクシミウスに再編されリュウイチ様の警護に専任、残りの半数はセヴェリ川での防備とグナエウス峠でのダイアウルフ狩りに投入済みです。

 第二大隊コホルス・セクンダおよび第三大隊コホルス・テルティアは越冬のために水道建設現場から撤収中で随時、第一大隊コホルス・プリマが担っていたアンブースティア地区の復興事業に投入中という状況です。」


 バルビヌスから事前に情報は聞いていたが、アルトリウシア軍団の実態はそれ以上に状況のようだ。即応部隊として温存していた第一大隊に精兵を集中させ、経験豊富だが体力的にはだいぶ落ちてしまった老兵と体力はあるが技能が伴わない新兵を合わせて非戦闘任務に投入しつつ軍務へ慣熟させる……少ない兵員をやりくりしつつ戦力を再編しなければならないアルトリウシア軍団にとっては合理的なやり方なのかもしれない。だが、それも第一大隊で戦闘任務を処理しきれていればの話だ。

 リュウイチの降臨という事態を受けて第一大隊は戦力を半減せざるを得なくなった。リュウイチの身辺警護と機密保持を両立させるため、戦力の半数を特務大隊として独立させてしまったからだ。残された第一大隊の兵力は通常の大隊と同じく五百人規模の六個百人隊ケントゥリアしかない。それも復旧復興事業とハン支援軍アウクシリア・ハンによるダイアウルフを使った嫌がらせに対応するために引っ張りまわされている状態で対応しきれなくなってしまっている。

 即応部隊が忙殺されて更なる戦力抽出の必要に迫られれば引っ張り出されるのは予備戦力だ。第二、第三大隊である。ところが第二、第三大隊は当面の間は戦闘には従事させないという前提で新兵を集中させてしまっており、第一大隊との能力に大きな格差が生じてしまっている。水道及び取水ダムの建設工事に専従していたために軍事教練など大してしてなかったのだから当然だろう。そう、緘口令を布いたとしてそれがどの程度守られるのか、第二、第三大隊に関してはアルトリウシア軍団の首脳部としても確信が持てないのだった。

 マルクスは難しい顔をして額に手を当てた。


アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアは、そちらはどうなのですか?」


「似たようなものです。」


 今度はラーウスが答えた。


アロイスキュッテル閣下は二個大隊コホルス相当を率いてズィルパーミナブルグから救援にこられましたが、連れて来たのはやはり新兵を中心とした臨時編成の部隊です。

 こちらでの戦闘は無いという想定で、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの新兵と指導員役の古参兵を抽出し、更に大工等の人足を加えて救援隊を編成しました。

 その二個大隊相当からさらに古参兵を抽出して古参兵の割合を高めた大隊を編成し、それを率いてブルグトアドルフへ向かわれましたので、こちらに残っている大隊は本当に新兵と大工等民間人のみで戦闘任務には……」


 これ以上は聞きたくない……マルクスが無言で手を振るとラーウスは説明を中断した。まあ、これ以上の説明の必要が無いのも事実ではあったが……。


「つまり、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアも投入できる予備戦力は無いということですね?」


アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアに関して言えば、盗賊団討伐作戦のための戦闘部隊をズィルパーミナブルグから派遣する準備を始めているはずです。

 ですが、それが到着するのは早くても来週以降になるでしょう。」


 つまりアルビオンニア側の戦力はほぼアテにならないということだった。マルクスは額に当てていた手を降ろし、しばしの間目を閉じて考える。


「どうやら残るは、我がサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの部隊だけのようですな。」

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