第146話 追跡艦隊

統一歴九十九年四月十五日、夕 - 《九鬼》群島/大南洋



 アルビオン島西岸の北端に位置するアルトリウシアから海岸沿いにまっすぐ南へ進むと、アルトリウシア湾口にあるエッケ島からだいたい一日の距離に九鬼くき群島という島がある。

 アルトリウシアとアリスイ氏族の領域の丁度中間地点に位置する大小九つの島からなる群島で、かつては海賊たちが根城にしてアリスイ氏族のチューアとの貿易船や漁船を襲っていたが、今は退治されて無人島となっており、この付近を通過する交易船や漁船が休息するために立ち寄るぐらいのはずだった。


 その海賊退治がアルトリウスの初陣だったわけだが、船乗りとして参加していたサムエルにとっても初めての本格的な戦だった。

 ほんの二年前の事である。その時の情景は今でもはっきり思い出す事が出来た。



「やっと着いたな、若大将サムエル!?

 このまま本島へ向かっていいか?」


 旗艦『ナグルファル』号の船首楼せんしゅろうの上でつかの間、思い出に浸っていたサムエルは背後からのパーヴァリの声で現実に引き戻された。


「まさか!

 そこで『バランベル』号に出くわしたらどうすんだよ!?」


 半笑いで振り返るサムエルにパーヴァリは首を傾げた。


「ああ?

 じゃあ、どうすんだよ?」


 彼らがここへ来たのは叛乱事件を起こして逃亡したハン支援軍アウクシリア・ハンの行方を捜索するためである。

 現状、ハン支援軍が逃げ込み隠れているとしたらこの群島である可能性が高いと目されていた。まともな操船技術を持たないハン支援軍が彼らの旗艦であるガレアス船『バランベル』号で行ける範囲で、なおかつ大人数が潜伏生活を送れる場所というと非常に限られている。

 この九鬼群島はその最有力候補だ。


 もうすぐ日が沈もうという時間に、その群島の中で港湾施設の整っている本島の船着き場に乗り込んで『バランベル』号がいたらどうするのか?

 戦いになれば間違いなく夜戦になってしまう。

 戦って負ける気はしないが、ハン支援軍は逃げる際に『バランベル』号以外にも貨物船クナール七隻を奪って逃げているのだ。バラバラに逃げられたら、こちらは戦船ロングシップ二隻しかないのだから追跡しきれない。


「あっちに船を着けろ。」


 サムエルが指差したその方向にはアルビオン島の長い海岸があり、小さな丘が夕日を受けて赤く輝いて見えた。

 九鬼群島から約三マイル(約五キロメートル半)ほど離れており、九鬼群島の本島からは島の一つの影になるので死角になっている。仮に九鬼群島の本島にハン支援軍が潜んでいたとしても、あの場所は見えない筈だ。ハン支援軍に気付かれる事なく一夜を明かせることになる。


「ふーん、なるほど・・・

 てことは、本島に乗り込むのは明日か?」


「そうだ。

 見つからなくても一応、船着き場のあるすべての島に上陸して確認するぞ?」


「マジかよ、四つはあるぜ?」


「今、ここには居なくても、一度ここに停泊してどこかへ出航した可能性もあるからな。

 その痕跡があるなら確認しといた方が良いだろう?」


「それならアッチもそうなんじゃないのか?」


 パーヴァリはサムエルが船を着けろと指示した方を指さして言った。

 海岸には砂浜が広がっているがその奥にはアルトリウシア平原だ。そのほとんどが湿地だが背の高いあしが生い茂っており、ハン支援軍のダイアウルフが活動しやすい地形である。


「あっちは場所が開けてるからな。潜伏してたとしても海上から見つけられるだろ?

 見たところ、『バランベル』号の姿は見えないし・・・

 周囲は砂浜で身を隠す場所もないから、仮にアルトリウシア平原に隠れてたとしても奇襲を受ける心配が無い。

 今夜一夜を明かすならあっちの方が安全だ。」


 もしも、あの葦原の中にハン支援軍が潜んでいるとしたら、確かに脅威以外のなにものでもない。

 だが、もしハン支援軍がいるなら近くにあのバカでかいガレアス船『バランベル』号がいる筈だが、見渡す範囲に『バランベル』号の姿はなく、『バランベル』号が身を隠せるような地形も無い。

 それにサムエルは海岸にポツンと一つだけ小山のように盛り上がった丘の上で一夜を明かそうと思っていた。


 アルトリウシア平原は西山地ヴェストリヒバーグから流れる幾本もの川から流出した火山灰や土砂が堆積してできた平野で、あの小山のような陸は元々一つの独立した島だった物だ。所謂いわゆる陸繋島りくけいとうで、葦の茂みから丘までは何もない砂浜が続いている。

 丘の上に陣取って見張りを適切に立てて置けば、奇襲を受ける危険性はまずないだろう。



「ふーん、わかったぜ。

 じゃあ、丘の付け根の砂浜に揚陸すればいいか?」


「ああ、そうしてくれ。」


 サムエルがそう言うとパーヴァリは後ろを振り返り、取り舵を下令した。



 ここで見つかってくれると手間が無くていいんだがな・・・


 夕日の逆光になって黒く見える九鬼群島を見ながらサムエルはそう思った。

 ハン支援軍の叛乱前の兵力は大隊コホルスを下回る程度だった。

 叛乱事件によってかなりな損害を出しているらしいことが明らかになっており、おそらく百人以上は死亡しているだろう。残兵力は三百いるかどうかというところのはずだ。

 今回、サムエルたちが連れてきた兵士はアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軽装歩兵ウェリテス百人隊ケントゥリア二個で将兵合わせて百九十人。さらにサムエル直卒の水兵らがざっと百五十名。

 ハン支援軍には強力な騎兵が存在するが、狭い九鬼群島ではその威力は半減するはずだ。向こうが防御側で地の利があると言っても、ハン支援軍の弱兵ぶりを考えれば戦力的にはほぼ拮抗するだろう。


 もっとも、見つけたとしてもまともに戦うつもりはない。


 なぜなら向こうには数百人の人質がいる筈だからだ。

 もしも、ハン支援軍がいたなら、戦わずに人質を解放するよう要求しなければならない。交渉が決裂したとしても、まともにぶつかるわけにはいかないだろう。


 その時はどうする?


 敵から船を奪う事になるだろうか?

 海戦はこちらが圧倒的に有利だ。

 可能なら敵の船を破壊し、ここから更なる逃亡を図れないようにして再交渉という風に運べれば楽なんだが・・・


 しかし、現実にそれをやると追い詰めすぎて、自暴自棄になったハン族が腹いせで人質を手にかけるような事態になるかもしれない。それは絶対にダメだ。


 結局、兵力は威嚇にしか使えないということだ。

 最終的にモノを言うのは交渉術ということになる。

 そして、その交渉を任されているのはサムエル本人だった。


「あ~~~・・・ホントに俺に務まんのかねぇ?」


 話が通じないということで有名なハン族との交渉をまとめる・・・それだけで厄介極まる仕事だ。

 いっそ見つからない方がマシかもしれない。

 だが、見つからなければこのままアサヒナ氏族のところまで捜索に行かねばならなくなる。

 明日丸一日九鬼群島を捜索して見つからなければ、明朝に出港してアサヒナ氏族を訪ね、ハン支援軍の叛乱事件の説明と捜索の協力を要請することになる。


 どのみち厄介なことには変わりない。いや、アサヒナ氏族はずっとまともだしアサヒナ氏族との交渉が嫌だというわけでは無い。

 アサヒナ氏族のところまで交渉に行けば、帰れるのは早くても六日後になってしまうだろう。それが嫌なのだ。

 サムエルだって若いが子を持つ父である。可愛いメーリと生まれたばかりの息子が家で待っているのだ。帰れるものなら一日でも早く帰りたい。

 だが、アサヒナ氏族を訪ねれば早くて六日はかかる。ここで見つかれば、交渉次第では明後日には帰れる・・・しかし、ハン族相手に一日で交渉がまとまるとも思えない。 


 あ~あ、親父ヘルマンニの奴、これが嫌で今回船を降りたんじゃあるめえな?

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