第28話 アルビオーネとルクレティア

統一歴九十九年四月十日、昼 - アルビオン湾口/アルビオンニウム


 

「ご、言上おゆるしくださいませ!」

 ルクレティアが跪いて会話に割り込んできた。


『そなたは何者ぞ?』


 リュウイチのすぐ脇で膝をつくヒトの娘からは特に大きな魔力を感じない。

 そのような者に話に割り込まれた《水の精霊アルビオーネ》は不快さを隠しながら問いかけた。


「アルビオンニウムのケレース神殿テンプルム・ケレースを治めるルクレティウス・スパルタカシウスが一子いっし、ルクレティア・スパルタカシアと申します。

 リュウイチ様の身の回りの御世話を申し付かっております。」


『・・・リュウイチ様の巫女かえ?』


「ま、まだ正式に任じられてはおりませぬが、他に相応ふさわしき者がおりませなんだゆえ・・・」


 つまり、仮初かりそめの巫女ということだ。

 ヒトの小娘に邪魔されたのは不快だが、それがリュウイチの巫女となれば本人リュウイチの言えない事を代弁することもあるだろう。リュウイチに仕える身としてはヒトとは言え彼女の方が近い上に数時間の差とはいえ先達にも当たる。

 身分の差を考えれば叱り飛ばすこともできないではないが、下手に無下むげにするわけにはいかない。


『御勤め大儀たいぎです。

 して、わらわとリュウイチ様の会話に割り込んだは何故なにゆえかえ?』


「お、おそれながら、リュウイチ様にはこれより西方のアルトリウシアへ御運びいただき、《レアル》へお帰りいただくまでの間お住まい頂くご予定にございます。」


 そこまで聞くとアルビオーネはリュウイチに尋ねる。


『そうなのですか?』


『ああ、はい、その予定です。』


 アルビオーネはルクレティアに向き直って訊いた。


『して、それがどうかしたのかえ?』


「そのっ、人の身の都合に過ぎず大変心苦しいのですが、アルビオーネ様の御口利きとあらば、神々にも等しき尊き方々がリュウイチ様の元へ参られましょう。」


 当初、アルビオーネはルクレティアがヒトの分際で神にも等しい《水の精霊ウォーター・エレメンタル》を軽んじて割り込んできたのかと思った。事実、敬典宗教諸国連合で信仰される一神教の信者の中には、自らが信仰する唯一神とは違うからと精霊エレメンタルに対して無礼な態度をとる者もいる。

 だがそうではなく、ルクレティアはアルビオーネを神々に等しい存在として敬っているようだ。


『当然じゃ。』


 アルビオーネは満足げに答えた。


「されど、そのような高貴な方々をお迎えするには様々に御用意申し上げねばならぬ事多々ございます。

 アルビオーネ様の御申出は大変ありがたき事とは存じますが、あまりに御急ぎになられますと、無力な我らではそうした準備を整えること叶いませぬ。

 願わくば、我ら供回ともまわりに御慈悲をたまわり、お迎えする準備を整える時間を頂戴いたしとう存じます。」


 正直言うとアルビオーネにはそういう「用意」とか「準備」とかが分からなかった。

 精霊は肉体など持たない。だから化粧も衣装も必要無いし、家とかも無い。何かを食べるわけでもないし、何かを飲むこともない。

 だからホントを言うと生贄とか供物くもつを捧げると言って海へ投げ込まれても、それはゴミを投げ込まれるのと大差なかったりする。


 精霊が必要とするのは魔力だけであり、魔力の供給源となるしろだけだ。アルビオーネの場合はアルビオン海峡の潮流・・・海水ではなく海水のそのものが依り代なので、他人から何かを貰って嬉しいことなどほぼ無い。

 つまり、誰かに会うために何かを用意したり準備したりするという事が理解できなかった。


 何のために何を用意するというのか?


 理解はできないが、アルビオーネ自身を始め神々に等しい精霊たちを迎えるために何かをする必要がこの娘たちにはあるらしい・・・という程度のことは理解できる。

 多分、それは精霊を敬うことにもつながる事なのだろう。

 肉体を持つ者たちには肉体を持たない精霊にはわからない都合があるのかもしれない。そういえばリュウイチは肉体を持っているし、この者ルクレティアはリュウイチの巫女ではないか・・・ならば、聞き入れた方が良いだろう。


『・・・ふむ、殊勝な心掛けじゃ。

 して、いかほど待てばよい?』


 待ってくれと言った以上返されて当然の質問だったが、ルクレティアは答を持ち合わせていなかった。実を言うとルクレティア自身、何をどう用意すればいいのか知っていたわけではない。


「それは・・・その・・・」


 ルクレティアはチラッと隣の船にいるアルトリウスを見た。


『こりゃっ!どこを見やる?

 今、妾が訊いておろう。』


「は、はいっ、申し訳ございませぬ。

 その、三月みつきほど、頂戴いたしたく」


 三か月・・・それはリュウイチをひとまず秘匿しておきたいとケレース神殿で対応を協議した際にアルトリウスが示した期間だった。

 《暗黒騎士ダークナイト》降臨を帝都レーマに早馬で報告し、皇帝インペラートル元老院セナートゥス、各有力貴族といったレーマ帝国内の各勢力やムセイオン、敬典宗教諸国連合といった国外勢力の、《暗黒騎士》降臨という事態にたいする最初の対応が明らかになるであろう期間・・・それまではリュウイチの存在と降臨の事実を秘匿する。これはアルビオンニアに生じるであろう混乱を最少限に抑えるための措置だった。

 その前にアルトリウシアへアルビオーネみたいな神々に等しい存在が訪れたら秘匿しようにも秘匿しきれない。それこそ未曽有の混乱が巻き起こるであろう。

 だから、ルクレティアは三か月という期間を示した。


『三月とはどれほどの長さじゃ?』


 精霊・・・特に人間と交流を持たないアルビオーネのような精霊には人間が使う単位とかが良く分からない。三か月と言われても一か月がどれほどか知らない。


「その・・・百日くらい、いただければ・・・」


 ひょっとして三か月じゃ足らないかもしれないと不安になったルクレティアは、このドサクサで期間を十日ほど伸ばした。


『百日?』


「日が沈んでから再び沈むまでの間が一日です。」


『日が百回沈むのを数えればよいのかえ?』


「・・・然り。」


『ふむ・・・それが長いか短いかはわからぬが、では今より百日後に赴くようにすればよいのじゃな?』


 ルクレティアには正直言って自信は無い。

 だが、リュウイチの存在を秘匿するのが三か月、つまりそれ以降はリュウイチの存在を公表するという事だ。それに十日を追加した百日の猶予期間・・・十分かどうかはわからないが、今の彼女にそれ以上の期間を稼ぐことはできない。これ以上どうしようもない。


「それは・・・その・・・」


『どうなのじゃ?百日待てばよいのではないのか?』


 さすがに見かねてリュウイチは助け舟をだした。


『まあまあ、いきなり沢山の客人が一挙に押し寄せたんじゃ誰だって対処に困るでしょう?

 百日後から来てもらうけど、できれば少しずつ挨拶させてもらいたいなぁ・・・なんて、ダメですか?』

 

『ダメなわけがございませぬ。

 尊き御身がそれを望まれるというのであればこのアルビオーネ、何故拒めましょうか。

 御身の御意に沿いますよう務めさせていただくばかりにございます。』 


 実を言うと、一挙に押し寄せたら何で対処に困るのかアルビオーネは理解していなかった。

 肉体の無い精霊には家も無いし衣服も必要ない、どこかに集まったからと言って場所が広いとか狭いとかいう事すらない。食べ物飲み物も必要ないから、何かが足らなくなるというようなことも無い。会話だって言葉を使わない念話だから相手の人数なんか関係ない。

 戦うというのなら多勢に無勢とかいうのはあるだろうが、戦うわけではないのなら相手の戦力は少ない方が良いとか言うようなことも無いだろう。

 しかし、一挙に会う事の不都合は分からないとしても、個別に会うとして生じる不都合があるわけでもなかった。

 要するにアルビオーネにとってはどっちでもいい。

 ならば、リュウイチが望む方へ合わせるのが良い。


『じゃあ、時期が来たらこちらからお願いしますんで、それで少しずつ呼んでいただくという事でお願いしていいですか?』


『そのような大役、妾にお任せくださいますので!?』


 アルビオーネが色めき立った。

 それはどの精霊にいつ来てもらうか調整するということ、精霊たちを管制するということだ。それは他のどの精霊よりもアルビオーネが《暗黒騎士リュウイチ》に最も近しい地位を確立するという事を意味する。


『あ、ああ・・・えっと、無理なようでしたら・・・』


『無理ではございません!

 御身の御意とあらばこのアルビオーネ、全身全霊をかけて務めあげる所存にございますれば、その栄誉、何卒妾にお申し付けくださいまし。』


『あ、はい、じゃあ、お願いします。』


 それを聞くとアルビオーネは満足した。

 海峡をつかさどる《水の精霊》アルビオーネ・・・その力は強大でこの世界ヴァーチャリアの何者とて討ち滅ぼすことなどあり得ない、神にも等しい精霊。

 それを例外的に滅しうる唯一の存在 《暗黒騎士リュウイチ》との関係を構築し、自らの安全を確立する・・・その目的を達したアルビオーネはスッと一歩下がり跪いた。


『それではリュウイチ様、此度はこれにて失礼いたします。』


『あ、はい、わざわざありがとうございました。』



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