第29話 アルビオーネの真珠

統一歴九十九年四月十日、昼 - アルビオン湾口/アルビオンニウム


 

 リュウイチへの挨拶を済ませたアルビオーネは立ち上がり、跪き頭を垂れたまま脇に控えているヘルマンニの方へ向き直った。


『テイヨの子ヘルマンニよ、お世話になりました。礼を言います。』


「海峡の乙女アルビオーネ様、御役に立ててなによりでございます。

 どうか我らに航海の安全と海の恵みをもたらしてくださいますよう。」


 ヘルマンニが祈りを捧げると、アルビオーネはフムと一拍間を置いた。


『そうですね・・・そなたらは高貴極まるリュウイチ様の玉体ぎょくたいを御運びする大役を果たさねばならぬ身、これをたすける事はわらわにとってもほまれとなりましょう。』


 そう言うとアルビオーネは湾の外の方を向き、腕を伸ばした。


 船の前方の海面に出来ていた渦が再び竜巻のように盛り上がり、アルビオーネの方へ延びてくると、アルビオーネの手の上に鶏の卵くらいの大きさの白い球を吐き出して再び海面へ戻って行った。


『これをそなたに授けましょう。』


 アルビオーネが差し出したそれは一個の巨大な真珠だった。


 海峡に生息する貝を利用してアルビオーネ自身が作ったものである。小さな貝に核を埋め込み、真珠が成長したらその貝から一度取り出し、別のもう少し大きい貝へ移す。

 それを数十年繰り返してここまでの大きさに育てた。

 その間、貝の周辺の海流を調節してその貝の環境や栄養状態を整えたり、時には直接魔力を与えたこともあった。

 西から暖流が流れ込むとは言え、東からは寒流が流れ込むため海水温はさほど高くならず、日照にもあまり恵まれないアルビオン海峡ではこれ以上、真珠を大きく成長させるのは難しい。


「おお、これ程見事な真珠は見た事がございません。」


 ヘルマンニは目を見開いて感嘆した。


『これは妾の魔力を蓄えるための核、その予備として作っていた物の一つです。

 これを使えば妾と居ながらにして言葉を交わし、妾の力の一部を使う事が叶いましょう。』


「すると、潮の流れを変えたり、渦潮を止めたり?」


『これではさすがにそこまでの事はできません。』


 アルビオーネは首を振った。


『潮の流れは妾にとって息をするようなものです。

 息を停めては生きてはいけません・・・少しの間、ちょっとだけならできましょうが・・・』


 《水の精霊アルビオーネ》はアルビオン海峡の激しい潮流から魔力を得ている。自然に発生する潮流からは魔力を得られるが、自らの意思で流れを創り出す場合は魔力を消費しなければならない。

 他から十分な魔力を供給してもらえるなら、その魔力で海峡の潮流を止めたり思うままに水をコントロールする事もできるが、海峡の潮流からしか魔力を得ていないアルビオーネにとって、潮流を止めるという事は息を停めたまま全力で運動するようなものだ。

 海峡を支配する《水の精霊》とて全能ではない。


 アルビオーネは続けた。


『なれど、潮の流れをより広くより深く知ることができるようになりましょう。

 また、これを持つ者の船の周りだけ、潮が味方をするでしょう。』


「では、櫂を漕がずとも船を進めたりすることが?」


 アルビオーネは優し気に笑みを浮かべて答えた。


『海のこととて妾の自由が及ぶのは波や潮の流れぐらいのものです。

 櫂を漕がずに船を進めたくば《風の精霊ウインド・エレメンタル》の力を借りて帆走するがよいでしょう。』


 海流だけで船を動かすことはもちろんできる。だが、水の抵抗を受けにくく作られた船体は、水の力よりも風の力の方を強く受けやすい。だから風の力に逆らって潮の力だけで船を動かそうとすると、とてつもないエネルギーを要する。

 何でアルビオーネがこんなことを知っているかと言うと、実はアルビオーネは海峡を行きかう船にちょっと悪戯をしかけた経験があったのだ。そのせいで沈んでしまった船も過去にはあった。

 海に落ちた船員を助けたこともあったし、助けなかった事もあった。・・・後者の方が圧倒的に多いが・・・


「《風の精霊》でございますか?」


『左様、残念ながら妾も風は操れぬ。

 《風の精霊》の力を借りたくば、リュウイチ様に御願いするがよい。

 さすれば、《風の精霊》の力と、その真珠を介して得られし妾の力とを、合わせて使う事も叶おう。

 この船は他のいかなる船にも負けぬほど速く走れようぞ。』


「おお、有難うございます!

 一族の宝とさせていただきます。」


 ヘルマンニは恭しく両手で真珠受け取った。


『うむ、くれぐれもリュウイチ様に阻喪そそうなど無きよう頼みましたよ?』


「はい、この命に代えてもその大役、果たしてごらんに入れます。」


『では、失礼いたします。』


 アルビオーネは再びリュウイチに向かい、そう言ってお辞儀をすると海へと帰って行った。

 皆がそれを見送る中、ルクレティアは人知れず安堵のため息をついた。

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