第1194話 グルグリウスの答え

統一歴九十九年五月十日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



「もちろん報酬はお支払いいたします。

 今、手元にはありませんが金貨でいかがですか?

 ダメでしたら宝石でも……」


 カエソーの申し出にルクレティアもスカエウァも、そしてリウィウス達も共に目を丸くしていたが、一番同様していたのはスカエウァだった。目のみならず口まで丸く開け、カエソーが自分の手から実際に指輪を外し始めるとまるで顔面神経痛にでもなったかのように顔のそこかしこをピクピクと痙攣けいれんさせ、オロオロと視線まで泳がせ始める。

 ムセイオン聖貴族の世話をするのは自分だ……そのこの場で自分しか成しえないはずの仕事を自分以外に割り振られようとしていることに、これまでに経験のない焦りを感じているのだろう。しかし、さすがに名門貴族パトリキの子弟だけあって自らが仕えるべき主家の嫡男ちゃくなんであるカエソーに口を挟むのだけはかろうじてこらえていた。とはいっても、それは時間の問題だったかもしれない。彼が無礼を働かずに済んだのはグルグリウスが先に反応したからに過ぎなかったからだ。


「お待ちくださいカエソー伯爵公子閣下。

 吾輩わがはいはこの後、シュバルツゼーブルグの守りにくのではなかったのですか?」


 戸惑うグルグリウスが確認を求めたそれはグルグリウスがグレーター・ガーゴイルにしてもらう前、ペイトウィンを捕まえた後のグルグリウスの使い道について《地の精霊アース・エレメンタル》が提案していたことだった。特にカエソーや《地の精霊》がそう命じていたわけではなかったが、グルグリウス自身はそれを自分の次の任務として考えていたようである。

 それを聞いてスカエウァは冷静さを取り戻し、ポカンと開けていた口を真一文字に結んで居住いずまいを正した。逆にカエソーは期待以上の返事でも聞いて喜ぶかのように笑みを大きくし、指輪を外そうとしていた両手を広げて見せる。


「おお!

 そこまでお考えくださってありがとうございます。

 ですが、その心配は必要ないでしょう。」


「何故です?

 もしかしたら『勇者団』ブレーブスを名乗るハーフエルフたちはシュバルツゼーブルグを襲うかもしれません。

 あの肌の黒い隊長の率いる軍団ではおそらく苦戦するでしょう。」


 グルグリウスはアルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニイアロイス・キュッテルに対してあまり良い印象を持っていなかった。グルグリウスの見たところ、アロイスはインプを意味も無く毛嫌いする人間の典型であり、実際シュバルツゼーブルグではグルグリウスに対する嫌悪を隠そうともしなかった。その点はルクレティアも同じではあったが、グルグリウスが《地の精霊》によってグレーター・ガーゴイルに進化させてもらって以降の態度は改まっている。それに対し、アロイスの態度はグレーター・ガーゴイルになって以降もほとんど変わらなかった。

 それを抜きにしたとしてもアロイスは自分の部下たちを低く評価していた。新兵ばかりの編成で本格的な戦闘には耐えられない……自身の部下に対するその評価はおそらく正しいだろう。その話が真ならば、『勇者団』が本格的にシュバルツゼーブルグを襲えばアロイスは街を守り切れないに違いない。

 だがカエソーはグルグリウスのその懸念を軽く否定した。


「確かに、『勇者団』ブレーブスがシュバルツゼーブルグを襲えばそうなるかもしれません。

 ですが、その心配はないでしょう。」


「ほう、何故ですかな?」


「さきほど、グルグリウス殿もペイトウィンホエールキング様がおっしゃっておられたことを御聞きになられたでしょう?

 『勇者団』ブレーブスは戦いをしかけてはこないと。」


 グルグリウスはスッと仰け反るように背を伸ばし、顎髭をさすった。


「確かにおっしゃられてましたな。

 しかし、それを信じるのですか?」


「もちろん。」


 カエソーはにっこりと笑ってそう言うと、笑みがわずかに残ってはいるものの真面目くさったような顔つきになって続けた。


「シュバルツゼーブルグを襲うというのはペイトウィンホエールキング様の手紙の脅し文句でしかありません。

 あの手紙は『勇者団』ブレーブスの方針ではなく、ペイトウィンホエールキング様御一人の独断でしょう。

 そしてそのペイトウィンホエールキング様は最早虜囚りょしゅうの身だ。

 シュバルツゼーブルグを襲うという考えは残された『勇者団』ブレーブスのメンバーは持っていないでしょうし、であれば実行に移す動機もあるはずがない。

 いやその必要性自体が無いでしょう。」


ペイトウィンホエールキング様を捕まえたことに対する報復で、シュバルツゼーブルグを襲うことはあるのではありませんかな?」


 グルグリウスの疑問をカエソーは首を振って否定する。


ペイトウィンホエールキング様も他の捕虜もここに居ます。

 シュバルツゼーブルグを襲ったからと言って彼らが解放されるわもありません。

 それをするなら先に脅迫して来るでしょう。

 シュバルツゼーブルグを襲われたくなければ捕虜を解放しろとか何とか……」


「襲ってから脅迫して来るのではないですか?

 他の街をシュバルツゼーブルグのようにしたくなければ捕虜を解放しろとか?」


 カエソーは痛いところを突かれたとでも言うように目を丸くし、口を真一文字に結んで視線を一度逸らせた。それからプルプルっと首を小刻みに振ると視線をグルグリウスに戻す。


「だとしてもそれはもっと後でしょう。

 ティフブルーボール様はルクレティア様との会談を望んでおられる。

 ペイトウィンホエールキング様がおっしゃられたことが本当なら、昨夜はこちらへ来られたはずだ。そしてルクレティア様がおられないので何もせずに帰ったでしょう。

 ペイトウィンホエールキング様が捕まったことを知るのは彼らがシュバルツゼーブルグへ戻った後だ。」


「ふむ、今頃ペイトウィンホエールキング様が居られないので慌てふためいておられるかもしれませんな。」


「あるいはまだ知らないかも……

 いずれにせよ一度ブルグトアドルフへ向かうでしょう。」


 グルグリウスは目元をピクリと動かし、神妙な顔つきになった。


「……エイー・ルメオ様ですか?」


「ええ、ペイトウィンホエールキング様が捕まった時に同行していた仲間と合流し、詳しい話を聞こうとするでしょう。

 あるいは、ペイトウィンホエールキング様がブルグトアドルフへ逃げたということは、最初からそこで落ち合う手筈になったのかもしれません。」


 『勇者団』がブルグトアドルフへ向かいエイーと合流することは最初から予想で来ていた事だ。だがそれは同時にグルグリウスが心配していることでもある。

 エイーはグルグリウスにとっての義姉、ブルグトアドルフの《森の精霊ドライアド》の友人でもある。そして《森の精霊》はエイーを守るため、エイーを『勇者団』から切り離そうとしていた。クレーエと名乗る盗賊が《森の精霊》の意をんで立ち回ることになっているが、彼をどの程度信用して良いかは未だ未知数だ。人間にしては知恵も勇気もある方だと思うが、盗賊という種類の人間を信じてよいかどうかはまた別の問題である。彼の場合、知恵と勇気があるから猶更なおさら信用しきれないのだ。

 『勇者団』がエイーの許へ向かったということは、そのどこか信じきれないクレーエを頼らねばならないということでもある。期待が裏切られればクレーエごときを探し出して八つ裂きにするくらいは訳は無いが、問題はそのクレーエも《森の精霊》にとって大事な友人であるということだ。《森の精霊》のような純真無垢な心の持ち主が、あのような人間に付き合って良いことなんか何一つあるわけがない。義弟としてはクレーエのような人間に入れ込んで欲しくは無いが、既に入れ込んでしまっている以上グルグリウスにはどうしようもなかった。エイーとクレーエを守りたいという義姉が却って悲しい思いをしなければよいが……グルグリウスの不安は尽きない。


「いずれにせよ彼らは一度ブルグトアドルフへ向かった後にこちらへ来るはず……だとすればシュバルツゼーブルグへ戻って来るのは早くても明日。

 その前にグナエウス砦こちらへ来る可能性の方が高いとは思いますが、シュバルツゼーブルグへ向かうのはその後でも十分間に合うでしょう。」


 グルグリウスは顎に手を当てると沈思黙考するかのように目を閉じた。


『《地の精霊アース・エレメンタル》様』


 まずは主人の許しを得ねばなるまい。グルグリウスにシュバルツゼーブルグを守らせるというのは、他ならぬ《地の精霊》のアイディアなのだ。それを独断で反故ほごにしては《地の精霊》への忠節に反してしまう。

 グルグリウスの念話での問いかけに対し、《地の精霊》はそっけなかった。


『ワシには人のことわりは分からぬ。

 其方そなたの方が精通しておろう。

 好きにするがよい。』


 《地の精霊》の感情は平坦そのもので不満のようなものは感じられない。それはグルグリウスにとっていささか意外ではあった。


『よろしいのですか?』


『ワシが偉大なる御方からたまわった御役目は、そこなホブゴブリンどもと共に娘御むすめごを守ることのみ。

 他のことはどうでもよい。』


 《地の精霊》はルクレティアの要望は叶えるようにしていたようにグルグリウスは認識している。そしてルクレティアはシュバルツゼーブルグの街が襲われ被害が出ることを心配していた。《地の精霊》がシュバルツゼーブルグの街そのものに興味がないのは理解できるが、立場を考えれば守った方が良いように思える。それを考えるとグルグリウスには《地の精霊》の言い様は少し腑に落ちかねた。


『ではシュバルツゼーブルグの街は守らずとも?』


其方そなたにシュバルツゼーブルグを護らせるとワシが言ったのは、其方を眷属に加えることを承知させるための方便じゃ。

 そもそも、ワシらは人目に着くようなことは避けねばならぬ。目立つわけにはいくまい。

 それらを理解したうえでならば、あとは其方の思うようにせよ。』


 要は目立たないようにしろということなのだろう……グルグリウスはそのように理解した。いずれにせよ、シュバルツゼーブルグ防衛の優先度は考えていたより高くはないらしい。

 グルグリウスは結論を出すと顎に当てていた手を降ろし、目の前でグルグリウスを見上げているカエソーに向き直った。


「いいでしょうカエソー伯爵公子閣下、お引き受けいたします。」

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