第1195話 スカエウァの弁明

統一歴九十九年五月十日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



 グルグリウスの返事に満足したカエソーは満面の笑みを浮かべ両手を差し出し、グルグリウスの手を取った。


「おお! ではしばらくペイトウィンホエールキング様のことをお頼みしますグルグリウス殿!!」


 グルグリウスが加わってくれるなら、しかもペイトウィンの面倒を見てくれるなら今後の憂いの多くが解決する。自らの生まれの良さに絶対の自信を持ち、それゆえに己の立場も理解しないハーフエルフも、さすがに自分を圧倒する実力を持つグルグリウスがかたわらに居れば我儘わがままを控えざるを得ないだろう。もちろん、イザとなれば《地の精霊アース・エレメンタル》の力も期待はできるが、ルクレティアを介して頼まねばならぬ以上戦力としては融通が利きづらい。しかしグルグリウスならカエソーとも直接口を利いてくれるし、何より報酬次第で好きなように仕事を頼むことも出来るのだ。

 しかし、この場に居る全ての人間がそのことを歓迎しているわけではなかった。


「お、お待ちください閣下!!」


 こらえきれずに口を開いてしまったのはスカエウァだった。


聖貴族コンセクラトゥムの御世話をするなら私が居るではありませんか!

 それをわざわざグルグリウス殿に……」


 カエソーが湛えていた満面の笑みを消してスカエウァに視線をやると、スカエウァは思わず口籠くちごもった。カエソーはスカエウァへ冷たい視線を向けたままグルグリウスの手から自分の手を離し、スカエウァに身体ごと向き直る。


「貴様ではハーフエルフ様をぎょせぬからだ。」


「……ハーフエルフ様を、御す???」


 スカエウァはカエソーが何を言っているのか理解できない様子で、困惑の表情を浮かべた。無理もない。彼にとって高位の聖貴族は仕えるべき相手であって、御すべき対象ではない。降臨者に、そして降臨者の血を引く聖貴族に仕え、奉仕することは全ての神官にとって至上の任務。ルクレティアが聖女サクラに憧れたように、スカエウァもまた幼いころからそうした憧れを持ち続けていたのだ。

 その彼の前にゲイマーガメルの血を引く聖貴族が現れたのだ。スカエウァも降臨者スパルタカスの血をひく聖貴族の末裔まつえいではあったが、代を重ねて血の薄まりと共に魔力を失った彼の目には、ムセイオンの聖貴族は降臨者そのもののように映る。全霊を傾けるのは当然であろう。そう言う意味では本物の降臨者の妻となったルクレティアこそ最重視すべき対象の筈だが、ルクレティアはまだ聖女になったことを秘さねばならぬ身であったし、彼女の身の回りの世話をする人間は既に充足している。おまけにスカエウァにとってルクレティアは幼い頃より見知った従妹であることもあって、そうした気分の高揚にはイマイチ繋がっていないのだった。

 ともあれ、そんな仕えるべき相手に最善と思えるように尽くしている彼に、「御する」などと全く異なる価値観を持ちだされても飲み込めないのは無理もないことだろう。


「そうだ。

 貴様は聖貴族コンセクラトゥム様方に便宜べんぎを図りすぎる。

 あれでは増長させるだけではないか!」


「増長!?」


 スカエウァは仰天して声をひっくり返した。


「そうだ、忘れたのか?

 あの方たちは虜囚の身、咎人とがびとなのだぞ!?」


「咎人!?」


 これ以上は無いくらいに目を丸く見開いたスカエウァだったが、カエソーの言った意味を咀嚼そしゃくすると顔を青くし、ワナワナと身を震わせた。敬愛すべき存在を御するなど、不遜ふそんにもほどがある。


「お待ちください閣下!

 虜囚の身とは言えいやしくも聖貴族です。

 貴族は身分に応じた扱いを受ける権利があり、我々はそれを尊重せねばなりません!

 それなのに「黙れ!」!?」


 スカエウァの弁明はカエソーの一喝で遮られた。


「それは戦時捕虜の話だ!

 お前は、我々はいったいいつ、誰と戦争をしたんだ!?」


「だ、誰とってそれは……」


「いいか、我々は誰とも戦争なんかしていない。

 どちらも大協約にのっとった宣戦の布告だってしてないだろ!?

 我々は襲って来た盗賊を討伐しただけだ。

 そして彼らは聖貴族だが、盗賊の一団に加わり、盗賊たちと共に捕えられた。

 違うか!?」


「し、しかし彼らは我々と戦って捕えられました。

 ならば、たとえ正式な手続きは踏んではおらぬとはいえ、実質戦争をしていたようなものではありませんか!?」


 それまで言葉は厳しくはあれども一応の冷静さを保っていたカエソーの顔が急速に赤く染まり、憤怒ふんぬの表情に歪んだ。


「貴様は!

 我がサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア『勇者団』ブレーブスと、ひいてはレーマ帝国がムセイオンと、戦争を始めたことにしたいのか!?」


 カエソーの怒声に身を震わせながらスカエウァはようやく自分の失言に気が付いた。

 『勇者団』は正式な代表というわけではないが、それでもムセイオンの聖貴族の集団である。『勇者団』のムセイオン内での立ち位置は彼らにはよく分からないが、しかしもしも『勇者団』がムセイオンの中で一定程度の評価を得た集団であるならば、『勇者団』と戦ったサウマンディア軍団はムセイオンの敵として認定されてしまうかもしれない。サウマンディア軍団は地方の防衛を担当する辺境軍リミタネイとはいえレーマ帝国の正規軍である。レーマ帝国とムセイオンが戦争状態になったとなれば、それは現在の大協約体制の崩壊を意味していた。

 スカエウァは青ざめた顔を小さく震わせながら、それでも抗弁を試みる。


「し、しかし閣下は、あの者たちに聖貴族にふさわしく遇せよと、そう申されたではありませんか」


 確かに言った。それどころか捕虜として貴族にふさわしい待遇で扱うことを当人たちに約束してさえいる。今更だが失言だったといわざるを得ないだろう。カエソーはスカエウァを睨んだまま震える様な深呼吸を数度繰り返し、鬼のような形相を平静な表情へと戻すと、その表情に相応しく落ち着いた口調で答えた。


「彼らが大人しくしている限りは貴族として扱うということだ。

 反抗、あるいは脱走を試みるようであるならばその限りではない。

 そして、彼らが反抗や脱走を試みたりしないよう、しっかりと監視し、そして適時必要な警告を与えねばならん。

 貴様にはそれが出来ておらん。」


 思わぬ指摘にスカエウァは思わず視線を泳がせた。ルクレティアやグルグリウスなどを見るが、彼らは助けてくれるどころか冷めた視線をスカエウァに向けるのみで何の反応も示してくれない。スカエウァは内心で自分の孤立に気づきつつあった。が、まだその状況の深刻さを悟るには至らない。


「それはメークミーサンドウィッチ様もナイスジェーク様も大人しく強力的に振る舞っておられるからです。

 警告を与える必要などありませんでした。それなのに……」


「必要なかっただと!?」


 尻すぼみになっていくスカエウァの言葉はカエソーの反駁で途切れた。スカエウァの目に困惑と反発の色が入り混じる。


「貴様は幾度か、彼らの要望をかなえようとした。

 彼らの立場を考えずに、我々の役目もわきまえずにだ!

 ナイスジェーク様が捕えられて直ぐ、まだ状況の飲み込めていないナイスジェーク様とメークミーサンドウィッチ様の面会を叶えようとした時などがいい例だ。」


 スカエウァは俯きながら不服そうに顔をしかめ、口を尖らせた。


「だいたい今までのお二人の食費は何だ!?

 一体どれだけ金を費やす気だ?

 貴族としての扱いとはいっても際限なく贅沢をさせればよいというものではない!!

 彼らは表向きは見聞を広めるためにムセイオンから来た遍歴の学士ということになっとるんだぞ!」


「それは!」


 パッと顔をあげ、スカエウァが抗議する。


「ムセイオンの聖貴族様は健啖けんたんであらせられます!

 膨大な魔力を回復するためには常人の数倍は召しあがる必要があるのです!

 それに食べ物の値が軒並みあがっていて……サウマンディアの二倍ですよ!?

 商人ども、我々が余所者よそものの貴族だからって値を釣り上げてるんだ!」


 スカエウァの抗議をしかめっ面で首を振りながら聞いていたカエソーは「黙れ!」と一喝した。


「食料品の値が上がっているのはサウマンディアも同じだ。貴様がアルビオンニウムに派遣されてから、アルビオンニアでもサウマンディアでも急速に値が上がっておる。

 別に商人どもが我々の足元を見ておるわけではない。」


 腹立たしげに押し殺した声で、カエソーはスカエウァの言い分の一部を認めた。

 スカエウァがケレース神殿テンプルム・ケレース調査のためにサウマンディウムを発って以降、食料の相場は建材の相場と共に急速に上昇している。アルトリウシアで起きたハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱事件を受け、食べ物の建築資材の需要が急速に高まっているせいだ。アルトリウシアを始めアルビオンニア各地で住民への食料の配給が始まっているため、食料価格の高騰が庶民の生活に与えている影響は限定的なものに留まっているが、配給の対象となっていない食品については一部商人による便乗値上げもあって平時の二倍を超える価格にまで跳ね上がっている。しかし、スカエウァ自身はこれまでずっとアルビオンニウムで過ごしており、食料等生活物資もサウマンディウムから送られてくる物だけを頼りに生活していたため、市場での物価が大きく変わっていることは知らなかった。

 スカエウァはカエソーが自分の主張の一部を認めたことで「それならっ!」と声をあげようとしたが、その前にカエソーが指を突き出したことで押しとどめられてしまう。


「だが、だからといって贅沢品を常人の三倍も与える必要は無い。

 魔力の回復のため?

 そんなもの回復させんでいい!」


 スカエウァは思わず目を剥く。


「だいたいお二人とも捕まった最初の日の食事も、昨夜のシュバルツゼーブルグでの晩餐会ケーナでも、御一人分しか召し上がっておられぬではないか!

 一人分で満足できんというわけではないということだ!

 それだというのに、貴様のように求められたもの全てに応え続けていては、増長させ、立場まで忘れさせてしまうのも当然だ!

 その調子で思い上がり付け上がられて、反抗や脱走へと走られてはかなわん!」


「御二人ともそのようには考えておられません!

 御二人にとって唯一無二の聖遺物アイテムを閣下がお預かりになられておられるのです。

 聖貴族コンセクラトゥムと言えども、聖遺物アイテムを取り上げられた状態で反抗するなど、思いもよらぬこと!」


 カエソーはスカエウァの弁明を聞きながら後ろを振り返り、円卓メンサの上に残していた酒杯キュリクスを取り上げた。


「それはメークミーサンドウィッチ様にとってもナイスジェーク様にとっても、取り上げられた聖遺物アイテムだからだ。

 ペイトウィンホエールキング様に同じことが通じるとは限らん!」


 酒杯に残っていた蜂蜜入りホットワインを一口啜る。それは既に冷めており、蜂蜜の甘さがより一層際立っていた。その甘さはカエソーの苛立いらだちをわずかにいさめはしたが、単に不快の対象をスカエウァから冷めたワインへ移しただけだったのかもしれない。


ペイトウィンホエールキング様は世界一多くの聖遺物アイテムをお持ちだ。

 今、我々が取り上げたペイトウィンホエールキング様の聖遺物アイテムなど、の御仁がお持ちの聖遺物アイテム全体からすればごく一部にすぎんかもしれん。

 つまり、その気になれば我々が取り上げた聖遺物アイテムの全てを諦めてでも、脱走や反抗へと走るやもしれんということだ!」


 カエソーは酒杯に残っていた、既に冷めてやたら甘いだけのワインを飲み干し、改めてスカエウァに向き直った。


「そうなった時、今の貴様にハーフエルフ様を抑えることができるのか!?」


 スカエウァには不服そうな視線をカエソーに返す以外、何も出来ない。これ以上スカエウァに何も反論できぬと判断したカエソーはダメ押しで告げた。


ペイトウィンホエールキング様を御世話し、同時に反抗や脱走を試みられぬよう抑えることができるのは、この場にグルグリウス殿を置いて他にない。

 貴様には無理なのだ。諦めろ。」

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