グナエウス砦の朝

第1196話 聖貴族たちの朝食

統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



 レーマ帝国の軍事施設の代表例とされるのが城砦カストルムだ。一辺が数百メートルにも達する敷地の中に、複数の軍団レギオーが駐屯できるだけの収容能力を持ち、なおかつ敵からの侵攻に堪えるだけの防御力を持っている。次いで規模の大きい物がブルグスで、最大一個軍団程度の部隊を収容できるだけの規模とそれなりの防御力を持っている。基本的に街道沿いに設けられ、移動途中の軍団が宿泊したり、あるいは街道沿いに盗賊等が現れた際に急行する部隊が駐屯していたりする。それより規模の小さいものが中継基地スタティオだ。国境の監視や街道の警備、そして早馬タベラーリウスが中継するための拠点として整備されたものであり、ある程度の守備隊が常駐しているが軍団を収容するだけの規模は無い。

 規模の違いは大きいが、それでも造りが共通している部分も多い。司令部プリンキピアの基本構造などがそうだ。司令部は敷地の中心付近、正門ポルタ・プラエトーリアから伸びる中央通りウィア・プラエトーリアを突きあたった正面に設けられ、正面玄関オスティウムから入るとすぐに規模の大きな玄関ホールウェスティーブルムになっている。そしてその正面最奥には必ず皇帝インペラートルの精巧な胸像が置かれ、その背後に祭壇ララリウムが設けられていた。この配置はかなり恣意しい的だ。その施設に勤める軍人や軍属たちは祭壇に祀られた神々に祈りをささげる時、必ず皇帝の胸像越しに祈りをささげることになるからだ。 

 皇帝の神格化ではないか!? ……そうした批判は以前からあった。皇帝という存在に否定的な元老院セナートスでももちろん槍玉にあげられたことがある。だが皇帝は近衛軍プラエトリアニを除く全てのレーマ軍の最高司令官であり、その皇帝に軍人たちが忠誠を誓い示すのは当然のこと。何より皇帝の胸像が置かれているのはあくまでも祭壇の前であって祭壇に置かれているわけではないことから、皇帝の権威をなんとか失墜させたい元老院派元老院議員セナートルたちの追及は結局今までのところ祭壇の前に皇帝の胸像を置くことを廃止させるには至っていない。


 レーマ貴族が朝起きて最初にすることと言えば、各家庭に設けられた神棚ララリウムに供え物を捧げ、お祈りをすることだ。それは出先でも変わらない。旅行先に持ち運びできる神棚を持っていく者もいるくらいだ。遠征中の軍団もそれは同じで、城砦や砦に宿泊した軍人ならば、その施設の司令部にある祭壇に祈りを捧げることになる。

 とはいって司令部の玄関ホールは既に公共の場である。家庭内で祈りを捧げる時は朝起きて直ぐにするため、身だしなみもしていない寝起きそのままの状態で祈りをささげることになるのだが、一般の兵士や軍属たちがいるところへ貴族がみっともない恰好で出ていくことはできないので、普段とは違い身だしなみを整えてから祈りを捧げることになる。朝食イェンタークルムはその後だ。


 砦司令官プラエフェクトゥス・ブルギが祭司長を務める朝の祭祀に出席し、祭壇に祈りを捧げたスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルはメークミー・サンドウィッチとナイス・ジェークの待っている筈の食堂トリクリニウムへ向かった。


「おはようございます。

 お待たせしてしまったようで申し訳ございません。」


 食堂の前、朝露に濡れた中庭ペリスティリウムを二人並んで立って眺めていたメークミーとナイスを見つけ、スカエウァがうやうやしく挨拶をするとメークミーが何ということもなさそうに返事をする。


「ああ、構わないさ。

 我々も今来たところだ。」


「すぐに朝食の御用意をいたします。

 どうぞ中へ……」


 スカエウァがそう言って扉の方へ案内すると、メークミーとナイスは「そうしよう」と答え、連れ立って食堂へ入った。席に着きながらナイスが本心では全く気にもしてないという風に尋ねる。


「今朝はどうしたんだ、カエソー伯爵公子閣下は我らと同席なされないのか?」


 貴族は客を自宅に招いたならば、基本的に食事を共にするのが通例だ。客分を放置し、あまつさえ一人きりで食事をさせるなど貴族にあるまじき無礼である。そして、メークミーとナイスは虜囚の身ではあるが聖貴族という身分でもあることから、客分に近い扱いをうけることになっていた。捕まって以降の食事も、基本的に毎回カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子に食事に招待されていたし、最初のまだ反抗を諦めてなかった頃はともかく、虜囚という立場を受け入れてからは二人ともそれに応じるようにしている。

 しかし今日の朝食にカエソーの姿が無い。招待されて断ったわけでもないのにカエソーの姿が彼らの食卓にないのは、彼らが捕まってから初めてのことだった。スカエウァは申し訳なさそうに困惑の表情を浮かべ、二人の前に下級神官が運んできた朝食の盛られた皿を並べながら答える。


「申し訳ございませんナイスジェーク様、メークミーサンドウィッチ様。

 カエソー伯爵公子閣下は少々都合が悪くなりまして……」


 スカエウァの答えを聞くとナイスとメークミーは互いに目を見合った。


「すると、今回は我々二人だけで食事を摂るのか?」


「申し訳ございません。」


 メークミーの質問に謝るようにスカエウァが答えると、ナイスが「フッ」と笑って言った。


「まあいいさ。

 カエソー伯爵公子閣下が御同席なされないのなら仕方ない。

 お前が代わりを勤めるがいい。」


「よろしいのですか!?」


 スカエウァは驚き尋ねた。

 スカエウァは降臨者の血を引く聖貴族ではあるが、代を重ねるうちに魔力を失った古すぎる血統の末裔まつえいだ。本来なら聖貴族としての地位などとうに失われていても仕方がないのだが、スパルタカシウス氏族は代々神官フラメンという職業を守り続けてきたがゆえに、先祖から秘伝として引き継いできた知識・伝統などから今でも聖貴族としての権威を保てているに過ぎない。そしてこの世界ヴァーチャリアでは神官とは宗教家であること以上に降臨者に、そして降臨者により近い聖貴族に奉仕する存在……俗な言い方をすれば「召使めしつかい」なのだ。ゆえに、本来なら彼は自分自身がホストを務める場合でもない限り、降臨者や聖貴族の食卓に同席することなどあり得ない。もちろん例外もあって、スカエウァ自身も何度かメークミーやナイスと食卓を共にしたことはある。たとえば彼もメークミーやナイスと共に招待された場合などだ。

 たとえば一昨日の夜のシュバルツゼーブルグでの晩餐会はスカエウァもシュバルツゼーブルグの郷士ドゥーチェヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグに賓客の一人として正式に招待されたので食卓を共にしている。昨夜も同席したが、それはメークミーがルクレティアの同席を求めたからだった。

 レーマ帝国では未婚の女性が家族でも親戚でもない他人の男性と食卓を共にすることは基本的に許されない。それは不道徳とされている。たとえ正式に招待されたとしてもだ。未婚の女性が他人と食卓を共にするのは父や兄などの保護者が出席する場合で、なおかつその同伴者として出席する場合に限られるのである。ゆえにルクレティアがメークミーやナイスと食卓を共にするためには、まずルクレティアの保護者足り得る男性を招待し、その同伴者としてルクレティアを連れて来させる必要があった。そこで昨夜はルクレティアの従兄であるスカエウァがやむなく招待されていたのである。

 だが今、この場にルクレティアの姿はない。未婚の女性が保護者に伴われてという条件を満たしたとしても、家族以外の男性と食卓を共にするのは晩餐に限られるからだ。朝食は基本的に男性は男性だけで、女性は女性だけで摂る。もちろん家族はその限りではない。

 レーマ帝国の風俗・慣習・文化に照らし合わせ、朝食にルクレティアを同席させることが出来ない以上、スカエウァを招待することもない。ゆえにスカエウァは朝食や昼食では、二人の給仕に徹しなければならなかった。ただの召使が客分と食卓を共にするなど本来ならあり得ない。身分が違うから当然だ。だというのに今、ナイスから同席を許す発言があった。これはスカエウァにとって非常に名誉なことであった。


「かまわないだろ?」


「ああ、座れよ。

 その方がカエソー伯爵公子閣下も我々二人を放置したことにならず、面目を保てるだろ。」


 ナイスがメークミーに尋ね、メークミーも快諾するとスカエウァは満面の笑みを浮かべた。


「おお、ありがとうございます!」

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