第1197話 垣間見えた異質

統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



「朝食にしちゃ随分ずいぶんと豪勢だな。

 レーマ貴族は朝、前日の晩餐の残り物を食べるってのは本当なんだな。」

 

 カエソーの向かい側に座ったペイトウィン・ホエールキングは口角を吊り上げて言った。何かの嫌味で言っているのか、それとも素直に喜んでいるのかはカエソーには判断がつかない。

 彼らの目の前には、確かに非常に豪勢な料理が並べられていた。それらはペイトウィンが看破したように前夜の晩餐会に出された料理であり、中には下拵したごしらえだけで数時間はかかるであろう料理まで並んでいる。ただ、前夜の晩餐会と違うのは、一品一品を順番に出していくコース形式ではなく、食卓に並べられる限りの皿をこれでもかというくらいに並べ立てていることか。いや、メニューも若干違いがある。昨夜のメインディッシュだったラムチョップステーキは並んでいない。昨夜のうちに食べつくされたからだ。


ぜいを凝らした貴族の食卓といえど、食べ物を粗末にすることはありません。

 一度料理した物は、包んで客人にお持ち帰りいただくか、こうして翌日の朝食として食べます。

 食べ物は神々の恵み、神々の恵みを無駄にすることは、これすなわち神々への冒涜ぼうとくに他なりませんからな。」


 そう言いながらカエソーはタマゴサラダに食指を伸ばす。卵からリンゴまで……というローマから引き継いだ御馳走の定石セオリーのっとった自然な流れではあるが、そのタマゴサラダは昨夜の残りではなく今朝昨夜の料理を温めなおすついでに追加で調理されたものだったのはちょっと皮肉だったかもしれない。


「ムセイオンではまた違うのですかな?」


 口に含んだタマゴサラダを飲み込んだカエソーが尋ねると、ペイトウィンは眉を持ち上げて相変わらずたたえている皮肉めいた笑みをそのままに、カエソーと同じようタマゴサラダへ手を伸ばした。


「ふむ、ムセイオンではというのは語弊ごへいがあるな。

 ムセイオンの聖貴族たちはそれぞれ、出身国の文化に合わせた生活をしているのだ。だからムセイオンで統一的な食文化というものは無い。

 レーマ出自の聖貴族たちはレーマと同じ食習慣であろうよ。」

 

 ペイトウィンがタマゴサラダを口にするのを見届けながら、カエソーは今度は小麦粉粥ポレンタへ手を伸ばす。

 ポレンタと言われるとトウモロコシを挽いた粉……コーンミールから作る黄色い粥が思い浮かぶかもしれないが、ポレンタがトウモロコシを主原料とするようになるのは《レアル》世界の中世末期以降の話であり、元々は小麦あるいはキビを挽いた粉で作られる粥である。麦の粥というとプルスという印象が強いが、ポレンタが麦を挽いた粉を使うのに対し、プルスは麦を挽かずに粒のまま粥にする点が異なっている。小麦のプルスはフスマごと粒のまま粥にするので見た目が全体に茶色いが、ポレンタは製粉するため白に近い色をしている。

 この世界ヴァーチャリアのポレンタが何故トウモロコシを使っていないかというと単純にトウモロコシが普及していないからだ。トウモロコシ自体は伝わっているのだが、多日照でやや高温な気候を好み、多量の水分を必要とすることから大災害後の気候変動で生産適地が大きく減少したうえ、品種改良の進まない現状では現在でもまだ生産適地が広がらず赤道にほど近い地域にしか普及できていない。レーマ帝国の南端にあるアルビオンニア属州ともなれば、トウモロコシなどは貴族でさえ滅多に手に入れられない貴重品のままなのである。このため、ポレンタと言われれば今でも小麦粉や黍で作る粥なのだった。


ペイトウィンホエールキング様は、いずこの御出自でしたかな?」


「私の場合は少し特殊なのだ。」


 ペイトウィンもカエソーに倣ってポレンタをスプーンで掬い、口へ運ぶ。


「特殊と言われますと?」


「父は去る大戦争において連合側に立って戦ったが、国は特に定めなかった。

 いくつかの国に拠点を置き、その時々で使い分けたのだ。

 ゆえに、私も特定の国を己の祖国と定めてはおらぬ。

 父が拠点を置いた国々が、それぞれ私の祖国を名乗り出てはいるがな。」


 ペイトウィンの食べたポレンタはグラタンのようだった。元々小麦粉を塩とバターとオリーブオイルで味付けした物に、上から粉チーズを振りかけたものだ。ポレンタ自体が牛乳の入っていないベシャメルソースみたいなものだったし、このまま皿ごとオーブンに入れてチーズに焦げ目を付けさえすれば具の無いグラタンになったことだろう。


「そう言う場合、母上の御実家が一番影響するのではありませんか?」


 カエソーがやたらと大きな羊肉の塊がゴロゴロ入ったシチューから肉塊を取り出して尋ねると、皮肉めいた笑みを浮かべていたペイトウィンの顔が不快そうに歪んだ。不味いことを訊いてしまったか? ……カエソーが若干身構えつつ羊肉を口に放り込むと、ペイトウィンも同じくシチューから肉塊を取り出し、目の前でジッとそれを眺め、そして答えた。


「一番うるさかったのは、母上の再婚相手だな。」


 笑みの消えた表情でそう答えると、ペイトウィンはおもむろに肉塊を口に放り込み、顎を大きく動かして咀嚼そしゃくし始める。そして先に肉塊を口に入れたはずのカエソーより先にゴクリのと見込むと、再び皮肉めいた笑みを浮かべて続けた。


「母上御自身は出自もよく分からぬ孤児だったのだ。

 父上に娘を娶らせようとした王族はたくさんいたが、そのいずれにも父上は興味をお示しにはなられなかった。

 母上は子供の頃にどこかの戦場で父上に拾われ、身の回りを御世話をしながら大きくなられ、その後結ばれたのだと聞いている。

 だから母上には親戚などいなかったのだ。

 兄弟を名乗る者はいたが、実際のところは兄弟のように育った孤児仲間ってだけのことらしい。」


 そこまで言ってペイトウィンはフォークをズンッとシチューの中に肉塊に勢いよく突き刺した。そして肉塊を持ち上げ、フォークに貫かれた肉塊からシチューがポタポタと垂れ落ちる様子を憎々し気に眺めながら続けた。


「母上の孤児仲間、母上の再婚相手、その親戚、異父弟や妹たち……

 どいつもこいつも母上を通じて私に取り入ろうとするタカリ屋でしかなかったさ。

 父上が拠点を置いていたが、親戚どもとは無関係だった国々……あれらが居てくれなければ、私も今頃骨のずいまでむしゃぶりつくされていただろうな。」


 どうやら触れてはいけない話題に触れてしまったようだ……カエソーは遅まきながら悟った。ハーフエルフに対して親戚の話題を振るのはある種のタブーだったのだが、それはムセイオンの中だけの常識であり辺境の地方貴族にすぎないカエソーが知る由も無かった。


「では、ペイトウィンホエールキング様は普段、いずこの国の文化にならわれておられるのですかな?」


 肉を飲み込んだカエソーがスプーンでポレンタを掬いながら尋ねると、ペイトウィンは目だけを動かしてカエソーを見、そしてフンッと鼻で笑った。


「いずれの国……と、特定は出来んな。」


 肉を突き刺したフォークを肉ごと皿に戻し、スプーンでポレンタを掬いながらペイトウィンは答える。カエソーと共にポレンタを口に入れ、そしてまた、ペイトウィンはカエソーが飲み込む前にゴクリと飲み込んで続けた。


「父上が拠点を置いていた国々、それらが私の身の回りの世話をする使用人どもを派遣している。最初の内はある日はこの国の、次の日はその国のといった具合だったが、今では特に順番を定めてはおらぬ。

 それどころか、私が友の屋敷に遊びに行っては、それらのいずれの国のモノでもない料理や文化を体験し、あれが良いコレが良いと注文したりするので、今やどの部分がどの国の文化か分からぬ状態だ。」


 自分は誰の影響下にもない……そう主張したいのだろうか? ペイトウィンの顔には何かを嘲笑あざわらうかのような皮肉めいた笑みが再び浮かんでいた。


「その中に、我らがレーマの文化は無かったのですかな?」


 カエソーがやや残念そうに尋ねると、ペイトウィンはフフゥ~ンと機嫌よさそうに、まるで鼻歌でも歌うかのように笑って答える。


「いや、あると思うぞ?

 だが、我が友もハーフエルフならだいたい皆、私と似たようなモノでな。

 ある程度は出身国の文化に根差してはいるのだろうが、だいたい誰もが自分の生活に異国の文化も取り入れていたからな。

 どれがどの国の文化に由来するかなど、当人でもハッキリと憶えきれてはいなかったりするのだ。

 確かに前夜の晩餐の残りを朝食で食べる者もいたさ。

 それがレーマ由来の文化だという話も聞いたことはある。

 だが、それが本当かどうか、レーマ出自のハーフエルフが教えてくれるわけではないからな。」


 ハーフエルフは大なり小なり、親戚たちに搾取され続けた経験を持っている。それゆえに一般人NPCに対する蔑視、種族主義、選民思想といった考えに染まりやすい傾向を持っていた。そしてそれは同時に、自分たちを搾取した親戚たち、そしてその後ろ盾となっている出身国に対する蔑視や反発を強固にし、それ故に反ナショナリズムに近い嗜好をハーフエルフたちの間に育んでしまっていた。

 他国の文化を積極的に体験し、学び、取り入れようとする彼らの試みは、一般的には彼らの先進性や発展性としてとらえられがちではあるのだが、その実は嫌いな親戚たちが大事にしようとしている自国文化を破壊してやろうという衝動を背景にしていたのである。

 ペイトウィンのそれも同じだった。誰それの家で体験したアレが気に入った、ソッチの方が優れているなどと言っては他国の文化を取り入れ、ごちゃまぜにして自分の根差す元々の文化がどのようなものなのかを曖昧にしていき、そしてごちゃまぜにしたそれらの文化の元々の由来をわざと「忘れた」と言って見せるのは、彼らの反骨精神の象徴的な行為なのだった。


 カエソーはそうした事情などまったく知りもしないし、理解もしていなかったが、しかしペイトウィンの表情から何か嗜虐的しぎゃくてきな喜悦のようなものを読み取り、内心に何やら不快なものが渦巻き始めるのを感じていた。

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