強化される防衛体制

第283話 地団駄を踏むイェルナク

統一歴九十九年四月二十四日、午前 - セーヘイム迎賓館/アルトリウシア



 イェルナクは昨日一日、やきもきしながら過ごしていた。一昨日、ヘルマンニからアロイスがアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアを率いてマニウス要塞カストルム・マニに入場したと聞いたからである。これはイェルナクの全く予想外の事だった。


 いずれアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアがアルトリウシアへ派遣されるだろうと予想はしていた。しかし、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアが駐屯しているズィルパーミナブルクからアルトリウシアまで、普通に行軍して最低でも六日はかかるはずである。アルトリウシア復旧復興の手伝いならまず被害状況を確認し、復旧復興計画を立てて必要な物資と人員を準備し、それからズィルパーミナブルクを出発する…その手間を考えればまだ到着できるはずがない。アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアがアルトリウシアへ到着するのは今月の末か来月の上旬になるはずだ。

 にも関わらず既に到着している…それでは復旧復興作業の準備を整える時間的余裕などなかったはずだ。ということは、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアがアルトリウシアへ来たのは復旧復興事業のためではない。ハン支援軍アウクシリア・ハン討伐のために派遣されている可能性が高い。


 アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアも一昨年の火山災害に巻き込まれて戦力が半減したまま再編が出来ていない点では変わりない。アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアよりマシな状況のはずだが、伝え聞くところによれば六個歩兵大隊コホルス騎兵中隊アラリィ一個までを実戦投入できる程度に戦力を回復しているらしい。

 南蛮のヤシロ氏族に対する最前線でもあるズィルパーミナブルクの防衛を考えれば全軍が送られてくることは無いだろうが、近年衰退しきったヤシロ氏族の攻撃をしのぐ程度なら二個大隊コホルスもあれば十分なはずだから、最大で四個大隊コホルスと一個騎兵中隊アラリィが送られてくる可能性がある。アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアと合わせればほぼ一個軍団レギオーに相当する戦力になるだろう。仮に要塞化したエッケ島に籠ったとしても、もはや半個歩兵大隊コホルス程度にまで戦力を減らしてしまっているハン支援軍アウクシリア・ハンを押しつぶすには十分すぎる兵力だ。


 アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの派遣目的を確認しなければ・・・


 本当ならイェルナクは昨日のうちにエッケ島へ帰るつもりでいたが、アロイスが来ていると聞いた以上はその目的をいち早く確認しないことには安心できない。イェルナクは急いでエッケ島への帰還を延期する旨を手紙にしたため、エッケ島行きの補給船を指揮するパーヴァリに託すと、ヘルマンニを通してアロイスへの会見を申し入れたのだった。


 だが返事は中々来なかった。アロイスへ会見を申し込む手紙がマニウス要塞カストルム・マニに届いた時、アロイスはリュウイチと謁見し酒宴コミッサーティオに出席していたのだ。手紙そのものを受け取ったのは翌朝だったが、読む前に緊急で呼び出されて新たな聖女サクラ誕生の報告を聞かされ、そのまま要塞司令部プリンキピアでの会議に出席…結局アロイスが手紙のことを想い出し、それを呼んだのは昨日の夕方になってからのことだった。

 アロイスは手紙の差出人と内容に驚き、その日の夕食前になってエルネスティーネ、ルキウス、アルトリウスらに相談し、改めて事情と助言を聞いてから返事を書いた。

 そんなわけで、イェルナクの下にアロイスからの返事が届いたのは今朝になってようやくのことだった。


「あ、明日だと!?」


 丸一日待たされた挙句に返された返事は、会う必要があるとは思えないがどうしても会いたいのなら明日会ってやる、というものだった。


「何故だ!?

 ハン支援軍アウクシリア・ハン軍使レガティオー・ミリタリスが会見を求めているのだぞ!『必要ない』とはどういうつもりだ!?」


 イェルナクは手紙を握りしめて憤慨する。早馬から受け取った手紙を届けたヘルマンニは眉をひそめた。癇癪かんしゃくを起こしたハン族は手が付けられないことが多いからだ。


 やれやれ、これならワシが出仕しとけばよかったわい…。


 ヘルマンニは本格的に艦隊司令プラエフェクトゥス・クラッススの仕事をサムエルに引き継がせるべく、意識して仕事をサムエルに任せている。今回、サムエルがマニウス要塞カストルム・マニの会議に出席させているのもその一環だった。


 ヘルマンニは本当は生涯現役でいるつもりだった。だがあの日、『ナグルファル』号の船尾楼せんびろうで『バランベル』号から放たれた砲弾に身体を撃ち抜かれてからというもの、その心境は一変してしまっていた。

 ヘルマンニは砲弾で身体を撃ち抜かれ、間違いなく致命傷を負った。たまたまリュウイチが居たから規格外の治癒魔法によって命を落とさずにすんだ。まさに九死に一生を得たのだ。

 だが、それが単に幸運ゆえにからくも死を逃れたというのなら、ヘルマンニの心境をここまで変化させることは無かっただろう。飛んできた砲弾を間一髪で避けることができたとか、そういう助かり方をしたのなら、ヘルマンニは単に幸運を神に感謝して終わったはずだ。いや、もしかしたら神がかり的な幸運に理性がマヒし、恐怖を全く感じなくなってしまったかもしれない。神の加護を確信して信仰にのめり込んでいったかもしれない。

 だがそうはなからなかった。ヘルマンニはあの時、間違いなく致命傷を負ったのだ。


 あの時、リュウイチ様がいなければ、ワシは死んでいた。


 その確信がヘルマンニの精神に与えた影響は大きかった。助かったのは幸運だったからではないし、これまで信仰してきた神々の加護によるものでもなかった。


 ワシヘルマンニはあの時、死んだのだ…


 その衝撃が生涯現役を志していたヘルマンニに与えた影響は、彼自身にすら計り知れないほど大きい。決して、戦や航海が怖くなったわけではない。豪勇で知られたブッカの長ヘルマンニは死を恐れたりはしない。

 ただ、初めて自らの死と向き合ったのだ。そして、それを受け入れることにした。自らの死を受け入れた結果、導き出した答えの一つが息子への相続だった。

 まずは艦隊司令プラエフェクトゥス・クラッスス、次に郷士ドゥーチェ、そして族長の仕事を継がせ、家を継がせる。

 その後はどうしようか?…そこまではまだ考えてなかった。


 ヘルマンニは自分が出した答えに一人満足していた。…満足していた。すがすがしい気分だ…だがそんな気分を台無しにしてくれる男が目の前にいる。

 イェルナク…本当にこのハン族ってヤツらは人を不快にさせてくれる。


「イェルナク殿…まあ落ち着かれよ。

 キュッテルアロイス閣下もお忙しいのだ。おそらくこちらに到着する前から色々ご予定を組まれていたのであろう。いくら軍使レガティオー・ミリタリスとはいえ、そこへ突然会見を申し込まれてもいきなりハイそうですかとは応じれまいよ。」


「ヘ、ヘルマンニ卿!

 イェルナクが腹を立てているのはそのようなことではありません。私とて予定の無いところに会見を求めても断られるか後回しにされるであろうことぐらい承知しております。問題はそうではないのです!

 これを、これをご覧ください!

 私が腹を立てているのは会見を断る理由です。『必要ない』とはどういう事ですか!?

 私はこのような断られ方をしたのは初めてです!!」


 イェルナクがブルブルと震える手で突き出した手紙をやむなく受け取ると、ヘルマンニは老眼の進んだ人間が良くやるように目を細め、両腕を伸ばして顔から離しながら手紙を読み始めた


「あぁ~ん…何々?

 え~…貴殿は状況を説明し、現状の認識の共有したいとのことだが…余は既にアヴァロニウス・アルトリウス閣下を通じて状況は理解しており…あ~…わざわざ時間を割いて貴殿と会見する必要はないものと認む…う~…それでもあえて会見を望むのであれば、四月二十五日に会見の時間を設けるゆえ…え~…その旨、返答せよと…ふむ?」


「どうですか、ヘルマンニ卿!?

 わざわざ時間を割いて会見する必要はないと!」


「まぁまぁ、イェルナク殿…落ち着かれよ。」


「これが落ち着いていられますか!?

 イェルナク軍使レガティオー・ミリタリスですよ!?

 ハン支援軍アウクシリア・ハン幕僚トリブヌスイェルナクです!

 一軍を預かる軍団長レガトゥス・レギオニス軍使レガティオー・ミリタリスをこのように軽んじて良いのですか!?

 私はこのような無礼な扱いは初めてです!!」


 いや、お前さん方ぁ周りにもっとを働いとるだろうが…という言葉を漏らすほどヘルマンニは迂闊うかつではなかった。


「で、どうするのかね?

 そこまでご立腹とあらば、もう帰るかね?

 今日のエッケ島行きの補給船はもう出たが、もう帰るというのならワシが船を仕立ててやらんこともないが?」


 イェルナクは今回、エッケ島への補給船に便乗してセーヘイムに来ていた。だから帰るとしたらエッケ島行きの補給船に再び便乗するか、誰かに船を仕立ててもらわねばならない。

 ヘルマンニはイェルナクという男が嫌いだったし、もっと言えばハン族が丸ごと嫌いだった。イェルナクと同じ船になどホントは乗りたくはないが、このままセーヘイムに留まられるよりはまだ一度だけ船に載せて送り返す方がマシである。

 イェルナクはフゥーッ、フゥーッと息を荒くしていたが、地団駄を踏むのをやめ天井を睨みつけて気分を落ち着かせると、ヘルマンニの申し出を丁重に断った。


「いえ、ヘルマンニ卿の申し出はありがたいのですが、イェルナクは己の職務を果たさねばなりません。

 申し訳ありませんが、もう一日こちらでお世話になりたいと存じます。」

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