第296話 アイゼンファウスト偵察

統一歴九十九年四月二十六日、昼 - アルトリウシア平野/アルトリウシア



 人の背よりも高いあしが密生するアルトリウシア平野…本当に密生している所はそれこそ茂みと同じで人が通り抜けることなどできない。特に今のような晩秋ともなれば、その一本一本が枯れて木の様に硬くなっており、かき分けて進むことさえ難しい。

 だが、そんな葦も広大なアルトリウシア平野全域にわたって均一に密生しているわけではない。遠目には真っ平に見える平野も、密生する葦を除けてみれば意外と複雑な起伏がそこかしこにあるのがわかるだろう。

 ここアルトリウシア平野は海抜ゼロメートル地帯の湿地。常に水没しているところもあれば、満潮時だけ水没するところも大潮でも水没しない陸地もある。その水も海水のところもあれば真水のところもあり、両者が混じっているところもある。

 ゆえに、そこに生える葦も緊密と言って良いほど密生している場所もあれば、まったく生えていないところもある。密度は一様ではないのだ。


 ドナート率いる五騎の騎兵は葦の少ないところを選び、縫うように東へ東へと進み続ける。無理にかき分けて進めば、当然葦が不自然に揺れることになり、遠目からも「アソコに何かいる」と明らかになるからだ。

 しかし、ただ葦の少ない場所を進めば良いというものでもない。葦の密度の低い場所は水没する場所であることが多いからだ。アルトリウシア平野の大部分は湿地帯であり、独自の生態系がある。ワニのような危険な大型爬虫類は存在しないが、それでもヘビや蛭のような厄介な生物は存在していた。どちらもそろそろいなくなる季節だが、まだ油断はできない。いきなり致命傷を負わされるような危険な生物ではないが、だからといって安全というわけでもない。ヘビの中には毒を持つものもいるし、蛭は血を吸うだけでなく寄生虫や感染症を媒介することもある。また、蛭に食いつかれるとしばらく出血が止まらなくなるため、血のニオイで他の動物を呼び寄せてしまう事にもなる。

 そうした面倒な相手を避けるためにも、なるべく水に浸かることなく、なおかつ葦の少ないルートを探して進まねばならない。


 人の背よりも高い葦が密生する中を、海側へ飛び出すことも、逆に海から離れすぎることもなく、東へ東へと進みつづけるのは容易ではない。自分の位置がそもそもわからないのだ。ドナートはこの世界ヴァーチャリアでは貴重な方位磁石を持っていたが、これでわかるのは方位だけである。周囲を見渡せない以上、今自分が海岸からどれだけ内陸に居るのか確認する術はない。

 ではどうやって自分の位置を見失うことなく進み続けることができるのか?

 ドナートはその辺の感覚をダイアウルフに頼っていた。ダイアウルフは元々いたアーカヂ平野でもそうだったが、自分より背の高い草の密生する草原でも自分のいる位置を把握する能力を持っていたのだ。


 ドナートとダイアウルフは以心伝心としか言えないような、お互いの雰囲気からお互いの思惑を察しながら、進むべき方向を決めていく。このレベルの意思疎通となると普通のゴブリン騎兵が同じ真似をしろと言われても難しいだろう。ドナートが「単騎駆け」の異名を得たのは、決して偶然ではなかったのだ。

 ドナートが連れて来た部下四人はいずれもベテラン騎兵であり、ここから一人で帰陣せよと命じられれば戻ることは出来るだろう。実際、それができるであろうメンバーを選んで連れてきている。だが、ドナートと同じように行けと言われても難しい。ドナートの様に自分がどこへ行きたいかをイメージし、それを明確にダイアウルフに伝えることができないからだ。

 部下たちはドナートが何でこんなにスイスイと進めるのか、不思議に思い、悩み、感心し、そして畏怖しながら付いて行った。

 アルトリウシア平野の葦の密林で、初めてのルートを迷うことなく端から端までわずか半日で横断するなど、おそらくドナート以外の誰にもできない。


「よし、この辺でいいだろう。」


 ドナートはわずかに開けた場所に出るとダイアウルフを停めさせた。


「この辺りが、そうなのか?」


 部下たちは半信半疑だ。かなりなスピードで東進したのは間違いない。だが、薄い雲越しに見える太陽はちょうど真上くらいだ。今は昼か、昼をすこしすぎたくらいだろう。朝かなり早く出たとはいえ、あれだけ葦が密生して周囲が見えない中を進み、わずか半日でアルトリウシア平野を横断できたとはにわかには信じがたい。ダイアウルフに乗ったまま周囲を見回しても葦と空しか見えない。


「ああ、この北にアイゼンファウスト…その少し東、この方角にマニウス要塞カストルム・マニがあるはずだ。」


 ドナートは他の部下たちが集合するのを待ちながら、北と北東をそれぞれ指さして質問してきた部下に答えた。


「よし、全員一旦ここで休憩だ。

 装備を降ろし、歩いてセヴェリ川まで出てみよう。

 万が一見つかっても怪しまれないよう、軍装も解いて平民っぽい恰好をしていくぞ」


 全員が揃うのを待ってドナートは部下たちに命じると、ダイアウルフから降りた。ダイアウルフの背中に括り付けていた荷物を降ろし、そしてダイアウルフの脚を診てやる。案の定、何か所か血で赤くなっていた。蛭に食われたのだ。


「待ってろよ、今手当してやる。」


 ドナートは前足の血を舐めようとするダイアウルフを宥めると、革袋から清潔な水を掛けて傷口を洗い流してやり、血止めの軟膏を塗った。


「お前たちも自分のダイアウルフを診てやれ。

 あと、ここは陸地だが油断するなよ?」


 クゥーンと鼻を鳴らして甘えるダイアウルフの鼻面を撫でてやりながら部下に指示を出し、革袋の水を一口飲む。


「“待て”だぞ、せっかく塗ってやった軟膏を舐めるなよ?」


 軟膏のことは一応ダイアウルフに覚えさせている。舐めるなと、これは薬だと、賢いダイアウルフは理解しているはずだが、この軟膏は癖のあるニオイがするが味は甘いせいか、時折ペロペロと舐めてしまうダイアウルフが居るのだ。だから塗ってしばらくの間は、舐めるな、待て、と言い聞かせ続ける必要がある。

 ドナートはダイアウルフに「待て」「ダメ」「舐めるな」を繰り返しながら、鎧などの軍装を解いていった。


「隊長、準備できました。」


「よし、じゃあ行くか。

 全員ついてこい。分かってると思うが、物音を立てないように気を付けろ。

 それから、お前たちは“待て”だ」


 全員の準備が整うとドナートは部下たちについてくるよう命じ、ダイアウルフには「待て」を念押しで命じて北へ向かい始めた。葦の間からセヴェリ川の水面みなもが見えるところまでたどり着くのに、おそらく十分とかかっていないくらいだろう。すこし、小高くなっているところを西へ迂回しながら進み、葦の茂みの中から目にした川の向こうに広がっているのは、たしかにアイゼンファウストの地形だった。


「スゲー、本当にアルトリウシアだ!」

「さすが隊長、『単騎駆け』は伊達じゃねぇぜ」


 部下たちは口々に驚きとドナートへの称賛を口にする。

 ただし、彼らが目にしたアイゼンファウストは以前とは違い、地表は黒く焼けただれ、林立していたはずのバラックはきれいさっぱり無くなっている。何故かセヴェリ川の北岸に生えている草を刈る作業の途中らしく、およそ十ピルム(約十八メートル半)置きに領民たちが草を刈っていた。

 その向こうの少し高くなった街道の上には何やら偉そうな軍人たちが東へ向かって歩いている。


「!?」


 ドナートは思わず声を上げそうになった。この辺りは実際に水が流れている川幅だけで五十ピルム(約九十三メートル)を越えており、対岸で草を刈っている住民との距離は百ピルム(約百八十五メートル)近いので、多少声を上げたところで気付かれる心配はない。だが、それでもドナートは思わず自分の口を手でパッと覆って声を押し殺した。


「どうした隊長?」


「アレを見ろ!堤の上、湾岸街道ウィア・シヌスを歩いてる軍人!」


 ドナートは押し殺したような低い声で対岸を左手で指さしながら言い、右手の人差し指を丸く曲げて小さな輪っかを作ると、その輪っか越しに先ほど見つけた軍人たちを見た。百十~百二十ピルム(約二百四~二百二十二メートル)ほどの距離があるため、さすがに顔を見分けることはできないが、まとっている軍装の違いから所属や種族くらいは判別がつく。


 あの一番背が高く、全身を白い体毛で覆われて赤い貫頭衣トゥニカ姿なのは間違いなくアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子だろう。その近くにいるホブゴブリンも赤い貫頭衣トゥニカロリカを纏っているからアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアなのは間違いない。そいつらはどうでもいい。アルトリウシアに居るのが当然な奴らだからだ。

 問題は一緒にいるヒトの軍人たちだ。


 一人は背が高く痩せていて、黒い肌に黄色と黒の布地をチグハグに組み合わせたド派手な格好をしている。レーマ帝国であんなピエロみたいな恰好をするのはランツクネヒト族だけだ…つまり、あの軍人はアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアだろう。もしかしたらクプファーハーフェン歩兵隊コホルス・クプファーハーフェンかもしれないが、そっちの確率は低い。

 そしてもう一人のヒトの軍人…典型的なレーマ軍の赤い貫頭衣トゥニカに白銀に輝くロリカ、そして赤いマントサガム…彼らはアルビオンニアの軍人ではない。アルビオンニアのヒトの軍人はランツクネヒト族だけだ。標準的なレーマ軍らしい恰好をしている軍人はホブゴブリンのアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアか子爵家の私兵だけで、ヒトであの格好をしている軍人は居ない。


「あれは、ひょっとしてサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアか?」


 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアがアルトリウシアにいる。どちらも本来アルトリウシアに居ないはずの部隊である。そのことが示す意味は極めて重大だった。


「隊長、あのヒトの軍人たちがどうかしたのか!?」

「あれってアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアだろ?」

「ああ、俺、見たことあるぜ」

「バッカ、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアはここにいるみんな見たことあるよ。」

「あの近くにいる背の低い奴も知ってるぜ!『鉄拳』メルヒオールだ」

「アイゼンファウストの郷士ドゥーチェだっけか?」

「あ、隊長どうした!?」


 ゴブリン騎兵たちがゴチャゴチャ話している間にドナートは周囲の様子を粗方確認すると、さっさと撤収し始めていた。


「急いで帰るぞ!」


「え、もうかよ!?」

「帰るの明日にするんじゃなかった!?」


 ゴブリンたちは慌ててドナートの後を追い始めた。

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