第297話 サルベージ準備

統一歴九十九年四月二十六日、昼 - エッケ島エックハヴン/アルトリウシア



 今日の午前にいつもの補給船と共に来た貨物船クナールには、ヘルマンニお抱えの船大工たちが乗っていた。来航の目的は『バランベル』号の修理である。

 もっとも、『バランベル』号は今、船底に穴が開いた状態で沈んでしまっている。水深の浅い入り江だったから沈没ではなく、船体の大部分を水面の上に残ったままの着底ちゃくてい状態ではあったが、どのみち一度陸揚げしないことにはどうしようもない。

 しかし、『バランベル』号は舳先へさきを北…つまり入り江の奥に向け、入り江のど真ん中に沈んでいる。砂浜は西…つまり『バランベル』号から見ると左の方にあるため、このままでは多数のロープを引っ掛けて強引に引っ張ったとしても、船は浜に乗り上げるどころかその場で横転してしまうだろう。


 前日に一度、補給船に便乗する形で訪れて『バランベル』号の状態を下見した棟梁とその弟子たちは、『バランベル』号を一旦そこで浮き上がらせ、それから向きを変えて浜へ引き揚げることにした。


「浮き上がらせる!?

 いったい、どうやって?

 我々も水を掻き出させたが、船体に穴が開いているから掻き出すよりも入ってくる水の方が多いくらいだぞ!?」


 昨日、作業の方針について説明を受けたハン支援軍アウクシリア・ハン軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムモードゥは驚きを隠さなかった。モードゥは船に関する知識など持ち合わせていない、ずぶの素人だった。普段、彼は補給を担当しているが、ハン支援軍アウクシリア・ハンでは船は移動や補給のための道具としてみなされているため、『バランベル』号の修理や他の貨物船クナールの管理も彼が担当させられていたのだった。


「今、海中に沈んじまってる船倉せんそう部分に、空気で膨らませた革袋を詰め込んでいきやす。すると、それがになって船体が少し浮いてくるんで、そしたら船体の外にデカイたるくくり付けて本格的に浮き上がらせんでさ。」


 棟梁の説明を聞いたモードゥはひどく感心していた。


「その、革袋だけでは浮き上がらんのか?」


「こんなデカブツを浮き上がらせるほど革袋の手持ちはありやせんや!

 今セーヘイムにある分をかき集めても足りるかどうかわからんくれぇで…

 最悪、先に船尾だけ浮き上がらせて船尾にの樽を括り付け、その後で船首を浮き上がらせてって、半分ずつやることになるかも知れやせん。

 ともかく、今のうちに外せるもん全部外して、船をできるだけ軽くしといてくだせぇや。」


 昨日はそういう説明だけで船大工たちはセーヘイムへ帰っていった。

 そして今日、船大工たちは自前の船に革袋とバカでかい樽を積めるだけ積んでやって来た。モードゥが提供したゴブリン兵たちに手伝わせて、革袋を膨らませては口を縛り、それを一つずつ水底へ沈んだ船倉へ運び込んでいく。革袋は一つ一つは膨らませた状態でブッカが水中へ持って潜り込める程度の大きさしかないが、それなりに数があるため膨らませる方は結構大変である。ましてや体格の貧弱なゴブリンたちはヒーヒー言いながら膨らませていた。

 革袋は水を良くはじく海獣の革で作ったモノで、もとよりこんな風に沈没船を浮揚ふようさせるために用意されていた物だった。アルトリウシアで一番大きい『ナグルファル』号の船倉を一杯にするだけの量があったが、『バランベル』号は『ナグルファル』号の倍以上の重さがある。

 水没している『バランベル』号の船倉はハン支援軍アウクシリア・ハンの捕虜となっているブッカによって、残っていた荷物をすべて運び出されていた。沈んでいない上部にある荷物も昨日の内にすべて降ろされ、外せるものは家具はもちろん戸板に至るまで外すほどの徹底ぶりだったが、やはり『バランベル』号を一度に浮かび上がらせるには浮力が足らない。


「ああ、やっぱ片っぽずつだな…よーし、ケツから揚げるぞ!」


 持ってきた革袋のすべてを船倉に納めたにもかかわらずビクともしない『バランベル』号を見て棟梁が決断を下すと、棟梁が連れて来た弟子や職人たちが船倉へ潜り、天井へ張り付いている革袋を船尾の方へと集めていく。すると、船尾が少し浮き上がり始めた。


「なんで後ろから先に揚げるのだ?」


「ああ?…前から揚げたらその分後ろが余計に沈み込んじまう。

 そしたら、舵が壊れちまうじゃねえですか?」


 『バランベル』号の舵は船尾の中心軸上に存在していた。船全体が着底している状態で船首側を浮揚させれば、必然的に舵は海底にめり込む形になり、船の重量が集中して壊れてしまう。


「前なら大丈夫なのか?」


「前っかわにゃ舵はぇし元々丈夫に造られてんだ。

 だから後ろから揚げた方がいいんでさ」


 脇で見ていたモードゥの疑問に棟梁が答えると、モードゥは「なるほど」と感心したようにうなずいた。

 棟梁は説明していなかったが、ブッカたちが船の舵を神聖なものとして扱っていることも、棟梁の無意識下で決断に影響していた。ブッカたちの操る戦船ロングシップ貨物船クナールの舵は必ず船尾の右舷側に取り付けられているが、船べりから際は汚物が神聖な舵につかないようにするため、必ず左舷側からくらいだ。舵が壊れたり傷ついたり汚れたりしないよう、どうしても気を使ってしまう癖がついている。


「よーし、樽を括り付けるぞ!ロープくぐらせろ!」


 棟梁の号令一下ごうれいいっか、長いロープを持ったブッカが『バランベル』号の船尾の下へ潜っていく。そして、船体を浮き上がらせることで出来た竜骨りゅうこつ(船にとっての背骨のような部材)と海底の隙間にロープを通す。

 そこへあらかじめ紐を巻きつけておいた、人が二~三人なら余裕で入れそうな巨大な樽を海面上に浮かべ、船底に回したロープのそれぞれ両端を結び付け、徐々に締め上げていく。船体の下を潜らせた一本のロープで船体の左右に結びつけられた巨大な樽は、互いを繋ぐロープを短く締められていくことで海中へと沈んでいく。

 そして同じ作業を繰り返し、樽の数を増やしていくと船体は少しずつ浮き上がっていきた。


「よーし、革袋を抜けぇ!!」


「!?」


 棟梁が号令すると、ブッカたちは船倉から革袋を抜き始める。すると、樽だけでは浮力が不足し、せっかく浮き上がり始めた『バランベル』号の船尾は徐々に沈み始めた。


「何をするのだ棟梁!!

 せっかく浮いたのにまた沈んでしまうではないか!?」


 作業を見ていたモードゥは慌てて問い詰めた。せっかくうまく行きかけていた作業を中断されたのではたまらない。


「旦那、アッシらが持ってきた樽はもう全部使っちまった。

 どのみちこのままじゃ浮き上がらねぇ。

 明日、追加の樽を持って来やす。それを使って船首も浮き揚がらせてから、浜へ引っ張り揚げんでさ。」


「そ、そうか…だが、革袋を抜かなくても良かったんじゃないのか?」


「半端に船尾だけ浮かせといたんじゃ、風に吹かれて船尾だけが東へ流れちまいう。船首を軸にグルっと回ってね。

 そしたらコイツぁ入り江を塞いじまいやすよ。それに、海底に埋まったままの船首に無理な力がかかって、余計に壊れちまうかもしれねぇ。

 革袋だって長く水に浸けといちゃ、水吸ってダメになっちまう。樽は大丈夫でえじょうぶだから、このままにしときやすがね。」


 そう言われればモードゥも納得するしかなかった。


「棟梁殿、我らの『バランベル』号のために働いてくれる其方そなたらを歓待しようと用意をさせておいたのだが・・・」


「気持ちはありがてぇが、アッシらは帰らせていただきやす。

 明日持ってくる追加の樽とロープの用意しなきゃなんねぇんで。」


 棟梁は何かとシブチンで知られるハン族にしては珍しく気前の良さそうなモードゥの申し出を断った。棟梁はヘルマンニのお抱えである。連れて来た弟子や他の船大工たちも同様だ。そしてヘルマンニは補給船を任せているパーヴァリから報告を受けていた。

 ハン支援軍アウクシリア・ハンのモードゥはことあるごとに、エルネスティーネやルキウスが密かに降臨を引き起こし、降臨者を匿っているという陰謀論を吹聴しようとすると。

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