第298話 サウマンディアの謀(はかりごと)

統一歴九十九年四月二十六日、昼 - 青山荘執務室/サウマンディア



 レーマ帝国属州サウマンディアを治める属州領主ドゥクス・プロウィンキアエプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵は少し厚手の長袖の貫頭衣トゥニカズボンブラカエを履き、その上からトガをまとうという、秋よりは初冬に相応しい服装に身を包んでいた。

 サウマンディアは南レーマ大陸の南端に位置し、アルビオン島よりも北…つまり赤道に近い位置にある。しかし、同じ大陸の西側に位置するチューアや、より南にあるはずのアルトリウシアが、大南洋オケアヌム・メリディアヌムを南下してくる暖流の影響で緯度の割に温暖な気候であるのに対し、サウマンディアは南レーマ大陸を縦断するクンルナ山脈を越えて吹き下ろす偏西風のおかげで寒冷で乾燥した気候だった。おかげでサウマンディウムはアルトリウシアより半月から一か月程度早く冬を迎えようとしている。

 それでもサウマンディアの中でも最南端に位置するサウマンディウムは、アルビオン海峡からクンルナ山脈を迂回した暖気が流れ込むこともあるので、風向きによっては過ごしやすい日もある。実際、昨日は南寄りの風でこの季節の割には温かかったのだが、今日はそうではなかった。

 アルトリウシアへ派遣していた軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムマルクス・ウァレリウス・カストゥスの帰還を受け、『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテスのだだっ広い執務室タブリヌムに集合したサウマンディアの重臣たちが、皆が皆といってよいほどプブリウスと同じように冬のような服装なのも当然だったと言えよう。


 今日集められていたのは降臨の事実を知らされている限られた人数のみであり、プブリウス本人を入れても十一人ほどである。機密保持を徹底するため、全員副官や秘書といった従者を同席させず、部屋の外に待たせていた。今日は風が強いので窓はすべて閉め切られており、天井の無い屋根の中央だけを一段高くして設けた採光用窓から入ってくる薄明かりに照らされた出席者たちの顔は、背後で影っている壁の薄暗い背景に浮かび上がっているように見えている。

 マルクスの報告を聞くために集まったプブリウスと重臣たちは、アルトリウシアの状況が懸念していたよりかなりマシであることに胸を撫で下ろしていた。


「いいぞ、アルビオンニアもハン族もどちらも互いを攻める手段が無いのであれば、戦になる心配はあるまい。

 降臨者様をサウマンディウムへお招きできないのは残念だが、アルトリウシアがそのような状況であれば急ぐ必要も無い。レーマ本国の方針が明らかになるまでは、むしろこのままアルトリウシアに御滞在いただく方が良いだろう。

 あとは、ティトゥス街道整備と増援部隊の派遣…準備は良いのだな?」


 満足そうなプブリウスがサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団長レガトゥス・レギオニスを務める実弟アッピウス・ウァレリウス・サウマンディウスに尋ねると、プブリウスと風貌こそ似ているが現役軍人らしく引き締まった体格を誇示するように胸を張って答えた。


第三大隊コホルス・テルティアをアルトリウシアへ、第八大隊コホルス・オクタウァをアルビオンニウムへ派遣する手はずを整えています。

 むろん、第一大隊コホルス・プリマも出撃準備を整えて待機中です。」


「よし、いいぞ。ウァレリウス・カストゥスマルクスを送り込んだのは正解だったな。」


 物事が思い通りに順調に進んでいる様子に満足したプブリウスは相好を崩し、フカフカの背もたれに上体を預ける。それを見て他の出席者たちも機嫌の良さそうな笑みを浮かべた。


「閣下、最後に御報告すべきことがあります。

 おそらく、本日小官がする報告でもっとも価値のある報告となりましょう。」


「ほう、どうやら悪い報告ではなさそうだが?」


 意味深な口上を述べるマルクスの顔に浮かんだ、自信ありげな笑みに興味を持ったプブリウスが投げ出したばかりの上体を起こして身を乗り出した。


「はい、新たな聖女サクラが誕生いたしました。」


「んん?…降臨者様がどこぞの娼婦を連れこんだとかいう話なら、侯爵夫人エルネスティーネからも手紙を受け取っておるぞ?

 降臨者様の夜伽よとぎをするよう、専属契約を結んだと聞いておる。」


 怪訝な表情を浮かべるプブリウスに対し、マルクスの笑みは一層強くなる。


「いかにも、その娼婦…早くも聖貴族コンセクラトゥムに勝るとも劣らぬ魔力を得て、名実ともに聖女サクラとなっております。」


「「「なんだと!?」」」


 一同の一斉に驚き、マルクスの方へ身を乗り出した。


「その娼婦…名をリュキスカと申しますが、わずか三度みたび同衾どうきんしただけにも関わらず、スパルタカシアルクレティア様に倍する魔力を得ております。

 おそらく、大家名家の聖貴族コンセクラトゥムに匹敵する魔力でしょう。かの地で今や彼女はリュキスカ・リュウイチアと名乗っておいでです。」


 マルクスの報告にざわめきが起こる。


「たったの三度で!?」

「あり得ない」

「降臨者の血を引く子ならともかく、本人が力を持つなど」

「いや、それ自体はある。だが、年単位の時間が必要なはずだ。」

「衰えたりとは言えスパルタカシアルクレティア様だって並の神官の倍以上の力はお持ちのはずだぞ!」

「信じられん」

「その娼婦…いや、リュウイチア様か?誰かの落胤おとしだねではないのか?」

「元々力はあったが、ことで目覚めたということか?」


「いや、それは無いと思われます!」


 マルクスがやや大きめの声で御落胤ごらくいん説を否定する。


「まず、今回リュウイチアリュキスカ様が聖女サクラとなられたことに気づかれたきっかけですが、赤子あかごの魔力酔いでした。」


「魔力酔い?」

「赤ん坊が魔力酔いを起こすのか?」


「いかにも、リュウイチアリュキスカ様には父親の定かならぬ赤子がおいでです。

 前までは何ともなかったのに、からは赤子が御乳を飲むたびにようになられたとか…。

 それでスパルタカシアルクレティア様が赤子とリュウイチアリュキスカ様の御乳を御調べになられたところ、なんと御乳に膨大な魔力が含まれていたそうなのです。」


「そ、それでは、魔力を含んだ御乳を飲んで、赤子が魔力酔いを起こしたというのか!?」


 左右の肘掛けを両手で掴み、身を乗り出していたプブリウスは驚きの表情を張り付けたまま上体を戻しながらスゥーっと伸ばした。まるで深呼吸でもするように。


リュウイチアリュキスカ様ご自身の父親は誰だかわからぬそうです。御母上もどうやら娼婦だったようで…ですから、どこぞの聖貴族コンセクラトゥスがお忍びで落としたたねである可能性は無きにしもあらずではありますが、少なくとも前には力を持っていた兆候は無かったとのこと。」


「だが、たったの三日で魔力を得るものなのか?」

「そうだ、普通は年単位の時間がかかり、子を産んだ後で力に目覚めることも少なくないと聞くぞ?」


 マルクスの説明になおも納得のいかない重臣たちが口々に疑問を投げかけると、マルクスはそれを見回すと、笑みを消し、上体を起こし、胸を張って言った。


けいら、忘れてはいないか?

 今回の降臨者は暗黒騎士ダークナイト》様なのだぞ。」


 一同は唸って黙りこくるしかなかった。沈黙が支配した執務室タブリヌムでマルクスが再び口を開く。


「閣下、これはチャンスです。」


 いつの間にか再び背もたれに身体を沈め、顎に手をやって親指の爪を噛んでいたプブリウスがギロッとマルクスを見る。


「女を、用意しろという事か?」


「はい。たった三日、たった三日だけで並の聖貴族コンセクラトゥスを上回る魔力を有する聖女サクラになるのです。

 リュウイチ様の御傍に女を送り込めれば、子を成さずとも閣下の領内の聖貴族コンセクラトゥスを増やすことがかないましょう。」


 マルクスは一度起こした上体を再び前にのめり込むように倒して言った。


「それはそうだ。だが、カエソーが言うには・・・」


「はい、リュウイチ様はつつしみ深い方で、側女そばめを増やすことを望んではおられません。侯爵夫人エルネスティーネ子爵閣下ルキウスも、現在の秘匿体制を継続するため、新たに女を用意するつもりは無いようです。」


「では難しかろう?

 もちろん、今の内に女を探しはするが、儂の名で女を送り込むとなればそれなりに高貴な女でなければならん。高貴な女を送り込むとなると、それなりの準備も必要だ。」


 身分社会であるレーマ帝国では高貴な人物と接して良いのは高貴な人物だけである。例えば皇族の身の回りの世話をする侍女や従者は皆、爵位持ちの上級貴族パトリキの子弟ばかりだったし、上級貴族パトリキが抱える使用人は基本的に下級貴族ノビレス以上の家の出身者で固められる。例外はその人物が直接所有する奴隷くらいなものだ。

 高貴さという点において皇帝をも上回る降臨者に仕えるための侍女や従者を提供しようというのであれば、当然上級貴族パトリキ以上の高貴な人物でなければならないだろう。この場合だとプブリウスの親族か、あるいはプブリウスの影響下にいる聖貴族コンセクラータから選ばねばならない。


 高貴な人物をどこかへ送り込むとなれば、当然ながらそれなりに色々な準備が要る。貴族ノビリタスとは、公に認知されている人物なのだ。世間から全く注目されない貴族ノビリタスなど貴族ノビリタスではない。何をするにしても、常に公の視線を意識せねばならないのだ。世間から見てみっともない事や恥ずかしい事など絶対に出来ないし、してはならない。それどころか、世間の目を逃れて何かをしようとしている…その事実が明らかにされるだけで貴族ノビリタスにとってはなのだ。

 婚礼や異動や引っ越しなど、いずれも事前に大々的に公表し、世間に対し堂々たるふるまいをせねばならない。皇族や上級貴族パトリキともなると恋愛ですら秘密にはできず、恋人と交わすラブレターの内容を世間に公表するほどなのである。


 だが、今回は全てを秘密裏に行わねばならない。世間の目を逃れるようにしながら、降臨者に仕える準備を整える…平民プレブスにとっては難しくは無いだろうが、上級貴族パトリキにとっては困難と言って良い。「やあ、君の娘(結婚適齢期)だけど、相手は誰ってちょっと言えないんだけど、侍女として差し出してくれないか?」などと言って承諾する貴族ノビリタスなど居るわけがないのだ。


 それに上級貴族パトリキの娘ともなると大抵はで、実際に誰かに仕えさせる前に、数か月から半年程度は修業させなければ使い物にならない。今、送り込める娘を見つけたとしても、修業期間を経て実際に送り込めようになるのは来春ごろになるだろう。

 プブリウスも是非女を送り込みたいと思ってはいるし、実際にマルクスに可能性を探らせもした。だが、さすがに今すぐとなると無理としか言えない。だがマルクスは腹案を持っているようだった。


「閣下、ご安心を。おそらく、が使えます。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る