第299話 見舞い

統一歴九十九年四月二十六日、夕 - 《陶片》リクハルド邸/アルトリウシア



「おぅ、邪魔するゼェ」


 《陶片テスタチェウス》で捕虜となっている支援軍兵士アウクシリオルムバランベルの部屋をリクハルドが訪れると、ベッドのヘッドボードに積み上げられたクッションの山にもたれかかっていたバランベルはスッと上体を起こした。そして、太腿の途中から無くなった右脚はそのままだが、無事な方の左脚は胡坐をかくように緩く曲げていた膝を更に曲げ、体重を少し前のめりにして入室してきたリクハルドを見据える。

 バランベルの血色はだいぶ良くなっており、以前の様に上体を起こしただけで貧血を起こすようなことは無くなってきた。食事も当初は薄い粥や重湯おもゆのようなものしか摂れなかったものが、今では肉でも食べれるようになってきている。だが、体力はさすがにまだ回復しておらず、何かに掴まりながら立ち上がることはできるが、立ち続けていることは出来ない。トイレは椅子型のオマルを使っているが、ベッドからオマルに移動する際は介助を必要としていた。


「リ、リク…ハルド…」


 ニコニコと笑いながらノッシノッシと近づいてくるリクハルドを、バランベルは緊張の面持ちで見上げる。実際、ハーフ・コボルトのリクハルドとゴブリンのバランベルでは立った状態でも身長差は二倍近くある。体重差は六倍近い。まさに巨人だ。そんなのが笑いながらとはいえ無遠慮に近づいてくれば、思わず身構えてしまうのも当然だろう。リクハルドの背後にはリクハルドに負けず劣らず強面こわもての手下たちが付いて来ているのだ。


「ああ、まぁまぁ、楽にしなよ、楽によ」


 リクハルドはそう言いながら、ベッド脇の腰かけにドッカと腰を下ろした。そして上体を小さく屈めて顔をバランベルの方へ突き出す。リクハルドは身体を小さく見せて視線の高さをバランベルに合わせ、親近感を抱いてもらおうという作戦のつもりだった。

 しかし、バランベルからすれば猛獣が食いつこうと舌なめずりしているようにしか見えない。頭の大きさも倍ほども違うのだ。虎や獅子が鼻面を突きつけてきているようなものである。それでいてバランベルは片足と片腕を失ったばかりで体力もまだ回復せず、寝たきりに近い状態だ。身を守る武器だってありゃしない。バランベルは脂汗を流しながらゴクリと固唾かたずを飲みこんだ。


「で、どうでぇ調子は?」


「…ハ、ハイだ。」


「起き上がれるようになったんだってなぁ?」


「…ハ、ハイだ。」


「飯は足りてるかぁ?」


「…ハ、ハイだ。」


「おぇさんから色々話ぃ聞きてぇんだがよ。

 あいにくとハン語を話せる奴が見つからねぇんだ。」


「…ハ、ハイだ?」


「案外、おぇさんにラテン語達者になってもらう方がはえぇかも知んねぇなぁ?」


「…ハ、ハイだ?」


「まあ、どのみちおぇさんがもちっと元気になってからだなぁ」


「…ハ、ハイだ。」


「……ハイしか言わねえが、オレっちが言ってること分かってるか?」


「…ハイだ。」


「ホントに?」


「ハイだ。全部、分からない。でも、『分かってるか?』、分かった。」


 リクハルドの言っている事全てを理解できるわけではないが、「分かってるか?」と訊かれた事は理解しているらしい。要するに言ってることの半分は理解していないようだ。


「…分かるような分かんねぇような話だな。」


「ハイだ。」


 二人の会話を聞いて、リクハルドの後ろにいた伝六でんろくは笑うのをかみ殺すように顔をゆがめ、その隣のラウリは不機嫌そうに顔をゆがめる。


「まあいいや」


 リクハルドがそう言って屈めていた上体を起こすと、バランベルは驚いてビクッと身体を跳ねさせる。だがリクハルドはそれに気づかないまま背後にいたラウリを振り返った。


「おう、ラウリ。」


「ヘイ!」


 リクハルドの合図でラウリは短く返事しながら軽く会釈すると、そのまま回れ右して部屋から出ていった。リクハルドは再びバランベルに向き直ると、バランベルは今にも逃げ出そうとするかのように、無事な方の手で上体を支えながら仰け反るようにして座っている。


「んあ?…ああ、心配しんぺぇすんな、ちょっとおぇさんに元気になってもらおうと思ってよ?」


「…ハ、ハイだ?」


「何、相棒の顔を見せてやろうってのさ。」


 そのうち部屋の外でドッドッドッドッと不規則に重々しい音が近づいて来た。それとともに「ちゃんとついて来るのよ?」「お行儀よくしなきゃダメなんだからね」と愛らしい女の子の声と、フーハーという荒々しい獣の呼吸音が聞こえてくる。


「ま、まさか…」


 バランベルは聞き覚えのある気配に、思わず身体を起こし、リクハルド越しに部屋の入り口を注視する。それを見てリクハルドはニヤリと笑い、同じように入り口のほうへ振り返って視線を向けた。

 扉が開き、ラウリが戻ってくる。だが、ラウリは部屋には入らず、入り口のところで扉が閉まらないように抑えて立ったままだ。


「よし、ファンニ、この部屋だ。」


「はい、ラウリの旦那様。

 こっちよ、こっち…」


 ブッカの少女が姿を現し、それに続いて巨大な二頭の狼が姿を現す。


「フッタ!!」


 バランベルがベッドから身を乗り出すようにして、感極まったような声でダイアウルフの名前を呼ぶと、二頭の内の片方がピクンと反応し声の主を探す。そしてバランベルを見つけると、ファンニが制止する間も無くサッと駆け出しベッドへ突進した。


「あ、ダメ!」


 ファンニは取り押さえようとしたが全く無駄だった。ダイアウルフはファンニの手をすり抜け、既にベッドの上の己の騎手に体当たりをくらわし、仰向けに転がったバランベルに圧し掛かってその顔をペロペロと舐め回している。

 もう一頭のダイアウルフも後を追い、リクハルドを脇腹で押しのけるようにベッドへ前足を上げてバランベルを横から舐め始めている。


「す、すみません、郷士ドゥーチェ様!!」


 ファンニが絶対そうなると恐れていた事態が生起してしまい、ファンニは血相を変えて謝り、ダイアウルフを取り押さえるべきかどうか迷っている。


「いい、いい!いいって事よ!」


 腰かけから押しのけられたリクハルドはベッド脇に立ちあがって苦笑いを浮かべながらファンニを手で制した。

 二頭の巨大なダイアウルフは尻尾を振りながらベッドの主を存分に舐めつくし、満足してベッドから降りたのは十分ほども経った後の事だった。二頭はベッドから降り、バランベルの切断されて包帯の巻かれた腕と脚に鼻を寄せ、盛んにニオイを嗅いでいる。


「すまねぇなぁ…もうお前に乗ってやれん」


 バランベルはダイアウルフにハン語で申し訳なさそうに言うと、ダイアウルフたちは悲しそうに鼻を鳴らした。そして一頭はファンニの方へ戻り、もう一頭はバランベルのベッドの脇で座りこみ、なおもバランベルの様子を見ている。バランベルは嬉しそうに唾液まみれの顔をほころばせていた。そして顔を一瞬くしゃくしゃにし、無事な方の腕で目の辺りをこする。顔中唾液だらけなので分からなかったが、どうやら涙を流していたらしい。


「そいつぁフッタってぇのかい?」


「ハイだ。…フッタ。」


 バランベルがダイアウルフの名を呼び手を伸ばすと、フッタは尻尾を揺らしながらその手に顔を預け、頬を撫でさせる。


「もう一頭の方の名前は何てえんだい?」


 リクハルドがファンニの隣へ戻った方のダイアウルフを指示して訊いた。だが、バランベルはそっちのダイアウルフの方はよく覚えていなかったようだ。


「分からない…ああ、キネゲン?タンル?スィンカイ?グート?」


 名前をいくつか呼ぶが、グートと呼ばれた瞬間にダイアウルフがヴォウと吠えて尻尾を振る。どうやらグートで当たりだったらしい。


「グート、グートだ!

 オグル、乗った、ダイアウルフだ。

 オグル、オグルは?」


 バランベルはダイアウルフの名前から、そのダイアウルフに乗っていたはずの騎手の名前も思い出す。だが、グートはオグルの名を聞くとブフンとくしゃみをするように小さく鼻を鳴らすと俯いた。


「あいにくとおぇさん以外の奴はダイアウルフに乗ったまま逃げたか、死んじまったたかだ。ダイアウルフが残ってるって事は、そいつぁ残念だが…」


「そうか…オグル…みんな…」


 バランベルが表情を曇らせて俯くと、すかさずフッタが鼻を鳴らしてバランベルの顔を舐めた。


「まあ、死んじまったモンはしゃあねぇさ。

 おぇは生き残ったんだ。死んだ奴の分も生きるんだな。

 コイツらはあの娘が面倒見てるから安心しろ。ちゃんと餌だって食わしてる。」


 リクハルドがファンニを紹介すると、ファンニはペコリと頭を下げた。


「あの、子供が?」


「ああ、ここんとこ毎日ダイアウルフに乗って《陶片テスタチェウス》の周りを散歩してるぜ?」


「あの子供、乗る?ダイアウルフに?」


 ダイアウルフは簡単には人を乗せない。プライドの高い獣であり、ハン族の戦士であっても乗せてくれない事の方が多い。それなのにブッカの少女を乗せたと聞いてバランベルは目を丸くした。彼にしては信じられないのだ。


「お前、選ばれた、ダイアウルフに」


 何を言われているかわからないが、ファンニは自分に何か言われたのだと思いペコリとお辞儀をする。


「そうか、じゃあな・・・」


 バランベルはフッタの頭をなでながらハン語で別れを告げると、フッタは尻尾を振ってバランベルに頭を撫でさせながらも、バランベルが手を引っ込めるとそのまま立ち上がってファンニの方へ行った。

 それを見てリクハルドはもういいぞと手で合図する。するとラウリがファンニに声をかけ、ファンニはダイアウルフと共に部屋を出ていった。その様子を見送りながらリクハルドは視線をバランベルに向けることなく告げた。


「これからぁ、毎日連れてきて会わせてやるから安心しろ。

 早く身体治すんだな。」


「ハイだ。」

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