高まる緊張

第295話 野焼き

統一歴九十九年四月二十六日、昼 - セヴェリ川北岸/アルトリウシア



 アルトリウシアの南に広がる広大なアルトリウシア平野はかつて正確に測量されたことは無いが、推測で東西で十五マイル(約二十八キロ)以上、南北で六十五マイル(約百二十キロ)以上はあるだろうとされている広大な土地である。西山地ヴェストリヒバーグから河川を通じて流れ出た膨大な量の土砂が、長い年月をかけて堆積してできた海抜ゼロメートル地帯であり、その大部分が湿地でほぼ全域にあしのような草が繁っている。

 「葦」と呼ばれてはいるが《レアル》世界に生えている葦とは、見た目が似ているだけで異なる植物だ。海水を含む湿地に育つ多年草だが、冬になると茎から上は枯れてしまう。塩分の多い土地に育つという特性上、ただでさえライバルとなる他の植物は少ないのに加え、背が高く密生する特性上地表に降り注ぐ日光を遮るため、同じ土地に他の植物は滅多に育たない。

 そのような土地であるため、いかにも開拓のし甲斐のありそうな地形であるにもかかわらず、レーマ帝国側も南蛮側も全く手を出さない無人の原野となっていた。


 しかし、そのアルトリウシア平野で自在に活動できる脅威が存在し、セヴェリ川を渡ってアルトリウシア南部…特にアイゼンファウストに迫ろうとしている。その想定される脅威こそ、ほんの半月ほど前に叛乱を起こしてアルトリウシアに甚大な被害を及ぼしたハン支援軍アウクシリア・ハンである。

 その脅威に対抗するため、アイゼンファウストには新たに砦が建造されることとなった。その新たな砦が完成すれば、マニウス要塞カストルム・マニの南側以西のセヴェリ川全域を、大砲の射程に収めることができるようになる。

 アルトリウシア平野からアイゼンファウストに侵入するには、水深は浅いが川幅がやたら広いセヴェリ川を渡らねばならない。つまり、侵入者はマニウス要塞カストルム・マニか新しい砦のどちらかからの砲撃を必ず受けることになるのだ。


 アイゼンファウストを治める郷士ドゥーチェメルヒオール・フォン・アイゼンファウストをはじめ、アイゼンファウストの全住人にとって歓迎すべき砦の建設だったが、そのためにはセヴェリ川河岸の除草をせねばらならなかった。

 セヴェリ川の河岸にはアルトリウシア平野と同様、人の背丈よりも高い草が生えていて、このままでは大砲を据えても川を渡ってくる敵を狙うことができなかったからである。


 砦は軍で責任を持って作るから、河岸の除草は住民にやらせてくれ…。


 それが先日、メルヒオールの受けた注文だった。面倒な仕事ではあるが断る理由がない。死体の捜索作業がちょうど終わったばかりで人手には余裕ができたタイミングだったし、今回の砦の建設はメルヒオールの要望を受けて決まった話だった。それに草刈りぐらいなら、力仕事に向かない女子供や老人も動員できる。


 メルヒオールは要塞カストルムから帰ると即座に触れを出させた。そして主要な手下たちを集めて知恵を出させ、細かい手筈を整えた。そして今朝からさっそくその作業が始まる。



「藪を焼き払うだと?」

「そんなことをして大丈夫なのですか!?」


 メルヒオールの説明を聞いたアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニスアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウスとアイゼンファウスト地区の現場を総括している筆頭百人隊長プリムス・ピルスウェスパシアヌス・カッシウス・ペティクス、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア軍団長レガトゥス・レギオニスアロイス・キュッテル、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアアルトリウシア支援隊の隊長バルビヌス・カルウィヌスの反応はほぼ同じだった。異口同音に安全性に疑念を呈している。

 彼らはちょうど、アロイスに現場の様子を見させるために視察に来ていたところだった。昨夜、河岸の草を火で焼いてしまおうというアイディアが提出され、メルヒオールはこれを採用した。だが、いきなりやると大騒ぎになるのは確実なので一応関係者への根回しをせねばと考えていたところ、都合よく関係各署のトップの方からまとまって来てくれたのでコリャちょうどいいやと話かけたのだった。


「さすがに全部を焼き払おうってえんじゃねえ。

 焼き払うのは全体の半分だ。」


「半分とはいえ、これだけの広い土地の草を役となれば、《火の精霊ファイア・エレメンタル》が出るのではありませんかな?」


 その疑問も、メルヒオールの正気を疑うような表情も当然である。

 この世界ヴァーチャリアでは鉄を溶かすような強い火や、街を焼くような大きな火には精霊エレメンタルが宿り《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れ始めてしまう。実際、半月前の叛乱でもハン支援軍アウクシリア・ハンが街に火を放ったためアンブースティア、海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリア、アイゼンファウストの三つの地区でそれぞれ《火の精霊ファイア・エレメンタル》が発生して大暴れしたばかりだ。

 幸い、発生した《火の精霊ファイア・エレメンタル》はその日の夕刻に振り始めた雨によって自然消滅してくれたが、雨がなければ暴れ出した《火の精霊ファイア・エレメンタル》を抑えるのは容易なことではない。燃える物が無くなるまで暴れ続け、火を消そうと立ち向かってくる者をたちを容赦なく焼き殺し続けただろう。

 《火の精霊ファイア・エレメンタル》を使役できる聖貴族コンセクラトゥムは例外だが、火は《火の精霊ファイア・エレメンタル》が生じない程度の強さと大きさでしか使えないし使わない。それはこの世界ヴァーチャリアでの鉄則だった。


「まあ、話を聞きなせえ。」


 メルヒオールは笑みを浮かべながら両手をかざして彼らを抑えた…もっとも、メルヒオールの右手は腕の途中から先が無かったが…メルヒオールも彼らが反対するのは分かっていた。昨夜、手下から草を火で焼くと提案された時、メルヒオールも同じように反対したのだ。


「見なよ。河岸を十ピルム(約十八メートル半)ごとに区切ったんだ。そして一区切り置きに、人の手で草を刈る。そうすっと、十ピルム置きに草の生えてるトコと草を刈ったトコが交互にできるわけだ。そうしておいて、残っている草に火を付けようって寸法よ。わかるかい?」


「…つまり、公衆浴場テルマエかまと同じようにするってことか…」


「そう!その通り!!」


 メルヒオールの説明にアロイスが感心したように言うと、メルヒオールがパチンと指を鳴らして喜色ばんだ声を上げた。


 大きな火や強すぎる火には精霊エレメンタルが宿る。だが火は生活に必要だ。だから精霊エレメンタルが宿らないような小さな火を使う。

 では公衆浴場テルマエのように大量の湯を沸かさねばならないような時はどうすればいいだろうか?大きな熱エネルギーが必要だが大きい火も強い火も使えない…ならば、小さい火をたくさん使えば良い。こうした発想から公衆浴場テルマエでは精霊エレメンタルが宿らない程度に大きさを制限したかまを複数並べることで、多数の小さな火で大量のお湯を一気に沸かしていた。

 今回はそれと同じ要領でをやろうというのである。


 面積を区切ることで燃え上がる炎が大きくなり過ぎないように制限する。同時に、周囲を燃える物のない空き地にすることで、炎が他に広がっていかないようにする。こうすれば、草を刈る手間を半分に減らし、残った草を安全に焼き払うことができるのだ。


「できるのか、そんなことが?」


 アロイスは納得したようだったが、他の諸将はまだ半信半疑だった。


「もちろん、勝算がぇわけじゃねぇですぜ?

 手下の中にゃ、サウマンディアやチューアから流れて来たって奴が何人か居んだが、北の方じゃってやり方があるらしい。地面に火を放って草や木を焼いて畑にしちまうって農法だ。

 雨のある土地じゃ、空模様見ながら雨の降りそうなタイミングで火を放つそうだが、雨のすくねぇ土地じゃこうやって土地を区切って少しずつ焼くんだそうだ。

 それをここで試してみようって話よ。」


 理屈の上では納得できる話ではあった。だが、経験のない者にとっては色々と納得しかねる部分はある。そもそも、どれだけの大きさの火なら大丈夫で、どれくらいの火から精霊エレメンタルが宿り始めるのかという基準が明確に存在するわけではないのだ。


「問題は本当に《火の精霊ファイア・エレメンタル》が出ないのかだ。

 この広さなら草を焼いても大丈夫という保証はあるのですか、アイゼンファウストメルヒオール卿?」


 アルトリウスは慎重だった。アルトリウシアの安全保障の最高責任者という立場上、軽々しく許可は出せない。


「“保証”って言えるほど御大層なモンは無ぇ。

 ただ、北の方で焼き畑ってのを見たことがある奴が言うにゃ、コレぐれぇの広さなら大丈夫だってぇ話だ。アルトリウシアは雨が多いし、枯れ草と言っても結構湿気ってるから案外燃えにくい。量さえまとまってなきゃ一気に燃えちまうってこともねぇ。」


「幅は十ピルム(約十八メートル半)に限ったとしても、奥行きはあるでしょう?

 ここから川まで、狭いところは二十ピルム(約三十七メートル)も無いが、広いところは五十ピルム(約九十三メートル)ほどもある。面積で言えば三倍近い差があるのですから、一律に大丈夫とは言えないのでは?」


「いっぺんに火が付くわけじゃねぇ。

 草は火がついて燃えても長く燃え続けるわけじゃねぇから、こっち側から火を点けりゃ一度に燃える範囲は幅は十ピルムでも奥行きは半ピルム(約九十三センチ)ほどってところだ。その先に火が燃え広がるころには、手前側は燃え尽きてらあな。」


「うーん…しかし…」


 理屈の上では納得している。だが、経験のないことを簡単に許可は出来ない。万が一 《火の精霊ファイア・エレメンタル》が生じてしまったら、それこそ収拾がつかないことになりかねないからだ。


「実際に火を点けるとしたら明日だ。今日はまだ草を刈るだけで精いっぱいだろうからな。

 明日、神官を呼ぼうと思ってる。」


「「「神官!?」」」


「神官に見ててもらって、精霊エレメンタルが宿りそうなら水ぶっ掛けて火の勢いを殺ごうって寸法だ。神官なら精霊エレメンタルが宿りそうになるとわかるって話じゃねぇか?」


 火に精霊エレメンタルが宿ろうとすると火に魔力が集中してくるので、神官ならばそれを察知することができる。だから神官に見張っていてもらって、《火の精霊ファイア・エレメンタル》が発生しそうになったら水をかけて火に精霊エレメンタルが宿れないようにしようというわけだ。

 大きな火を使わねばならないが《火の精霊ファイア・エレメンタル》を使役できる聖貴族コンセクラトゥムが居ない場合、同じ方法で《火の精霊ファイア・エレメンタル》の発生を防ぐことは良く行われていた。


「明日火を点けるのは、試しに一か所だ。

 手下たちには手桶に水酌んで待機させる。川が近ぇんだ、わけねぇぜ。

 それで大丈夫そうだったら、他も火を点ける。

 無理なら手で刈る・・・どうだ?」

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