第294話 新たな懸念

統一歴九十九年四月二十六日、午前 - ティトゥス要塞司令部/アルトリウシア



 ティトゥス要塞カストルム・ティティで毎日繰り返される避難民への炊き出し…エルネスティーネは時間の許す限り率先して手伝っていた。朝食の炊き出しを手伝っていたエルネスティーネが呼び出しを受け、要塞司令部プリンキピアに戻ると、謁見の間にはすでにヘルマンニとサムエルの親子が待っていた。


「アルビオンニア侯爵夫人マルキオニッサ、エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア様、御成ーりー!!」


 近習が仰々ぎょうぎょうしく宣言し、扉が開かれる。演出としては荘厳そのものだが、開かれた戸から現れたエルネスティーネは先ほどまで炊き出しを手伝っていたこともあって、上級貴族パトリキにしては拍子抜けするほど庶民的ないでたちだった。


「お待たせしました、ヘルマンニ卿、サムエル卿」


 簡素な格好といい、このように席に着く前から客人に対し歩きながら挨拶をするなど、本来上級貴族パトリキとしてはあるまじき行為ではあったが、ヘルマンニたちは特に気にする様子も無く、跪いてうやうやしく頭を下げる。


「急な申し出にもかかわらず御面会を御認めいただきありがとうございやす。侯爵夫人マルキオニッサ


「挨拶は抜きにしましょう。火急の用とのことでしたが?」


 エルネスティーネが領主席に着き、さっそく話を切り出すと、ヘルマンニは顔を上げた。


「エッケ島のハン族についてです。」


「何かあったのですか?

 昨日までまたイェルナクがセーヘイムに滞在していたようですが。」


 ハン族と聞いて思わずエルネスティーネはわずかに眉をひそめた。


「はい、イェルナクは昨日エッケ島へけぇりやした。」


「昨日、アロイスから聞いています。サウマンディアの使者と接触しようとし、そして追い付けなかったのですよね?」


 アロイスは昨日、イェルナクとの会見の後で帰りにティトゥス要塞カストルム・ティティに立ち寄り、会見の様子をエルネスティーネに報告していた。イェルナクがマルクスに会おうとヘルマンニに船を仕立てさせて追いかけた・・・その結果が気になっていたエルネスティーネはセーヘイムに使者を送り、帰って来たヘルマンニからイェルナクがマルクスに追いつけなかったという報告だけを受けている。


「はい。ワシらの船がトゥーレスタッドへ着く前に、サウマンディアの船は外洋へ出てしもうておりました。

 ワシが『もう追い付けん』と言うと、さすがのイェルナクも諦めおったもんで、そんままエッケ島へ送り届けやした。」


 エルネスティーネはフゥとため息をつき、視線を落とした。彼らが何をしようとしていたのか、想像に難くはない。おおかた、サウマンディアとアルビオンニアの関係にクサビを打ち込もうという算段でもしていたのだろう。


「それで、報告したいこととは?」


「はい、実はエッケ島に何ぞ作っとるようでして・・・」


「?」


「エッケ島の北、トゥーレ水道に面した中腹あたりに岩場があるんじゃが、そこの周りの木を伐採し、岩場のところに何ぞ作っとりやした。」


「それは、何か問題なのですか?」


「まだ決まったわけじゃありゃせんが、連中があそこに作っとるのが砲台だとしたら面倒なことになりますな。トゥーレ水道を通る船ぁ全部狙い撃ちにできるでしょう。」


 そこまで聞いてエルネスティーネはようやく事態を理解した。


「つまり、ハン支援軍アウクシリア・ハンはトゥーレ水道を封鎖しようというの?」


「まだ決まったわけじゃありゃせんが、そうじゃねぇかとワシと息子サムエルは考えとりやす。」


 エルネスティーネは額に手を当て俯いた。

 トゥーレ水道はアルトリウシア湾の唯一の出入り口。あそこを封鎖されればアルトリウシアの港湾機能は完全に停止してしまう。ある程度以上の大きさのある交易船が入港できる貿易港は、現在アルビオンニアにはアルトリウシアとクプファーハーフェンにしかない。船が入るだけなら他にも港はあるが、それらの港は陸路での接続が悪いため、輸出品をそこへ運び込むことも輸入品を領内の他地域へ運ぶことも難しいのだ。そしてクプファーハーフェンはアルビオン島の東側にあり、アルトリウシアからはかなり離れている。今の状況でトゥーレ水道を封鎖されるということは、アルビオンニア属州の経済を窒息させることにつながる。


「よくぞ知らせてくださいましたヘルマンニ卿。

 私たちはどうすべきかしら?」


 目を閉じ、頭を抱えたままエルネスティーネが問いかける。彼女は軍事には素人であり、具体的にどう対処すべきかを考えるために必要な知識が不足している。


「ワシと息子サムエルはトゥーレ岬に砲台を築くべきじゃと考えとりやす。」


「トゥーレ岬に?」


「トゥーレ岬に砲台を築けば、今エッケ島に造られとる砲台を攻撃できます。」


 トゥーレ岬はトゥーレ水道を挟んだエッケ島の対岸に位置する小さな半島である。その半島の付け根にトゥーレスタッドという入り江があり、水深の浅いアルトリウシア湾へ入れない外航船はそこに入港する。


「その砲台から撃ち合って確実に勝てるのですか?」


「エッケ島に砲台を造られとる場所は見たところそれほど広くありゃしやせん。おそらく大砲三つか四つまでしか据えられんでしょう。

 対してトゥーレ岬は造ろう思やぁ要塞だって作れるだけの広さがある。大砲をとおばかり並べりゃ、圧倒するのぁ簡単ですわい。」


「それだけの砲台を築くとなると、大掛かりな工事になりますね。」


 今は復旧復興事業が最優先だ。ただでさえアイゼンファウストに砦を築かねばならなくなったというのに、ここへ来て更に強固な砲台を…それもアルトリウシアからだいぶ離れたトゥーレ岬に造らねばならない。


「へぇ、それが何より問題で・・・」


「そもそも、こちらがトゥーレ岬に砲台を築いたらハン支援軍アウクシリア・ハンに気づかれるのではありませんか?

 先にあちらが大砲を据えれば、撃たれてしまうかもしれないのでしょう?」


「なに、砲台の南側ん木ぃ残して、エッケ島から見えんように造りゃええんです。

 砲台ができてから邪魔な木を伐採するようにすりゃ、奴らできるまで気づくこともできんと、手も足も出せやせん。」


「仮に砲台を完成させることができたとして、配置する兵も問題です。

 アナタに調達できて、ヘルマンニ卿?」


 ヘルマンニは頭を振った。

 仮に砲を十門据えるとして、砲の操作に一門あたり最低六人は要る。さらに火薬庫から砲弾薬を運ぶ兵士も別に要る。それ以外に要塞自体を防衛するための銃兵も要るし、それらの兵士の面倒を見る裏方や司令部要員、通信手なども色々居るだろう。遠隔地だから食料などを運んでやる必要もある。なんやかやでその砲台を機能させるためには二百人程度の人員が必要になりそうだ。

 ヘルマンニの手元にはそれ以上の水兵がいるが、いずれも船の運航のために必要な人員であり、要塞に配置するための人員など二百人どころか半分の百人だって用意できない。


「新たに動員せにゃならんでしょう。じゃが、新兵をまともに仕立てるためにゃ時間が要りやすな。」


 砲台に配置する兵士は大砲さえ撃てればいいというものではない。敵の砲弾が飛んでくる中で、危険と恐怖を感じながらもそれを無視して命令通りに行動できるだけの胆力を身に着けてもらわなければならない。一つの命令に即座に反射的に応じられるよう、身体に色々と覚え込ませなければならない。そのためにはどうしたって半年程度の練兵期間は必要となる。

 砲台は本格的なものを造ろうと思えば年単位での工期が必要だろうが、今求められているのは大砲を並べてエッケ島を砲撃できるだけの拠点でありさえすればいい。単純な話、地面を鳴らして大砲を並べ、周囲に土嚢を積んで土塁を形成しさえすればよい。最低限の機能を有する簡易砲台を造るだけなら、資材集めを含めてもおそらく一か月とかからないだろう。だが、前述したようにそこに配置する兵士が調達できないとあっては話にならない。


子爵閣下ルキウスに相談するしかなさそうね。」


 エルネスティーネの手元にある軍事組織はゲオルグ率いる近衛兵とヘルマンニ率いるアルトリウシア艦隊のみである。アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアも一応エルネスティーネの私兵ではあるが、アルトリウシアはルキウスの領土であり管轄が違う。

 アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアは基本的に侯爵家の直轄領の防衛を担当しており、アルトリウシアの防衛はルキウスのアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの領分であった。今回、トゥーレ岬に造ろうとしている砲台も、ルキウスの管轄となるべきものである。ヘルマンニが海軍施設として造ればヘルマンニの管轄に出来ないことは無いが、どのみちルキウスの承認が必要となる。


 ただ、トゥーレ岬に砲台を造れば、おそらく二百人程度の人員を配置せねばならなくなる。アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア以上に人員不足が深刻であるし、侯爵家、子爵家ともに抱える近衛兵の数にも余裕はない。もともとあった余裕分は、一昨年の火山災害で被った損害の穴埋めとして、それぞれの軍団に転属させてしまったのだ。

 事態が事態だけにルキウスはおそらく同意するだろうし、人員を割こうとするとは思う。だが、それが復旧復興事業の推進に更なる影響を及ぼすであろうことは間違いなかった。

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