第1227話 救いの主

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ グナエウス街道・山荘グルグスティウム西山地ヴェストリヒバーグ



 南北に長く伸びる西山地ヴェストリヒバーグは火山帯である。最高峰はフライターク山であり、常に細々とした噴煙を上げ続けているこの火山は一昨年大噴火を起こしてアルビオンニウムに大規模な災害をもたらしてしまった。

 一つの都市を壊滅させるほどの大災害をもたらした火山ではあるが、様々な恩恵も齎している。硫黄は火薬やマッチなどの生産に欠かせなかったし、豊富な火山灰はコンクリートの原料として使われている。また過剰な水分を嫌う一部の農作物のための土壌としても有益だ。軽石も利用価値が高く、それらはいずれも輸出品としてアルビオンニア属州の経済を支えてくれている。そして、火山といって忘れてはならないのが温泉であろう。西山地は豊富な湯量を誇る温泉が数多く存在し、そのいくつかは湯治場として栄えていた。

 グナエウス街道の第六中継基地スタティオ・セクスタのすぐ近いところから北へ折れ、山中へ向かって六~七マイルほども進んだところにもそうした湯治場の一つがある。腰痛、神経痛、関節痛、リウマチや毒物中毒に効能があることで有名で、特に鉱毒中毒になった鉱山労働者、水銀中毒になった精錬所の人足を始め麦角中毒になった患者などのための療養施設が併設され、侯爵家公認の湯治場として隆盛を極めていた。

 残念ながら一昨年の火山災害の際、地震で多くの建物が倒壊してしまった上に毒ガスが噴出するようになってしまったとかで現在では閉鎖されているが、それでも湯治場へ向かう道中で宿泊・休憩する湯治客や馬車に食事と寝床を提供するための山荘グルグスティウム第六中継基地スタティオ・セクスタの斜向かいに残っており、今も街道を行きかう荷馬車のために細々と経営している。第六中継基地で交換用の馬を断られてしまった御者は、メルキオルとメルキオルの助手の修道女が夕食を摂りつつ待っている筈の山荘へ、肩を落としてトボトボと戻った。


「すいやせん、どうにもこうにも融通が利きやせんで……」


 馬を借りれなかったことを報告した御者は申し訳なさそうに頭を掻きながら詫びた。メルキオルらを山荘で降ろして中継基地スタティオに向かった時と比べると、まるで別人ではないかと思えるほどの消沈っぷりである。


「仕方がありません。

 これも神のおぼしでしょう。

 その馬丁ばていが言うように、明日は朝早くに出ると致しましょう」


 メルキオルは腹を立てるでもなく、厳かな調子で御者を慰める。メルキオルは修道士として修業していた頃から早寝早起きの週間が身についており、朝早くに起きるのは苦にならない。むしろ、このまま夜遅くまで荷馬車に揺られる方が辛いくらいだったから、実際メルキオルは馬が借りられなかったということ、それ故にグナエウス砦に到着する前に一泊せねばならないことをそれほど重大なこととは考えてなかった。要は日曜礼拝に間に合いさえすればいいのだ。

 だが根が善良で真面目な御者は不満一つ溢さず優しく慰めてくれるメルキオルに対し申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。


牧師様パストア、でもそれじゃ明日ぁ荷馬車に揺られてお疲れのまま御奉仕することに……」


「大したことではありません。

 神に与えられた試練と考え、受け入れましょう」


 なんていいヒトだ……御者は善良で真面目なだけでなく、単純だった。手を合わせて静かに祈るメルキオルに勝手に感動した御者は居ても立っても居られなくなってしまう。


「ま、待っていてくだせぇ牧師様パストア!」


「オ、オットーさん?」


「もう一度頼んでみやす!

 そンでダメなら他の馬か、護衛してくれる人を探しやす!!」


 戸惑うメルキオルを置き去りに御者はメルキオルの元を離れ、食堂で酒を飲んでいる御者や馬丁たちに片っ端から声をかけ始めた。だが仕事仲間たちの反応は冷淡そのものである。


「今から!?

 馬鹿言え、外はもう真っ暗だぞ」

「ダイアウルフが出るかもしれねぇんだぞ? 俺はゴメンだね」

「ここはもう峠の八合目だ。

 いつガスが出るか分かったもんじゃねぇ。

 途中でガスで月が隠れりゃ二進にっち三進さっちも行かなくなるっちまう」

「そうだそうだ。

 下手に真っ暗闇を走ってみろ、馬車ごと崖から真っ逆さまよ」

「馬貸せだぁ?

 ばっかオメェ、馬なんか貸したら明日俺ぁどうすんだよ!?」

中継基地スタティオ馬丁ばていの言うこたぁ正しいぜ。

 素直に明日にすりゃいいじゃねぇか」


 馬を貸しても貰えないし、代わりにメルキオルを送ってもらう話も片っ端から断られてしまう。無理もない。馬は貴重なのだ。一頭買うだけでも平民プレブスの年収数年分にも等しい値が付くものを、そうおいそれとは貸し出せない。だいたい自前の馬をたくさん持ってる領主貴族パトリキの御雇い馬丁が馬の貸し出しを断っているほどなのだ。個人所有の馬なんか貸し出せるわけがない。

 では護衛はどうだ……ダイアウルフがグナエウス街道に出始めてからは荷馬車に護衛が付き始めている。軍団レギオーも一応護送船団方式で守ってくれているが、スケジュールの関係でキャラバンに加われなかった馬車までは守ってもらえない。そのため急遽、槍や弓を持った用心棒が雇われ始めていた。彼らに頼めば何とかなるかもしれない……御者はそんな期待を抱いたが、しかしそっちもかんばしくは無かった。


「ダイアウルフ相手の護衛だ?

 お前ぇ見た事ねぇのかよ?!

 ありゃウルフなんて言われちゃいるが別物だぞ!?」

「人間が乗れるくらいデケェんだ。

 ポニーよりデカいオオカミ相手にどうしろってんだよ?」

「聞いてねぇのか?

 一昨日襲われて死んだ早馬タベラーリウスは鉄砲撃ってたってぇ話だぜ。

 鉄砲持った騎兵エクィテスが食われちまうほどの化け物なんか相手にできっかよ」


 お前らはそのダイアウルフから守るための用心棒だろうとツッコミたくなるが、実際の所彼ら自身も雇い主の方も本気で用心棒たちにダイアウルフを追い払えるとは思ってなかった。要は武装してるぞ、襲い掛かればただでは済まないぞと思わせることで襲撃をためらわせるための、いわば案山子かかしにすぎないのである。そんな彼らが、これから実際にダイアウルフに襲われるかもしれない夜の街道へなんて行く気になるわけがなかった。夜はダイアウルフの天下なのである。


 くそぅ、なんてこった……ホントに諦めるしかねぇのか……


 食堂内にいた馴染みの御者や馬丁たち、そして屈強そうな見た目の用心棒たちに粗方あらかた声をかけ終わり、そのすべてに袖にされた御者がまるで世界の全てから見放されたような絶望感に打ちひしがれていると、食堂の隅の方から声をかけるものが現れた。


「おい、そこのお前!」


 幼い声に振り返ると、そこには声からは想像もつかないほど長身の少年が立っていた。


「何か困っている風じゃないか、ちょっと俺たちに話してみないか?」

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