第1228話 少年たち

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ グナエウス街道・山荘グルグスティウム西山地ヴェストリヒバーグ



「本当に、よろしいのですか?」


 メルキオルは繰り返し尋ねた。


「構いませんよ。

 どうせ我々もグナエウス砦ブルグス・グナエイに行くつもりだったのです。

 行き先が同じなら、一緒に行った方がいいでしょう?」


 返される返事も同じだ。

 山荘グルグスティウムで御者に声をかけて来た少年たちは砦までの同行と、その間の護衛とを申し出てくれた。彼らは身分は明かせないが雇い主の伝言をグナエウス砦に伝えに行く途中なのだという。貴族ノビリタスは手紙や貴重品などをどこかへ送る際、こういう風に私的に人を飛脚タベラーリウスとして雇って送り届けさせることがある。レーマでは貴族は公明正大であることが求められ、出かける先では名乗り人ノーメンクラートルに先触れさせるし、愛人を囲うのも大っぴらにやるし、どこで何をしたかイチイチ世間に公表して自慢する。だが、こういう私的な飛脚の場合は身分を隠すのが一般的だった。どの貴族がどこかへ何かを送り届けようとしている‥‥‥それがバレただけで飛脚は強盗に狙われることになるからだ。それでは公明正大でもないし自慢にもできないではないかと思われるかもしれないが、届けた後で届けたという事実を公表しさえすれば貴族らしさは担保されるので問題ない。それよりも先方に確実に届けることの方が優先なので、届ける過程では秘匿するのは当然のことだった。

 そうした事情がある以上、御者もメルキオルも修道女も四人の少年たちについて詳しく追及しようとはしなかった。聞いたところで飛脚が身分を明らかにするわけがないのだから当然だろう。


 四人の少年たちは自分たちの馬とメルキオルの荷馬車の馬とを交換もしてくれるという。四人の少年たちもシュバルツゼーブルグからここまで長い坂道を上がってきたはずだが、重い荷馬車を曳いていたわけでも荷物を背負わせていたわけでもないからさほど疲れてはいないのだそうだ。それよりもイザ、ダイアウルフが現れた時に荷馬車が全力を出して逃げられる方がいいだろう。少年たちはそう言ってくれた。


 ではダイアウルフが出たら少年たちはどうするのか?……まあ重たい荷物があるわけではないから、疲れた馬でも荷馬車と同じくらいには走れるだろう。それに、そもそも彼らには秘策があるのだそうだ。


犬の口笛カーネム・シビールス……ですか?」


 聞きなれない単語にメルキオルは首をひねった。


 犬の……口笛……?????


「そうだ、犬笛カーネム・シビールス……知らないか?」


 困惑を隠せないメルキオルに少年の一人は襟元から服の下に隠されていたネックレスを引っ張り出してみせた。金の鎖のネックレスには少し大きなリングによって繋げられた小さな笛が何本か下がっている。どれもキラキラと光ってまるで宝飾品のような美しさだ。少年はその小さな笛をメルキオルに指示さししめした。


「これがそうだ。

 人間の耳には聞こえないが、獣の耳にはよく聞こえる特別な音を出す。

 犬によく聞こえるから犬笛カーネム・シビールスっていうんだ」


「ええ、見た事はありませんでしたが、そういうティビアがあるとは何かの本で読んだことがあります……

 なるほど、これが口笛シビールス……随分と小さいのですね」


 ラテン語で「笛」と言えば通常はティビア【TIBIA】だ。このティビアは元々は「茎」や「茎管」を意味していた単語で、後には「(大きな)すね」や「脛骨」という意味にも使われるようになっている。それが「笛」としての意味を持つようになったのは、現在フルートと呼ばれる笛の先祖が、昔は骨を加工して作られていたことに由来する。

 それとは違い、今回の会話で出て来たシビールス【SIBILUS】は「シューシュー」「ヒューヒュー」という音を現す擬音語が元になっており、一般には「口笛」を意味する。犬笛やホイッスルなどの小さな笛もシビールスと呼ぶのだが、楽器としてのシビールスはアルビオンニアでは一般的ではなく、メルキオルも初めて見たため「口笛シビールスを持っている」と言われても理解が及ばなかったのである。が、今実物を始めて目にしたことでようやく理解することができた。


「そうだ。

 俺たちが持っているのも人間には聞こえない特別な音を出すんだが、コイツはさらに特別で獣や魔獣が大っ嫌いな音を出して追い払うんだ」


 にわかには信じがたいが、助けてくれる恩人を疑うのも失礼だろう。小さな笛を見せびらかす少年の説明を、メルキオルは半信半疑ではあるが感心して見せた。


「それは……本当に効くのなら素晴らしいです」


 それが本当なら実に便利だ。武器を持たなくても危険な野獣を追い払えるなら、今のグナエウス街道の警備はかなり楽になるはずだろう。


 量産できればたくさんの人が助かるのに……やはり難しいのだろうか?


 もしかしたらものすごく高価なのかもしれない。目の前に居る少年たちはまとっている外套こそ粗末で汚れた感じだが、その内側に隠された服装は立派なものだ。金のネックレスに繋がれた宝飾品のような笛も安くはあるまい。なまりの無い綺麗なラテン語を話すこの少年たちは、おそらく裕福な貴族の子弟なのだろう。危険な旅路に自分たちの馬を平気で貸し出す気前の良さからしても平民プレブスなんかではあるまい。

 感心しきりのメルキオルに気を良くしたのか、少年はさらに別の笛を見せびらかす。やはり小さいが、薄暗い中でもハッキリ分かるほど見事な出来だ。


「こっちは逆に呼ぶための犬笛だ」


「呼ぶんですか!?」


「狩りをする時にな、これを吹いて獲物を呼び寄せるんだ。

 こっちから探しに行かなくて済むから楽なんだ」


 狩り……やはり貴族の子弟なのだろうな……


 狩りは貴族のステータスの代表だ。太古の時代、獣を狩って食料を確保するのは高貴な戦士の仕事だった。全体の情勢を見極め、多数の部下や猟犬を使って獲物を適格に追い立てるには優れた洞察力と統率力、指揮能力が必要だし、馬を駆り武器を使って獲物を仕留めるためには個人的な武勇にも優れてなければならない。戦の訓練に狩猟は最適だ。大きな獲物を狩れば、生活圏の安全を確保できるし食卓も豊かにできる。それを成した者には惜しみない称賛が寄せられ、名声が高まる。まさに貴族のための仕事ではないか。

 そして山林で家畜を放し飼いにするようになると、大切な家畜を間違って狩られたり他人に奪われたりしないよう、領主貴族たちは領民による狩猟を禁じて自分たちで独占するようにもなる。


 しかし、現在の貴族たちは狩猟にばかりかまけてはいられない。領地を経営しなければならなかったし、戦も昔は狩りの延長でできていたのが今では高度に訓練された職業軍人同士の集団戦へと様変わりした。狩猟をやっても戦争の訓練には必ずしもならなくなってしまったのだ。

 このため、多くの領主貴族たちは狩猟専門の猟師を雇い、自分の代わりに自領の害獣駆除をさせるようになってしまっている。貴族にとって狩猟は最早趣味でしかなくなってしまった。


 メルキオルも元々は下級貴族ノビレスの家の出身だ。アルトリウシア子爵領アイゼンファウスト地区の郷士ドゥーチェメルヒオール・フォン・アイゼンファウストこそが彼の父である。

 だがメルキオルは狩猟の経験はあまりなかった。メルヒオールの治めるアイゼンファウスト地区に山林は無かったし、獲れる野生動物といえば沼ネズミマイヨカストルか野ウサギぐらいのもの……だいたいは住民たちが罠で捕えるのが普通で、住宅地が近いこともあって銃をつかって大規模に狩りだすような貴族らしい狩りをすることなんてなかったのだ。あとは水鳥か……今を思い返せばメルキオルに狩猟の経験がほとんど無いのは父メルヒオールが隻腕で銃を使うのが苦手だったからかもしれない。


 狩猟で動物を殺すことに慣れていたら、ひょっとして父メルヒオールの過去の所業も許せたんだろうか? ……答えの出ない疑問だ。


「へぇ~、狩りをなさるんですねぇ!

 牧師様パストア、この方たちゃお若いが狩りに慣れておられるんなら安心だ。

 一つ、この方たちの御厚意に甘えようじゃござんせんか!?

 尼様シュベスターもそう思われるでしょ!?」


 ふと自分の世界に入り込んでしまったメルキオルに御者が陽気に声をかける。修道女はやや困った様子で愛想笑いを浮かべたが、御者はそれを肯定と受け取った。


「ほら、尼様シュベスターもそうおっしゃられてるんだ。

 牧師様パストア、さっそく出る準備をしやしょう。

 アタシもすぐに馬ぁ繋ぎ変えやすんで!!」


 外はとっくに日が暮れている。夜更かしするより早起きする方に慣れているメルキオルにとっては有難迷惑な申し出ではあったが、他人の厚意を無駄にするわけにもいかない。メルキオルは四人の少年たちの申し出を受け入れることにした。


「分かりました。

 御厚意に甘えさせていただきます。

 この巡り合わせを御用意くださった神に感謝を、そして皆様には祝福を……」

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