第1189話 勘違いの暴走

統一歴九十九年五月十日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



 ペイトウィンをグルグリウスがたしなめている間、ペイトウィンの視線の届かないグルグリウスの背後ではカエソーとルクレティアが小声で話をしていた。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様が何か!?」


 ルクレティアの様子から《地の精霊》と念話しているのに気づいたカエソーが問いかける。精霊エレメンタルにしか気づけない何かがあったのなら、知っておかねばならない、知っておきたいと欲したのだろう。そうしたカエソーの行動は予想できていたルクレティアも、カエソー同様に声を潜めて返す。


ペイトウィンホエールキング様はまだ何も知らぬはずだそうです。

 おそらく、《地の精霊アース・エレメンタル》様とリウィウスさんたちの存在から強大な誰かが背後にいるのだろうと、を付けて話しているに過ぎないと……」


「確かなのですか?」


「《地の精霊アース・エレメンタル》様はそのようにお告げです。」


 ルクレティアにそう断言されればカエソーとしては信じる他ない。一瞬、何かのはずみでリュウイチ降臨者の存在を気取られたかと恐れたカエソーだったが、ただの当てずっぽうで言っているのなら恐れることはないだろう。


「信じましょう。」


 カエソーがそう答えてルクレティアから離れるのと、ペイトウィンがグルグリウスの向こう側で「ああ、悪かったよ!」と叫ぶのはほぼ同時だった。


「ああ、今のは、ちょっと……アレだ。貴族らしくなかった。

 ああ、改めるよ。済まなかった。忘れてほしい。」


 先ほどまでの、この期に及んでなおも不敵な笑みを浮かべていたハーフエルフの、底知れない存在感は気づけば陽を浴びた朝露のように消え去っていた。見た目通りの少年っぽいペイトウィンの姿にカエソーたちは却って呆気にとられるが、それも一瞬の出来事だった。


「あ~……それで、改めて問おう。

 そこな御令嬢はルクレティア・スパルタカシア嬢と御見受けしたが相違ないか?」


 ペイトウィンは出鼻をくじかれはしたものの、己の優位を獲得しようとする意思までは変えるつもりはない。グルグリウスのせいで、そして言葉遣いを改めたせいで当初の勢いは明らかに減じているが、まだまだ挽回は可能だ。何といってもペイトウィンには血統という持って生まれた強みがあるのだ。この世界ヴァーチャリアならどこでも通じるアドバンテージは、ムセイオンから遠く離れた田舎の貴族にはさぞ効くだろう。

 ルクレティアは外套パエヌラのフードを目深まぶかに被ったまま、チラリとカエソーの方を見る。この場を取り仕切るべきはカエソーなのだ。ルクレティアの視線に気づいたカエソーは「あー」と小さく声を漏らしながら言葉を探し、やや躊躇ためらいがちにペイトウィンに応える。


「いかにも、彼女がスパルタカシウス家令嬢ルクレティア様にございます。」


 ペイトウィンは自分が直接尋ねたにも関わらず返答をカエソーに任せたルクレティアの態度に一瞬、ピクリと眉をひそめた。そしてルクレティアが何故自分が話しかけているのに直答しないのか考える。

 質問を受けた本人が直接答えない理由……それはいくつか考えられる。まず礼儀作法をわきまえておらず、直答すれば無礼を働いてしまうかもしれないのを恐れている場合だ。下手に失敗してしまうより、最初から礼儀作法を弁えていて代わりに応えてくれる人に任せてしまうというものである。しかし、いくらムセイオンのハーフエルフが相手とはいえ名門スパルタカシウス家の令嬢がそこまで気後れすることなど考える必要は無いだろう。

 もしかしたら男尊女卑社会のレーマ帝国であるから、未婚の女性が家族以外の男性の公に話をするのはハシタナイという考えがあってカエソーに代弁を任せているのか? ……いや、それも無いだろう。彼女は女神官フラミナであり、現に今も《地の精霊》と会話をしていたようだった。つまり神や精霊などの言葉を人々に伝える立場である。いわば預言者とでも呼ぶべき神官が口を利くことが「ハシタナイ」ということになどなるはずがない。

 あとは何か隠し事をしていて回答をカエソーに任せることで秘密を守ろうとしているのか、あるいは実は相手側……つまりペイトウィンの方がルクレティアより身分が低くて、身分差ゆえに直接言葉を交わすのを拒否しているのか……いずれにせよ、それらはペイトウィンに不快をもよおさせるには十分な予想だった。ペイトウィンはフーッと不満も露わに鼻を鳴らし、ルクレティアを見下すように上向かせた顔を傾げる。


其方そなた、ファドに言付ことづけたな?

 我ら『勇者団』ブレーブスと話をしたいと……

 俺が……私は『勇者団』ブレーブスのハーフエルフだぞ?

 其方が望んだ会談が今、叶おうとしているのに、私と利く口は無いというつもりか?」


 目深に被ったフード越しにジッとペイトウィンを上目遣いで見ていたルクレティアの目が泳ぎ始める。


「ふむ、話がしたいと言っておきながらアルビオンニウムから逃げ出すわ。

 こうしてイザ目の当たりにしてもまともに口を利こうともせんわ。

 どうやら其方はスパルタカシウスの末裔を名乗るには礼節が足らんようだな。

 ガッカリだ。」


 相手の弱気を見て取ると無意識にそれに乗じようとしてしまうのはペイトウィンの悪い癖だ。事あるごとにこうして自らの優位を自他に印象付け、自らの立場を確立していくペイトウィンにとって初対面の人間は格好の獲物である。当人がそれを自分の悪い点だと気づいていないどころか、むしろ半ば自覚したうえで当然のことだと考えているのだから始末が悪い。まして相手側に落ち度があるとなれば遠慮も無くなる。

 しかし、その口はいささか度が過ぎたようだ。ペイトウィンは世界で最も高貴とされるハーフエルフであり、ペイトウィンが頭を下げねばならない相手は世界でも数えるほどしかいない。アルビオンニアのような辺境ともなれば猶の事、自分が一番偉いと信じている。が、この場にいる者たちにとってはそうではなかった。

 ハーフエルフが高貴とされるのは降臨者の中でも特に魔力に秀でたハイエルフの血を引くからだ。親から引き継いだ血に宿る強大な魔力があるからこそである。であるならば、それよりも魔力で優る降臨者本人には及ばない。もしも降臨者本人が並んでいたら、誰もがハーフエルフよりも降臨者本人の方を上位と見做すだろう。そしてこの場にいるペイトウィン以外の者たちはリュウイチの存在を知っていた。

 ハーフエルフであるペイトウィンよりも強大な《暗黒騎士リュウイチ》の存在を知る者たちが、正式にその妻となることが決まっているルクレティアをペイトウィンよりも軽んずるはずは無かった。


ペイトウィンホエールキング様!」


 見かねたカエソーが声を張る。もし、一瞬遅かったらペイトウィンはグルグリウスに張り倒されていたかもしれない。グルグリウスはリュウイチのことを教えられてはいないが、しかし《地の精霊》から偉大な存在を示唆され、なおかつルクレティアがそのリュウイチ偉大な存在の妻になる予定の女性であることは教えられているのだ。《地の精霊》の忠実なる眷属としてルクレティアに対する狼藉を看過するわけにはいかないが、しかしグルグリウスが出した手がペイトウィンに届く前にカエソーが声を出したことで、その手は寸前で止まる。

 やや怒気にも近いものを含んだ声にペイトウィンがカエソーの方を見ると、カエソーは一瞬目を泳がせて言葉を探し、そして続けた。


『勇者団』ブレーブスの皆様と話をしたいと欲したのは彼女ではなく、私です。」


「貴公が?」


「いかにも。

 確かに彼女はファドに話をしたいと言づけましたが、それは私の要望を伝えたに過ぎないのです。」


 何を言い出すのだカエソーコイツは?……内心の混乱はペイトウィンの顔を顰めさせる。


「彼女はレーマ軍の軍人ではありません。

 たまたま私が居ない時にファドなる『勇者団』ブレーブスの一員が現れたため、私に代わって会話を呼び掛けてくれただけなのです。

 レーマ軍の指揮は私が取っております。

 『勇者団』ブレーブスへの対応の責任者も私です。

 ゆえに、ペイトウィンホエールキング様の彼女に関する質問も私が答えました。」


 ペイトウィンは唇をかみしめるように口を真一文字に結び、ムゥと喉の奥で低く唸った。思わぬところで勘違いがあったようだ。

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