第1148話 あらぬ事態

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 『ホーシャム山荘ホーサム・フッテ』/アルビオンニウム



「《森の精霊ドライアド》……」


 エイーはそうつぶやくと表情を曇らせた。


「はいっ!

 その……《樹の精霊トレント》様をたくさん引き連れて……

 俺らもホエールキング様ドミヌス・ホエールキンが倒されちまった時ゃ、生きた心地がしやせんでした。さすがに相手がグルグリウス様ドミヌス・グルグリウスじゃゴーレム相手みてぇにゃいきっこねぇですし、俺らもグルグリウス様ドミヌス・グルグリウスに的にされちゃ逃げ隠れもできやしねぇ。

 クレーエの旦那ヘル・クレーエグルグリウス様ドミヌス・グルグリウスと話をしてみちゃぁいやしたが、あん時 《森の精霊ドライアド》様が来てくんなかったら俺らぁどうなっていたことか。」


 昨夜の話がまとまって解放された時の安堵感を思い出したのか、嬉々として話を続けるレルヒェとは対照的にエイーはレルヒェの話など耳に入っていないかのように顔を背け、額に手を当て、沈痛な面持ちで目を閉じた。


 クレーエNPCのことだ。多分、《森の精霊ドライアド》に言われるがままに《森の精霊ドライアド》の森へ向かって逃げたに違いない。だが《森の精霊ドライアド》は《地の精霊アース・エレメンタル》の眷属、そしてグルグリウスも……《森の精霊ドライアド》とグルグリウスが義姉弟だというのなら、両者が繋がっていたことは最早間違いない。

 やはり、最初からペイトウィンホエールキング様を捕まえるための罠だったんじゃないか?


 エイーは最初からそのことを疑っていた。《森の精霊》が《地の精霊》と繋がっていることは分っていたはずだ。なのにそのリスクをみんなが無視した。エイーだけがグルグリウスが姿を現す前から、ブルグトアドルフの森へ戻ることに抵抗を感じていた。今思えば悪い予感がしていたのかもしれない……それは所謂いわゆる後知恵あとぢえバイアス」と呼ばれる現象以外の何物でもなかったが、エイー本人にはそのことに気づけず、自責の念に囚われる。


 自分がもっと強くリスクを訴えていれば、もっと強くいさめていれば……今更どうしようもないことだし、実際にエイーが強く主張したところで誰もそれを認めはしなかっただろう。ハッキリ言ってエイーにはそのことに責任は無いのだが、それでも自らを責めて勝手に責任を背負いこむのは、彼自身は気づいていないが彼の若さ未熟さ傲慢さの成せる業であった。


「……ルメオ様ドミヌス・ルメオ?」


「ん!? ああっ、済まない。」


 途中から自分の世界に入ってしまって話を聞いてないことに気づいたレルヒェが声をかけるとエイーは我に返り、「続けてくれ」と先を促した。


「いやぁ……続けてくれって言われても、話はもうそれでほとんど仕舞いで……」


「仕舞い?」


「はい……その、あとは《森の精霊ドライアド》様とグルグリウス様ドミヌス・グルグリウスクレーエの旦那ヘル・クレーエが話あって、そんで解散で終わりでさぁ。」


 エイーはそのあまりにも乱暴な話の終わり方に耳を疑い、顔をしかめて視線をレルヒェに戻す。レルヒェはギクリとしてわずかに仰け反り、「何か?」とでも言うかのように両眉を持ち上げてニヒッと、またあの気色の悪い愛想笑いを浮かべた。


「終わり?」


「他に何か?」


 この男は明らかに何かを誤魔化そうとしている。エイーはそのことに気づくと腰を浮かし、片膝は床に突いたまま一歩踏み出した。


「おいっ」


「な、何ですかルメオ様ドミヌス・ルメオ!?

 お、俺ぁ、見た事ぁ全部話しやしたぜ!?」


 レルヒェは誤魔化そうと必死だが目が泳いでいる。エイーにはレルヒェが何か隠し事をしていることが手に取るようにわかった。


「嘘をつくな!

 お前は肝心なことを話してないじゃないか!?」


「う、嘘!? 肝心なこと!?」


 心外だとばかりにレルヒェは目を見開くが、その視線はエイーの方へは向けられていない。顔はエイーの方を向いているのに目はどこか明後日の方を泳ぎ続け、気色の悪い愛想笑いを張り付ける。


 『勇者団』がアジトにしている山荘で目覚めたことからてっきりグルグリウスの追求から逃れたのだと思っていた。ペイトウィンがいないのはどこかへ出かけでもしたのだろうと……しかしレルヒェの説明を信じるならばエイーはグルグリウスの追及を逃れ切れたわけではない。ペイトウィンはグルグリウスに倒されている。致命傷を負いながらも《森の精霊》に回復してもらい、まだ生きているはずなのにペイトウィンの姿はここにはない。そしてレルヒェが言うには《森の精霊》とグルグリウスとクレーエの間で何かが話し合われたという……


 クレーエの奴、まさかペイトウィンホエールキング様をグルグリウスに売ったんじゃ!?


 エイーは立てた膝に肘を乗せてグイッと身を乗り出し、鼻息がかかるほど顔をレルヒェに近づけた。


ペイトウィンホエールキング様はどうなった!?

 だいたいお前たちはあの方を……クッ!!」


 無意識に説教をし始めたエイーは思わずペイトウィンの正体を口走りそうになり、慌てて口をつぐんだ。

 もしもエイーの想像通り、クレーエがペイトウィンを売ったんだとすれば許せることではない。ペイトウィンはこの世界ヴァーチャリアでもっとも貴重なハーフエルフ……あらゆる聖貴族のトップに立つべき高貴な血筋だ。人類の宝とも呼ぶべき存在なのだ。それを寄りにもよってグルグリウスなどという悪魔に売ったとなれば、それは全人類に対する裏切りである。

 しかし、ペイトウィンがハーフエルフであること、そして自分たち『勇者団』がムセイオンから脱走してきた聖貴族であることは隠さねばならないことだ。なんだか既にバレているようだが、もしまだ誤魔化しがききそうなら隠し続けることを諦めてはならない。まさかエイーからペイトウィンがハーフエルフであることを認め、ペイトウィンの高貴さと貴重さを訴えかけて良いわけがない。となれば他のNPC凡俗と同じように扱わざるを得ず、ペイトウィンの身の安全の重要性を盗賊たちに教えるのは限界があった。


 ああ、もどかしい!!

 いっそ全部ぶちまけられれば簡単なのに!!

 さすがにNPCこいつらだってペイトウィンホエールキング様の正体を知れば少しは……


 エイーは他の『勇者団』メンバーと違って盗賊たちとも普通に接してきた方だ。盗賊たちから見てファドとエイーは貴重なで、その他のメンバーは盗賊のことをやたら見下していて話にならず、変なことで突然激昂して下手するとそのまま人を殺してしまうことすらある危ない相手だった。が、それはエイーに一般人NPCに対する差別が無いからではなかった。

 エイーは治癒魔法を専門的に修得しており、治癒魔法の研究と応用範囲の拡大のために薬学や医学といった分野も学んでいた。その過程で患者との接し方を身に着けたため、相手が身分の低い一般人NPCであっても丁寧に接するようになっているだけで、特に平等主義精神を持っているわけではなかったのだ。当然、彼の根底にあるのは血統主義的な聖貴族至上主義・魔力至上主義であり、魔力を持たない平民は聖貴族を敬い従うのが当然だと思っている。

 そんな彼から見て盗賊たちの振る舞いは理解しがたいものがあった。ペイトウィンが危機に陥っているのを目の当たりにしながら助けもせず、おめおめと生き残ったあげく助けられなかったことを悪びれている様子も無い。それどころか、ここへ来て自分たちが生き残るためにペイトウィンをグルグリウスに売った可能性すら出て来た。


「あ、あの……ルメオ様ドミヌス・ルメオ?」


「ああ!?

 ああ……よし、もう一度訊くぞ?

 ペイトウィンホエールキング様は今どこにおられる!?」


「え!?

 いやぁ、その、俺ぁその……」


 レルヒェは必死に誤魔化そうと頭を巡らせるが、生憎と彼の頭はそれほど出来が良くは無かった。これまでだってずっと勘で生きて来たような男なのだ。自分で何かを決めるよりも、頼るべきクレーエに決めてもらった方がいい……そうやって盗賊稼業を生きてきた男なのである。考えるのはどうも苦手だ。だが、それでもレルヒェの勘が、下手に本当のことを言っては不味いと告げていた。何故不味いのか理由を説明しろと言われても出来ないが、今まで外れたことのない勘がそう告げているのだからおそらくは間違いない。

 あくまでも白を切ろうとするレルヒェにエイーは業を煮やした。


「分かった!

 じゃあクレーエはどこへ行った!?」


 多分、クレーエは今回の件のだ。いや、さすがに今回の事態をクレーエが主導し演出したとまでは思わないが、今回の事態の核心に最も近いところにいるのはクレーエで間違いない。さすがに《森の精霊》や、ましてグルグリウスに会いに行って話を訊くことなど出来るわけがない以上、クレーエに聞くしかあるまい。


「ヘ、クレーエの旦那ヘル・クレーエなら、今偵察に行ってやす。」


「偵察だと!?」


「ええ、外の様子を見てくるって、陽が出て直ぐに出て行きやした。」

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