第871話 フォーチュン・プレート

統一歴九十九年五月九日、晩 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク/シュバルツゼーブルグ



「待て、落ち着けナイス!

 これは陶器ポットリーだ、艶やかに濡れて見えるのは釉薬エナメルって奴だ。」


七宝エナメルだって!?

 こんな大きな皿に境目も無く一様に艶を出してるんだぞ!?

 しかもそれがこんなにたくさんの皿にだ!

 そんな話、信じられるか!?」


 この世界ヴァーチャリアの陶磁器は使用できる温度・焼結時間の制限から発展が著しく遅れている。世界で普及している陶器は八百℃以下の温度で出来る素焼きが基本であり、千二百℃もの高温を要する施釉陶器せゆうとうきは数少ない製造例はあるが大量生産に至った例はない。それだけの高温を扱えるだけの魔力がある者はまず製鉄に従事するのが常だからだ。その少数の施釉陶器は実験的に作られたか、あるいは製鉄に従事している聖貴族が趣味でわずかに作る分だけなのである。そして言うまでもないが千三百℃を超える高温を要する磁器の製造に成功した者はいない。

 仮にメークミーの主張が正しくてこれらの皿が施釉陶器だというのなら、確かにヴァーチャリアでも製造すること自体は可能だろう。だが施釉陶器は魔力保有者の中でも数限られた一部の聖貴族が製鉄の片手間に趣味で作る物という認識に基づくならば、これだけの数が揃っていることの説明がつかない。見渡す限り百以上はあるだろう皿はほとんどすべてが全く同じ形、同じ色、同じデザインなのである。

 常識に照らし合わせてそんなことあり得る筈が無かった。


「ちょっとルクレティア、大丈夫?」


 興奮するナイスをなんとかなだめようとするメークミーの耳に、背後から少女の心配そうな声が飛び込んでくる。


「!?」


 メークミーが思わず振り返ると、額を抑えるように左手で不機嫌そうな顔を隠しながらルクレティアが席を立ち、騒然とするホールから出て行こうとしていた。


「おいメークミー!どこ見てやがる!?

 俺の話は終わってないぞ!

 おい!」


 罵声に近い声を掛けられたメークミーはナイスの方へ向き直り、ナイスの両肩に手を置く。


「待てナイス!不味いぞ、スパルタカシア嬢が出て行っちまった!」


「スパルタカシア嬢?」


 両肩に置かれたメークミーの腕を掴み、怪訝な表情でルクレティアのいた方へ視線をずらすナイスをメークミーは腕力で強引に引き寄せる。


「ナイス!」


「何だよ、お前があの御姫さん気に入ってんのは分かるけど……」


 今、ナイスたちはレーマ帝国が大協約に違反している件について話している。それは世界を揺るがしかねない大問題の筈で、メークミーが熱を上げている女の話なんかよりずっと重要なはずだ。それだというのにメークミーがルクレティアのことの方を気にしているらしいことにナイスはさすがに呆れ、わずかに引きつった半笑いを浮かべたのだが、メークミーはナイスが思っている以上に深刻な顔つきで頭突きでもするように額を突き付けてきた。


「そうじゃないナイス!」


「何だよ!?」


「スパルタカシア嬢が出て行ったってことは、《地の精霊アース・エレメンタル》がってことだぞ!?」


 メークミーの言っている意味に気づいたナイスは浮かべていた薄ら笑いを消し、目を見開いて間近に迫ったメークミーの両目を交互に見る。その顔色からは見る間に血の気が失せようとしていた。

 そう、彼らにとっての最大の脅威 《地の精霊》はルクレティアを守っている。そして彼ら二人の捕虜はルクレティアの傍で大人しくしているからこそ、《地の精霊》からの安全を保障されているのだ。だがここで、この晩餐会と言う公式の場で、二人は騒ぎを起こしてしまった。そして今、ルクレティアは二人が騒ぎを起こしたことに機嫌を悪くして出て行ってしまった。


 やばい……あの精霊エレメンタルに何をされるかわかったもんじゃない……


「ハッハッハッハッ!」


 事の重大さに気づいて顔面蒼白がんめんそうはくになった二人の耳の大きな笑い声が響いた。恐る恐る振り返ると、笑い声の主はヴォルデマール……この晩餐会の主催者でホールの主、そしてこのシュバルツゼーブルグを治める郷士ドゥーチェだった。


「諸君!

 どうやらムセイオンの学士様たちはこの皿が聖遺物アイテムだと勘違いなされたのだそうだ。

 どうだ、素晴らしいじゃないか!

 この皿はムセイオンの学士様の目には《レアル》の聖遺物アイテムに劣らぬ代物に見えるらしい!」


 ヴォルデマールが立ち上がってホールの列席者に向かって両手を広げ、そう高らかに告げると列席者からは「おおお~~~!!」と一斉に感嘆の声があがり、ホール全体がどよめいた。そのどよめきも収まらぬうちにヴォルデマールはナイスたちの方へ向き直る。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。


「学士様、どうかご安心なさい。

 これらは全て南蛮から取り寄せたオリーブOribeヤキィJakiという陶器ポッテリーです。」


「「オ、オリーブOliveヤキィYaki?」」


 ただでさえドイツ語訛りなうえにアルビオンニア訛りまで加わったヴォルデマールの英語はこの騒ぎの中では正しく伝わらなかったらしい。戸惑う二人にヴォルデマールは両手を腰に当て、フッフーと笑うと上体を突き出した。


オリーブOliveではなくオリーブOribeです。」


「「…………。」」


 笑顔を貼り付けたまま発音を訂正するヴォルデマールが表情とは裏腹に実際には怒っているらしいことに気づき、二人はゴクリと喉を鳴らす。その様子に満足したのかヴォルデマールは再び上体を起こし、左手は腰に当てたまま、右手で大仰なジェスチャーを交えながら説明を始めた。


「オリーブ・ヤキィは南蛮の施釉陶器エナメルド・ポッテリーです。」


 そこまで言うと身体をわずかにホールの列席者の方へも向け、今度はラテン語で大きな声で説明し始める。


「私は南蛮貴族からオリーブ・ヤキィの皿やカップをいくつか贈られ、その素晴らしさに感銘をうけましてね。南蛮の職人にこれらを作らせたのです。このように晩餐会でたくさんの客人を持て成すためにね。」


 芝居じみた彼の説明は長く続きそうだったが、ナイスとメークミーにはこれを大人しく聞き続けるしかなかった。少なくとも、このホストに大人しく従っている限りは、あの《地の精霊》からまた『荊の桎梏』ソーン・バインドで押さえつけられて魔力欠乏にさせられてしまうようなことは無いだろうと、なんとなくそんな気がしていたからだ。

 実際のところ、ヴォルデマールはナイスとメークミーに話すのと同時に、他の参列者たちにも伝わる様に説明しているのだろう。きっと、この場を治めるために、むしろこの状況を利用してこの南蛮陶器の皿を自慢するつもりなのだ。だとしたら、ここでは大人しくしていた方が絶対に得だ。それによって一度は晩餐会を台無しにしかけた彼らも、結果的にヴォルデマールの名声を高めることに貢献する結果になるだろうからだ。


「ところが南蛮のオリーブ・ヤキィ職人は同じ物は決して作ろうとしないのです。

 私は寸分たがわぬ全く同じものを百ほども作ってほしいのに、彼らは彼らの流儀で同じ物は絶対に作らない。私がどれほど金を積んで注文しようとも、彼らは必ず少しずつ細部を変えて、作品の一つ一つに個性を作ろうとするのです。

 そこで私はあえてその個性を注文することにしました。

 皿の真ん中、盛り付けた料理で隠れる部分にね、一枚一枚運勢を描かせたのです。そして、料理を盛りつけられた状態では書かれた運勢が分からないように、見えている部分を寸分たがわず同じにしてくれと注文したのです。

 いわばフォーチュン・クッキーの皿版といったところですよ。

 その結果がそれです。どうです、隣の席の人の皿と比べて見てごらんなさい。見分けがつかないほど全く同じでしょう!?」


 そこまで言うとヴォルデマールはホール全体に向かって呼びかける。


「さあどうぞ召し上がれ!

 そのヘラジカ肉の下には、皆さん一人一人の幸運のメッセージが書かれているのですからね!!」


 ホールは列席者たちの「おおー」という嬉しそうなどよめきに満ち溢れ、皆が一斉にヘラジカ肉の煮込みを食べ始めた。それを満足そうに眺めたヴォルデマールはニッコリとナイスとメークミーに向き直る。


「さあどうぞ学士様がたもお召しあがりください。

 その皿がそんなに素晴らしいとお認めくださるなら、いくつかお分けしましょう。後で何枚かずつでも包ませますから、どうぞムセイオンにお持ち帰りください。

 アルビオンニア属州のシュバルツゼーブルグ家の名がムセイオンに知られるのであれば、これ以上の名誉はありませんからな!」


 この場を征したのはヴォルデマールだった。騒ぎは収まり、二人は「ハイイータ」と大人しく返事をし、自分の席に戻らざるを得なかったのだった。

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