第870話 騒動!?

統一歴九十九年五月九日、晩 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク/シュバルツゼーブルグ



娘御むすめごよ』


 《地の精霊アース・エレメンタル》様!?


 ホールで騒ぎが起き始めた一方で、ルクレティアは突然頭の中に鳴り響いた呼びかけに反応しそうになって慌てて自分の口を押えた。


 いけない……みんなにバレちゃう!?


 周囲を見回すルクレティアの頭に再び《地の精霊》の声が届く。


『声に出さずとも、心に思うだけで良い。

 頭の中でワシを想像し、それに話しかけるのじゃ。』


 わ、かりました……


『それでよい。』


 それで、何か御用でしょうか?


 シュバルツゼーブルグ家の招きに応じるにあたって、ルクレティアは《地の精霊》に大人しく目立たないようにするよう頼んであった。ここで《地の精霊》が周囲に説明の出来ないような目立つことをされては、リュウイチのことやリュウイチの聖女サクラとなったことを隠し切れなくなってしまう。にもかかわらず《地の精霊》がこうして話しかけてきたということは、何かただならぬことが起きようとしているのかもしれない。


『うむ、ちと騒ぎが起きそうだったのでな。』


 《地の精霊》の一言にルクレティアはホールの全員がナイスに注目する中、一人目を丸くし息をスーッと吸い込んだ。

 理由は分らないがナイスが急に騒ぎ始めたのは事実だ。ここで彼らが急に暴れはじめでもしたら収拾のつかない混乱に陥るだろう。魔法を使いこなし、常人を遥かに凌駕する身体能力を有する彼らがその力を見せつければ、『勇者団』ブレーブスの存在が、ムセイオンの聖貴族逃亡の事実が明るみになってしまう。それをルクレティアや《地の精霊》が鎮圧したりすれば、リュウイチの降臨もルクレティアが聖女になったこともバレてしまう。だからといって暴れる彼らを放置すれば多大な犠牲者が出るのは避けられない。

 だから今のうちに誰にもバレないようにナイスを押さえつけようというのかもしれないが、それでは既に協力的になっているメークミーはともかくせっかく軟化し始めたナイスの態度が再び硬化してしまうに違いない。


 お、お待ちください!

 騒ぎが起きそうなのはそうかもしれませんが、あの二人はまだ魔力を使ってません。

 二人が魔法を使おうとしたのなら《地の精霊アース・エレメンタル》様の御力をお借りせねばならないでしょうが、今は未だ……


 そう、何を騒いでいるのか理由を把握しきれていない現状で力に訴えるのは早すぎる。今は未だ、せめて彼らが魔力を行使しようとするギリギリまでは待つべきなのだ。《地の精霊》ほどの実力ならそれくらいできるはず。実際、昨日は魔法でカエソーを攻撃しようとしたナイスを《地の精霊》は寸前で取り押さえたと言うではないか。

 だが《地の精霊》がルクレティアに話しかけてきた理由はそれとは別だったようだ。ルクレティアの頭にどこか気の抜けた調子で声が響く。


『あ?……ああ、のことではない。』


 違うのですか?

 まさか『勇者団』ブレーブスが!?


 ルクレティアの顔から急速に血の気が引いていく。

 ルクレティアはアルビオンニウムで襲撃があった夜、『勇者団』のファドを通じて対話を呼びかけた。そして『勇者団』のリーダーを名乗るティフから返事の手紙をもらったにもかかわらず、その後すっぽかしてアルビオンニウムを後にしている。そのことが未だにわだかまりとなって心に残っているルクレティアからすると、『勇者団』が自分に対して憎悪を剝き出しにしていたとしてもおかしいとは思えない。むしろそれが当然のような気さえしてくる。

 彼女が理想とする聖女リディアは、どこまでも誠実で慈悲深い存在なのだ。なのにかくありたいと思い続けたルクレティア自身は、実際に聖女サクラとしての立場と力を与えられたにもかかわらず、誠実な聖女という理想像からかけ離れた行為を働いたのだ。その後ろめたさはルクレティアの『勇者団』に対する恐怖を、『勇者団』の実像以上に大きく増幅させてしまっていた。

 

 アルビオンニウムで兵力の半分を失うような損害を出しながらブルグトアドルフで襲撃を強行してくるほど獰猛どうもうな彼ら『勇者団』ブレーブス

 魔法も使える彼らがシュバルツゼーブルグを本気で攻撃し始めたら……


 その想像の行きつく先は破滅しかない。ルクレティアはリュウイチの降臨を隠すため、『勇者団』の存在も隠さねばならなかった。そして『勇者団』の存在を隠したために、必要な情報を与えなかったためにブルグトアドルフの住民たちは膨大な犠牲者を出し、第三中継基地スタティオ・テルティアのシュテファン・ツヴァイクも多くの部下を失う羽目になった。そしてここへ来てさらにシュバルツゼーブルグで大きな犠牲が発生しようとしている。

 何百人……いや、何千人も犠牲者が出てしまうだろう。ルクレティアが『勇者団』の脅威を、対処に必要な情報を隠していたせいで防げたはずの被害を見逃すことになるのだ。そのような怠惰を、不名誉を、汚名を、これから一生背負って生きていく?

 目の前が急速に暗くなっていくのをルクレティアは感じた。


『落ち着くがよい、娘御よ。

 「勇者団あ奴ら」が攻めてきたわけではない。』


 ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……


 気づけばルクレティアは過呼吸に陥っていた。


「ちょっとルクレティア、大丈夫?」


 右隣りから左向こうの騒ぎを眺めていたシャルロッテにはルクレティアの尋常じんじょうならざる様子に気づかれてしまったようだ。肩に手を添え、顔を覗き込んでくる。


「え!?だ、大丈夫よ、何も無いわ?」


「全然そんな風に見えないんだけど?」


「ご、ごめんなさい。ちょっと疲れが出ちゃったかも……

 ちょっと、席を外すわね。」


 大丈夫?ついて行こうか?と気遣う幼馴染に「大丈夫だから、すぐ戻るから」と言い残しルクレティアは席を立った。


 《地の精霊アース・エレメンタル》様、別室に移ってから話を伺いたいのですが、それで間に合いますか?


 廊下に向かって楚々と歩きながら、ルクレティアは念話で呼びかける。


『問題ない。

 其方がそれを望むならそうしよう。

 心配なようなら、を抑えておくか?』


 ここで《地の精霊》が「あ奴ら」と言ったのはナイスとメークミーのことだ。騒ぎが大きくなるのが心配なら、今のうちに大人しくさせるかと気を利かせてくれているのである。


 いえ、彼らが魔力を使ったり暴れたりしないのであれば……


『わかった。

 あ奴らなぞいつでも抑えられる故、心配せずともよい。』


 ……感謝いたします《地の精霊アース・エレメンタル》様。


 出入り口の両脇に立つ衛士たちに扉を開けてもらい部屋を出ると、主人がいつ出てきても良いように廊下に整列して待っていた列席者たちの付き人の列からクロエリアが飛び出してきた。


お嬢様ドミナ!」


 ルクレティアを見つけた途端、ササッと小走りのような速さで歩み寄ったクロエリアはそのままルクレティアの脇に立つ。


「いかがなされましたか?」


 廊下に並ぶ他の付き人たちの耳目がある以上、《地の精霊》のことをそのまま言うわけにはいかない。


「何でもないわ、ちょっとお色直しをしたいの。

 別室へ案内して、それからリウィウスさんたちを呼んでちょうだい。」


 お色直しのために男の奴隷など必要なわけがない。にもかかわらずリウィウスたちを呼べと言うルクレティアの指示に事情を察したクロエリアは神妙な面持ちで「かしこまりました」と短く答え、ルクレティアと共に最寄りの休憩室へ急いだ。

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