第389話 神官

統一歴九十九年五月五日、黎明 - ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



「そこで何をしてらっしゃるんですか!?」


 突然声をかけられて思わずビクッと驚いたセルウィウスが振り向くと、神官の一人がこちらを見ていた。ルクレティアがアルビオンニウムで執り行う祭祀を補佐するためにアルトリウシアからついてきた神官の一人であり、当然ながら降臨の事実もルクレティアが聖女サクルムになったことも知っている人物である。セルウィウスは思わずホォ~~~ッと長く息を吐いて安堵した。


「えっと、百人隊長ケントゥリオの…カウデクスセルウィウス様?

 それと、アナタ方はたしかの…?」


 神官はちょうど水の入った手桶と清潔な布巾を持って部屋に入ってきたところだったらしい。負傷者は礼拝堂に集められているが、手術の必要な重傷者だけがこの部屋に隔離されていた。

 部屋は元々、ブルグトアドルフがまだ栄えていた頃に孤児たちが寝起きするための大部屋だったものだが、町の衰退とともに孤児の数そのものが減ったため、現在ではちょっとした会議や集会の会場、あるいは結婚式の時の新郎新婦の控室などとしてたまに使われているだけのデッドスペースと化していた部屋だった。

 今は食堂から運び込まれたテーブルを並べた即席ベッドが八床用意され、その上に七人の重傷者が寝かせられている。ここの即席ベッドを用意していた時点では八人いたのだが、そのうち一人は治療の必要のない身体になってしまった。今は外で埋葬を待っている。


「今から手術ですか、神官殿?」


「私はまだ見習いですが、手術はまだです。」


 セルウィウスの問いかけにその神官は怪訝な表情を浮かべたまま答えた。この部屋でこれから行われるのは外科手術である。そして手術をするのは神官たちだ。


 この世界ヴァーチャリアに専業の医者は少ない。ましてブルグトアドルフのような田舎町にいるわけもない。そもそも、医師免許という制度も無い。医学の研究や専門教育が無いわけではないが、医学そのものが未発達なうえに、専門教育を行えるだけの専門家が限られており、おまけに専門教育を受けて医学を身に着けるには莫大な費用がかかるので成り手がおらず数が増やせない。こんな状況で医師を資格化しりしたら、ただでさえ少ない医療従事者の数が現状よりも大幅に減ってしまうのは確実だ。

 では医療は誰が担っているのか?


 大部分は実は民間療法に頼り切っていた。どこにでもいるの経験と勘が頼りである。次に多いのが薬屋や魔女、錬金術師と呼ばれる者たち。これはよりはマシという程度の医療を提供するが、いずれにせよ彼らが提供できるのは効き目の怪しい薬の調合や食事療法、そして簡単なマッサージなどである。

 そんな怪しい連中よりも幾分マシな医療サービスを提供できるのが神官だった。とはいっても、薬や栄養学といった分野での知識は魔女や錬金術師たちと同レベルである。医学について多少学ぶことはあるが、医者のように振舞えるかと言うとそんなレベルではない。出来る外科手術は手足の切断、体内に残った矢玉の摘出、そして傷口の縫合ぐらいのものだった。実態としては、ちょっと腕のいいと大差なく、盲腸の手術さえ行えない。だが、他の怪しげな医療従事者らと違うのは治癒魔法が使える点にあった。


 神官は聖貴族コンセクラトゥムや、稀に血統など関係なしに生まれることのある魔力の強い人間が魔力制御の修行をしてなる職業である。

 精霊エレメンタルとの親和性が高く、精霊エレメンタルとの意思疎通や部分的でも制御することができるようであれば、何らかの生産系の職業に就くようになることもあるのだが、そうなるための魔力制御の修行は一般的に神官見習いにならないと出来ない。そして、魔力制御の熟練度や魔法適正を確認する意味も込めて最初に習得するのが治癒魔法だった。このため、神官は誰でも治癒魔法を使うことができる。

 治癒魔法と言ってもゲイマーガメルが使ったような、一瞬で病気や怪我を治してしまうような強力なものではなく、人体が持つ治癒能力をブーストしてやる程度の効果しかない。だが、それでもないよりはよっぽどマシであり、特に高価な薬を買う金の無い人たちは神官に頼ることが多かった。そのため、神官たちは本業ではないにもかかわらず、医学の習得も求められるようになっており、ある程度以上の神官となれば簡単な外科手術ぐらいはできるようになってしまうのだった。


 今回、たまたまこのような事件が起きたところに居合わせたということで、ルクレティアが率いていた神官らはほぼ全員が駆り出されている。医者はもちろん、薬屋も魔女も錬金術師もおらず、教会の神父も犠牲となってしまった今のブルグトアドルフで彼らは唯一の医療の担い手であり、ただ死ぬのを待つだけだったはずの重傷者とその家族らにとって救いの主であった。


「まだ、手術の準備にはまだ時間がかかるのですか?」


「ええ、消毒用アルコールが足らないので今酒を蒸留しているところです。

 それで、百人隊長ケントゥリオ殿は何をなさっておいでなのですか?」


 神官からすればこれから手術を行う部屋に部外者に立ち入って欲しくはない。だがさすがにセルウィウスは護衛隊長でもあることだし、邪険に扱うことも出来ず、神官もどうしていいか困っているのだった。


「ああ…それなんだが、実はポーションを…」


「ポーション!?」


 セルウィウスは躊躇ちゅうちょし、ヨウィアヌスたちと顔を見合わせてから腹を決めて話始めた。


「実は彼らがからポーションを預かって来ていて、ルクレティア様からそれを使うように仰せつかったそうなのだ。」


の!?

 それがあれば全員助かるではありませんか!!」


 神官は驚き、手に持っていた荷物を近くのテーブルに置くとセルウィウスの方へ詰め寄った。


「どうしてすぐに使わないのです!?」


「それなんだよ。

 怪我人を治すことだけを考えるならすぐにでも使うべきなのだ。」


「当然です!」


「だが、使えばの事が明るみに出るかもしれない。

 我々はそれは防がねばならないのだ。」


「!…そんなことを言っている場合ではないでしょう!?

 人が死にかかっているのですよ?

 を秘するために、この人たちを犠牲にするのですか!?」


 興奮した神官が思わず外に聞こえそうなほど大きな声をあげ、セルウィウスは慌てて宥めた。


「シーッ!声が大きい!!

 だが、それもやむを得ん。」


「ぐっ…そんな!ですが…じゃあ何で!?」


 興奮は収まらないようだったが、それでも声を押し殺して神官は食い下がる。そう、ポーションが使えないのなら何でそんな話をするのか、ここで何をしているのかが分からなくなる。

 セルウィウスはもしかしたら厄介な奴に打ち明けてしまったかもしれないと後悔しつつ、慎重に話を進めた。


「我々だって彼らは助けたい。だが、《レアル》のポーションが使われたと人々に気付かれるような事態は避けねばならない。

 ヴァナディーズ女史によればポーションの効き目は我々の知っているローポーションの二十倍に相当するらしい、そこでニ十倍に薄めて使えばバレないのではという話になってね。

 それで今薄めたポーションをちょっと試してみようと…もし、バレずに済みそうならコレを使う。どうしてもバレそうなら、これは残念ながら使うのは無しだ。」


 セルウィウスがそう説明すると、神官はジッと黙ったままセルウィウスの目を見つめ、しばらく考えてから口を開いた。


「わかりました。

 ですが…そう、それなら…私共に任せてはいただけませんか?」


「神官殿に?」


「私はただの助手ですが、他の…今回、手術を執り行う方に話をしてみます。

 ポーション使ってみた結果次第では、色々とつじつま合わせも必要でしょう?

 もし、効き過ぎて手術の必要な人が減ってしまえば、今している準備も無駄になりますし…」

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