第390話 生存者たち

統一歴九十九年五月五日、早朝 - ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



 ヨウィアヌスがリュウイチから預かり、ルクレティアに使うように指示されたヒールポーションは最終的に七名の重傷者の命を救う事となった。だが、今後は降臨の事実が公表されるまで、降臨について知らない者に対しては使用しない方針が定められることにもなった。


 やはり、この世界ヴァーチャリアで再現されたローポーションと《レアル》から持ち込まれたポーションは全く違う。その事実が確認されたのだ。


 ポーションは水で薄めたことで治癒効果は確かに大幅に減じられていた。だが、この世界ヴァーチャリアで再現されたローポーションとは効き方が根本的に異なる。

 《レアル》ポーションの効き目は恐ろしく早い。飲ませたり、患部にかけたりすればそれだけで一瞬で治癒してしまう。骨折すら治るし、シュテファン・ツヴァイクの潰れた右目さえも元通りに治ってしまった。もちろん、大きな傷を治すためには、薄めてしまったポーションをそれなりの分量だけかけるか飲ませるかしなければならない。だが、治り方…患部が緑色に光って即座に欠損箇所が修復されていく様子はまさに魔法そのものだった。


 これに対してこの世界ヴァーチャリアで再現されたローポーションは違う。ローポーションはゲイマーガメルたちが持ちこんだ《レアル》ポーションの再現を目指して開発されたものだが、所詮は“薬”に過ぎなかった。人間が持つ治癒能力を大きく増進させ、苦痛を和らげる効果があるが、患部に塗布するような外用薬として使うことは出来なかったし、服用してから即座に効くようなものでもなかった。普通の内服薬と同様に消化吸収される必要があり、効き始めるまでにはそれなりに時間を要するのである。

 しかも苦痛を和らげる鎮痛効果はローポーションに含まれる麻薬成分がもたらすものである。中毒性は高くないとされてはいるが、あまり飲み過ぎると麻薬中毒になってしまうし、一度に多量に服用したり常用してたりすると、幻覚や幻聴といった副作用が生じることもあった。だからよほどの事でもない限り子供や妊婦は服用しない方が良いとされている。


 そんなローポーションが当たり前の世界で、文字通りとでも呼ぶべき《レアル》のポーションを使ってバレずに済むとは期待する方が難しいだろう。セルウィウスと神官たちは《レアル》ポーションを水で薄めて通常のローポーションとして配布することは早々にあきらめざるを得なかった。


 臨時手術室に充てられたこの部屋にいるのは重傷者本人を除けば全員がリュウイチの降臨とルクレティアが聖女サクルムになったことを知っている者たちばかりであり、重傷者は皆意識を失っている。他のブルグトアドルフの住民たちは手術の邪魔だからと追い出していたので、ポーションの存在を知られる恐れはない。

 だが、ポーションで傷を完璧に治してしまうと、傷の治り方が異常であることには気づかれてしまう。シュテファンの傷はもう完全に治してしまったので、今から傷つけなおすわけにもいかず、元々それほど重症ではなかったと言いつくろう他なかったが、他の重傷者に対しては使い方を工夫することでごまかすことになった。傷の、深い部分にだけ使うのである。


 例えば榴弾の破片が突き刺さっているとする。まず最初に普通に切開して、榴弾の破片を摘出する。傷口を清潔な水で洗い、その後薄めたポーションを少しずつかける。すると傷の深い部分から修復されていく。そして傷口の深い部分だけをポーションで治し、傷口の浅い部分はあえて残して普通に糸で縫合する。

 これでも全く使わないよりは、はるかにマシな結果になった。

 重傷者七人の手術が終わったころ、外はもう夜が明けて明るくなっていた。


 セルウィウスとヨウィアヌス、カルスらは薄めたポーションの使い方が確立できた三人目までは手術に立ち会っていたが、その後は部屋から出ていた。セルウィウスは指揮官として全体の指揮を執らねばならなかったし、ヨウィアヌスらは手術室に残っていても邪魔なだけだったからだ。


「問題はこれからどうするかだな…」


 ブルグトアドルフの町は人口二百人に満たない小さな集落だ。それが盗賊たちに襲われ、一夜にして壊滅的な被害を受けた。住民の死者は集落の周辺で発見された死体も含めると六十八名。負傷者は七十三名に達し、無傷の者はわずかに三十二名。その他行方不明者が六~七名ほどいるらしい。


 乗馬が興奮して暴走してしまった警察消防隊ウィギレスたちで生きていた者は何とか帰ってきたが、集落の外で孤立したところを襲われた者や、暴走した馬から振り落とされて落命した者もおり、生存者はシュテファン・ツヴァイク隊長を含めたったの七名。内、無傷で任務を継続できる者は三名に過ぎなかった。中継基地スタティオで今も待機している警察消防隊ウィギレスは二十名だから残存戦力はわずか二十三名。

 周囲に潜んでいるであろう二百名以上の盗賊たちから、生き残った住民たち百五名を守るにはあまりにも少なすぎる人数である。


 だが、セルウィウスたちに彼らを守ってやることは出来ない。ルクレティアは今日中にアルビオンニウムへたどり着かねばならないし、セルウィウスはその護衛に就かねばならないのだ。

 かといって住民たちをアルビオンニウムへ一緒に連れていくことも出来ないし、シュバルツゼーブルグまで護衛の部隊を割いてやることも難しいだろう。


「そもそも、あの盗賊どもが何を目的にしているかなんだよなぁ~」


 集落の外れで見つかった住民の遺体から、例の鋸刃のこば太矢ダートが見つかっていた。おそらく、シュバルツゼーブルグでヴァナディーズを襲った賊と同じ奴だろう。だとすれば、一昨日はシュバルツゼーブルグで暗殺を企て、昨日は第五中継基地スタティオ・クィンタを、そして昨夜はブルグトアドルフを襲撃していることになる。


 狙いはルクレティア様か、ヴァナディーズ女史か…いずれにせよ、シュバルツゼーブルグからずっと我々を突け狙っている事になる。だとすれば、ブルグトアドルフの住人はもう襲われないかもしれない。

 いや、そう楽観はできないか…第三中継基地スタティオ・テルティアには賊が狙いそうな武器弾薬が残っている。我々が居なくなれば真っ先にアレを狙うかもしれん。だとすれば、ツヴァイク殿の警察消防隊ウィギレスは生き残れないだろうな。


 セルウィウスが暗澹あんたんたる気持ちで広場に積み上げられた死体を見ていると、教会の方からシュテファンが姿を現した。右目を失い、右肩と左上腕の骨を馬に踏まれて砕かれたはずの男は、着ている服こそボロボロであったが身体は何ともない様子で歩いてくる。ただ、顔色は蒼く、表情はすぐれない。


カウデクスセルウィウス殿!」


ツヴァイクシュテファン殿!、もう起きて大丈夫なのですか?」


 シュテファンを気遣うセルウィウスも誉められた様子ではない。顔には脂が浮き、疲労の色は隠しきれていなかった。


「おちおち寝ても居られません。このような状況では…」


「何があったか、憶えておいでですか?」


 もしも、自分が落馬して馬に踏まれて骨折したことを憶えているようなら、ポーションの事を打ち明けるなりごまかすなりしなければならないかもしれない。だが、幸いなことにシュテファンは落馬の衝撃で軽い記憶障害を起こしているようだった。


「いえ、あいにくと…実は昨日の夕刻辺りから後の記憶がさっぱり…夕食を食べに食堂へ向かったところまでは憶えておるのですが…しかし、一応の概況は部下から聞きました。それから、礼拝堂で住民たちからも…どうやら、随分とお世話になってしまったようですな?」


「いえ、自分は大したことはしていません。

 我々が賊共の掃討を開始した際には、賊共は引き揚げるところだったようです。

 我々は逃げる賊の背中に向けて発砲したにすぎません。」


「ご謙遜を」


「いえ、謙遜では…」


 実際、セルウィウス率いる軽装歩兵ウェリテスが三つに分かれて一斉に町に襲い掛かったとき、町の中からピィーッピィーッと笛が二度立て続けに鳴った。それは盗賊たちの撤収の合図だったらしく、セルウィウスも部下たちも逃げ出す盗賊たちの後ろ姿しか見つけることが出来なかったのだ。

 現に、盗賊たちの死体はほんの七体しか回収できていないし、生きたまま捕えることが出来た賊はいなかった。


「それでも、カウデクスセルウィウス殿が来てくださらなかったら、被害はもっと多くなっていたでしょう。

 我々の武器や馬も、ひとつ残らず奪われていたに違いありません。

 おそらく我々も、誰ひとりとして生き残れていなかった。」


 シュテファンは何事か忸怩じくじたるものを抱えているのだろう、沈痛な表情を浮かべると一拍置いて覚悟を決めたようにセルウィウスの目をジッと見つめた。


百人隊長ケントゥリオセルウィウス・カウデクス殿、このシュテファン・ツヴァイク、中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスとして御礼申し上げる。」


「いや、そんな!」


「そして、助けられた身ではあるが恥を忍んでお願いせねばならぬことがある。」


 そこから先の話の内容…シュテファンが何を頼もうとしているのか、セルウィウスは正確に予想が出来ていた。

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