アルビオンニウム再訪

第391話 移動命令

統一歴九十九年五月五日、朝 - ブルグトアドルフ近郊山中/アルビオンニウム



マジですかヤー・ヴークレィヒフーマンの旦那ヘル・フーマン!?」


 次の指示を聞いてクレーエは驚き、思わず素の言葉で話してしまう。の内の一人、クレーエたちとの連絡窓口となっているペトミー・フーマンはあからさまにイヤな顔をして「チッ」と舌打ちした。


 舌打ちしたいのはクレーエの方だった。昨夜の作戦は結局失敗したのだ。

 たしかにブルグトアドルフから大量の食糧をはじめ結構な量の金品を奪い取ることが出来た。ブルグトアドルフに駆け付けた警察消防隊ウィギレスにもほぼ壊滅に近い打撃を与えている。

 だが、壊滅に近い被害を与えたのは第三中継基地スタティオ・テルティア警察消防隊ウィギレスの半分ほどでしかない。攻略に失敗した第三中継基地スタティオ・テルティアは未だに健在で、ブルグトアドルフで壊滅させた警察消防隊ウィギレスから武器を奪うことすらできなかった。そしてブルグトアドルフで作戦した盗賊たちのうち九人が命を落とす羽目になっている。第三中継基地スタティオ・テルティア攻略に当たった盗賊たちがどうなったかは分からないが、無事だとは考えにくい。


 クレーエ自身、昨夜は何度か肝を冷やす場面があった。

 警察消防隊ウィギレスが町に突入してきた後、気が付いたら町の入口に軍団兵レギオナリウスの大軍が来ていた。そんな状況は作戦指示では想定されていなかった。作戦では敵が町の広場になだれ込み、それに目掛けて投擲爆弾グラナータを一斉投擲とうてきして一挙に殲滅…その後、生き残りを殺すという手筈だった。

 だが、町に突入するのは警察消防隊ウィギレスのみで、軍団兵レギオナリウスの大軍は町の入口で待機していて入ってこない。


 どうする!?


 クレーエは悩んだ。今攻撃しても壊滅するのは警察消防隊ウィギレスのみで、軍団兵レギオナリウスは無傷だ。そして盗賊たちには軍団兵レギオナリウスに対抗する手段が無い。軍団兵レギオナリウスにも広場まで踏み込んで来てもらわなきゃ、投擲爆弾グラナートゥムは攻撃一回分しか用意されていないのだ。

 だが軍団兵レギオナリウスが突入してくる前に警察消防隊ウィギレスは広場に到着し、半数が下馬して住民たちに駆け寄り始める。もし警察消防隊ウィギレスが住民たちを解放すれば、猿轡さるぐつわを外された住民たちは盗賊団“ホイシュレッケ”が周囲に隠れていることを告げてしまうだろう。そうしたら攻撃失敗どころか逃げることすらできなくなってしまう。

 仕方なくクレーエは攻撃開始の合図をし、軍団兵レギオナリウスが突入してくるのを確認すると即座に作戦中止の合図をしたのだった。結果、“ホイシュレッケ”は警察消防隊ウィギレスへの攻撃には成功したが、武器を奪う暇もなく慌てて逃げ出したのである。

 クレーエも作戦中止の合図を出してすぐにブルグトアドルフから逃げ出したのだが、町の外周へ回り込んでいた軍団兵レギオナリウスに見つかり、追いかけられるハメになってしまった。クレーエは一度は後ろから撃たれた弾丸が耳をかすめたし、レルヒェは弾丸が肩をかすめて革の上着に孔をあけられていた。幸い、軍団兵レギオナリウスは早々に追撃を諦めてくれたが、クレーエにしてみれば今生きているのが奇跡としか思えない夜だったのだ。


 しかし、ペトミーにとってそんなことは知ったことではない。どうやってクレーエたちの潜んでいる場所を探し出したのか見当もつかないが、夜明けとともにやって来るやいなや、クレーエを捕まえて半ギレ状態のお説教モードである。


「何でオレが“彼女のHer”なんだ!?

 いったいオレは誰のものになったって言うんだ?

 敬称ならミスターだろ!

 ランツクネヒト語は分からん、英語か、無理ならせめてラテン語を話せ!」


 どうやら語尾が聞こえにくいクレーエのアルビオンニアなまりのせいで、ドイツ語のヘル【Herr】(英語のミスター【Mr.】に相当)を英語のハー【Her】と聞き間違えたらしく、機嫌を悪くしてしまう。


 クレーエの印象ではペトミーはどうにも気が短い。というより、あからさまにクレーエたちを見下している様子だった。クレーエがランツクネヒト族だからか、それとも辺境の田舎者だからか、それとも盗賊だからか、理由は分からない。ただ、毛嫌いしているという事だけはビンビンに伝わってくるし、彼自身もそれを隠そうとしない。

 オレ様がお前クレーエと話をしているのはお前クレーエが他の盗賊よりはだいぶマシだからだ。だが、それも他の盗賊よりマシだから仕方なく口を利いてやっているだけで、本当なら口を利くどころか相手にしたくもないんだ。そもそもオレ様はお前クレーエごときが口を利いていい相手じゃないんだぞ。今こうして口を利いてやっているだけでありがたく思え…そういうペトミーの気持ちを彼の態度が物語っている。

 そして、残念ながらそれを否定したり突っぱねたりするだけの実力がクレーエたちには無かった。

 

「ああ…すみませんパエニーテ旦那ドミヌス。」


 自分よりも明らかに若いであろう童顔のお貴族様、ペトミーの機嫌をうっかり損ねてしまいかけた事に冷や汗をかきながらクレーエは素直にラテン語で謝罪する。


「ですが旦那ドミヌス、俺ら誰一人昨日から一睡もしてねぇんですぜ?

 それを今からアルビオンニウムへ行けって?

 だいたい、何をやらせようって言うんです?

 アルビオンニウムなんて今やただの廃墟だ。

 金目の物なんて残っちゃいやせんぜ?」


 フーッとペトミーは不満げに息を吐き出した。


「やるのは昨夜やったことと同じだ。」


「え!?

 てこたぁまた軍隊相手にしようってぇんですかい!?」


「安心しろ、昨夜潰した中継基地スタティオで新たに武器を手に入れた。

 今度はお前たちにも銃をくれてやるぞ?」


 ペトミーが嘲笑するように口角を吊り上げる。


 チッ、“ホイシュレッケ”どもめ…クレーエは顔に愛想笑いを張り付けたまま心の中で舌打ちした。


 昨日、第五中継基地スタティオ・クィンタから奪った銃はすべて第三中継基地スタティオ・テルティア攻撃にあたった盗賊たちに手渡されており、クレーエたちブルグトアドルフ襲撃に投入された盗賊たちには投擲爆弾グラナータのみが手渡されていた。そして、ブルグトアドルフで警察消防隊ウィギレス襲撃を実行した盗賊団“ホイシュレッケ”たちは、無様に撤退した理由の一つとして自分たちに銃を渡してもらえなかったことを上げていたのだ。


「そいつぁありがてぇや…

 だけど旦那ドミヌス、俺らにそれを使えるようになるだけの練習時間や弾薬はいただけるんですかい?

 聞いた話だが、相当練習して目ぇつむっても弾込めできるようになるくれぇになんなきゃ、実戦で使えねぇらしいじゃないですか?

 軍隊相手に事を構えようってぇんなら生半可じゃまた痛い目見ちまいますぜ?」


「弾丸はともかく時間はないな…」


「ホラァ」


 クレーエの笑顔が大きくなった。だが、腹の内では悪態をついている。

 練習時間が無い…ということは、移動してすぐにっていうことだ。ここからアルビオンニウムまではだいたい一日の距離、盗賊たちの足で急げば半日といったところだろう。つまり昨日の今日でまたすぐに荒事をしなきゃいけないと言うことでもある。そして、その相手はほぼ確実にアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアだ。

 先ほどクレーエが言ったようにアルビオンニウムに金目の物など何一つ残されていない。いや、ケレース神殿テンプルム・ケレースの大水晶があるが、あれは盗み出せるような代物ではないし、盗んだところで運び出すことも換金することも出来ない。にもかかわらずアルビオンニウムに行くということは、標的は昨夜彼らの仕事の邪魔をしたスパルタカシウス家の一行であり、その護衛のアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの部隊を襲う以外に考えられなかった。


 冗談ではない。昨夜の襲撃だけでも盗賊たちにとっては十分に大冒険だった。侯爵家の私兵である警察消防隊ウィギレスを攻撃し、中継基地スタティオを壊滅させ、武器も奪っている。実行した盗賊団たちは反逆罪で全員死刑は確実である。クレーエたちは直接手を出していないし、そもそも姿を見せていないので、誰かが密告しない限りまだ逃げる余地が残されている。だが、これを何度も繰り返すとなるとそのわずかな生存の可能性も消滅しかねない。ましてや今度の相手は警察消防隊ウィギレスではなく軍団レギオーである。辺境軍リミタネイではあるが、前身はレーマ帝国でも最精鋭の武名をほしいままにしたアヴァロンニア支援軍アウクシリア・アヴァロンニアなのだ。


 こっちに二倍の人数が居たとしても、盗賊ごときがまともにぶつかって勝てる相手じゃない。


「だが安心しろ、お前たちの役目はただの囮だ。

 銃は弾を込めた状態で渡してやる。

 お前たちは夜陰に乗じて騒ぎを起こし、敵を引きつけたら後は戦わずに逃げるだけだ。だから、一発撃てりゃ十分だろう?」


「十分って…」


 クレーエの愛想笑いが引きつる。


 夜陰に乗じてってことはやっぱり今夜やる気だ。こっちは寝てないんだぞ?


「出来ないのか?」


 ペトミーの目から光が消え、どんよりとした暗闇が宿る。ペトミーが相手を殺そうとしている時の目だった。


 ヤバイ!!


いやナインいやヌッルム旦那ドミヌス待ってください。

 出来ないとは言ってねぇじゃねえですか?

 アルビオンニウムなんざ目と鼻の先だ。もちろん行けますよ。

 ただ、今急いで移動したってみんなヘバっちまうのは確実だ。そんなんじゃ、とてもじゃないが旦那方ドミニの御期待に沿えるような仕事なんざできませんよ。

 俺らぁ旦那方ドミニみたく強かぁねえんでね?」


 クレーエは身を屈めるようにして精いっぱいの愛想を振りまき、何とかペトミーの勘気を宥めつつ無茶な注文の再考を促す。だが、ペトミーはフンッと鼻で笑って言った。


「安心しろ、お前たちにはスタミナ・ポーションを渡す。」


「すたみな・ぽーしょん?」


 クレーエはうっかり、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまった。それを見てペトミーの表情が変わる。呆れ半分、軽蔑半分といった顔で半歩下がり、汚物でも差し出されたかのように仰け反る。


「まさか知らないのか?」


いえヌッルム!その、一口飲めばどんな疲れも吹っ飛び、丸一日元気で働けるっていう伝説のポーションでしょう?

 いや、あれって御伽話おとぎばなしの中の魔法のポーションだとばかり思ってたもんで…」


 クレーエは思わず出してしまった素の自分を隠し、御愛想を作り直した。ペトミーの方も安心したように姿勢と表情を戻し、安っぽい威厳を取りつくろうと偉そうに言ってのけた。


「御伽話の産物ではない、実在するのだ。

 それを特別に、お前たちに分け与えてやる。」

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