第392話 ライムント街道北上

統一歴九十九年五月五日、午前 - ライムント街道/アルビオンニウム



 宿駅マンシオーを発ったルクレティアら一行はブルグトアドルフでセルウィウスらと合流、アルビオンニウムに向けライムント街道を北上していた。だがその列は昨日の三倍近い長さに膨れ上がっており、進行速度も随分と落ちてしまっていた。ブルグトアドルフの住人たちが加わってしまったためである。


 当初、中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスシュテファン・ツヴァイクはブルグトアドルフの住民たちがシュバルツゼーブルグへ避難するための護衛に兵を貸してくれるよう要求してきた。もちろん、そのような要求は受け入れられるわけはない。

 元々この護衛部隊はアルビオンニウムに派遣されている、そしてこれからアルビオンニウムへ増派される予定のサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの部隊を迎えるための外交儀礼上の都合で派遣される、いわば儀仗隊ぎじょうたいのような存在だった。だから本当なら百人隊ケントゥリア一個くらい分派しても問題ないはずなのだが、今や事情が大きく変化している。


 アルビオンニウム周辺には総勢三百とも目される盗賊団が集結しており、あろうことか中継基地スタティオ警察消防隊ウィギレスへの襲撃を行い、武器や弾薬を強奪している。しかも、どうやら当該盗賊団の目標がルクレティア一行にあるらしいことが推定されている今、当該盗賊団と同数か、下手すれば少ないかもしれない部隊から応援を抽出することなど出来はしない。ブルグトアドルフの住民や中継基地スタティオを守る警察消防隊ウィギレスたちの命などどうでもいいというわけではないが、物事には優先順位というものがあるのだ。

 ルクレティアはこの世界ヴァーチャリア全体を見回してもトップクラスの血統を誇る聖貴族コンセクラータであり、アルビオンニア属州でもトップクラスの上級貴族パトリキである。そして何よりも《暗黒騎士リュウイチ》の聖女サクルムなのだ。その身に万が一のことでもあれば、《暗黒騎士リュウイチ》がその絶大な力を振るう事態を招きかねない。そうなればブルグトアドルフの住民たちはおろか、この世界ヴァーチャリアの人類全体が存亡の危機にさらされることとなるのだ。

 今、ルクレティアの身の安全を守ることは世界全体を守ることでもある。言って良いことではないが、あえて言えばブルグトアドルフの住民たちの命を天秤にかけても吊り合いようがないのだ。


 しかし、だからといって放置できないのも事実ではあった。放置すればブルグトアドルフや第三中継基地スタティオ・テルティアが再度襲撃される可能性は高い。そうなった場合、今度は確実に落ちるだろう。

 住民たちは殺されないかもしれない。住民たちは盗賊にとって食い扶持でもあるのだし、住民を皆殺しにして一番困るのは盗賊団自身だ。今回の襲撃で住民たちに大きな被害が出たのは、住民たちが警察消防隊ウィギレスをおびき出す囮として使われ、警察消防隊ウィギレス攻撃の巻き添えを食ったからに他ならない。だが住民たちは殺されないとしても警察消防隊ウィギレスの全滅は免れないし、第三中継基地スタティオ・テルティアに備蓄されている武器弾薬が奪われることは確実だ。そして奪われた武器弾薬はルクレティア一行に向けられる危険性が出てくる。


 そこでシュテファンが提示したのは住民たちがというものだった。要するに住民たちの側がルクレティアの一行にルートを合わせるので守って欲しいということである。


 護衛隊長のセルウィウス・カウデクスも、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスも、シュテファンの要求を完全に拒否することは出来なかった。ましてルクレティアに断れる道理も無かった。


 アルビオンニウムは放棄されて無人の廃墟と化しているが、別に立ち入りが禁止されているわけではない。旅人が訪れることに何の問題も無いのだ。実際、アルビオンニウムの市街地は火砕流や土石流によって半ば土砂に埋まってしまっているし人はもう住んでいないが、アルビオンニウムの周辺にはまだ小さな農村が点在していて地域丸ごと無人化してしまったわけでもない。リュウイチの降臨を秘匿する都合上、住民たちについてきてほしくは無いが、それを公然と禁じる理由は存在しなかった。

 仮に「ついてきたとしても守れないし守らない」と断言したとしても、彼らが勝手についていくと言えばそれを禁じたり武力で追い払ったりはできなかったのである。


 結果、ブルグトアドルフ住人の生き残り百余名と第三中継基地スタティオ・テルティア警察消防隊ウィギレスが長蛇の列をなしてルクレティア一行に追従することになってしまっている。

 その車列に加わる荷馬車の上に家財道具などはほとんど載っていない。生き残った住民の三分の二が何らかの傷を負っていて、五体満足でまともに動ける中から子供や老人を除くと、頼りにできる働き手は全体の二割に届かない。その上、ブルグトアドルフにあった荷馬車のほぼ半数を、火災を偽装するために盗賊たちが燃やしてしまったのだ。おかげで荷馬車は怪我人と盗賊に渡さないために中継基地スタティオから運び出した武器弾薬を乗せるだけでイッパイイッパイであり、家財道具を積んだりや家畜を引き連れて来る余裕などもう残ってなかったのだ。

 家畜も一応馬だけは連れてきているが、牛、豚、山羊、羊などは連れて来れば足手まといになってルクレティアらの一行に追随できないのが確実だったため、厩舎を開け放っておいてきてしまっていた。

 盗賊たちに襲われ、近しい者たちを殺され、食料を奪われ、身一つで逃げ出す彼らの表情は悲愴そのものである。


 しかし、ルクレティアらを護る軍団兵レギオナリウスたちも決して平気と言うわけではない。彼らも眠れぬ夜を過ごしたし、ブルグトアドルフに派遣された軽装歩兵ウェリテス重装歩兵ホプロマクス、そして騎馬隊エクィテスは夜明けまで警戒を続けるとともに、死者の埋葬のための墓穴掘りを総出でやらされていたのだ。

 住民たちが今日中にブルグトアドルフから退去するであろうことは分かり切っていたし、七十三人の負傷者を含む百余名で六十八体の死体の埋葬などできるわけがない。かといって死体を放置すれば来週にはゾンビ化してしまい、ブルグトアドルフ周辺地域の土壌を汚染してしまうだろう。

 重装歩兵ホプロマクスの一個百人隊ケントゥリアは先に派遣されていたセルウィウス直卒の軽装歩兵ウェリテスを支援して盗賊と闘うはずだったが、到着した途端全員が墓穴掘りに投入されたのだった。


 おかげで死体は無事に土に埋めることができたが、軍団兵レギオナリウスの方は徹夜明けの肉体労働で疲労がピークに達しており、ボロボロである。歩きながら寝てしまわない様に歌い続ける軍歌は、もはやヤケクソでがなり立てるだけで歌になっていない。音程もクソもない、ただの掛け声となっていた。


無敵のレーマレーマ・インウィクタ永遠の軍団アエテルナ・レギオー

レーマに勝利をレーマ・ウィクトリクス永遠の勝利をアエテルナ・ウィクトリクス


「小休ー止っ!!」


 前衛を務める重装歩兵ホプロマクス百人隊長ケントゥリオが号令をかけると、軍団兵レギオナリウスたちはだらしないくらいに一斉にその場にへたり込む。そしてそのままウトウトと眠り始める者もいた。

 百人隊長ケントゥリオたちはあえて何も言わないし、下士官セスクィプリカーリウスたちも口やかましいことは言わず、中にはむしろ自ら率先して眠ろうとする者もいた。全員が疲れているというのももちろん理由ではあるが、今後も例の盗賊団による襲撃が続く可能性が高いと考えられたからだった。


 ヴァナディーズが襲われたシュバルツゼーブルグの倉庫ホレウム、一個百人隊ケントゥリア相当の盗賊の襲撃を受け壊滅した第五中継基地スタティオ・クィンタ、昨夜のブルクドアドルフ、そして今朝になって念のため調べた宿駅マンシオー裏手の堀、そのすべての現場から例の鋸刃のこば太矢ダートが見つかったのだ。

 このきわめて特徴的な武器を不特定多数の人物が共有しているとは考え難い。同一人物が所持、あるいは同一組織で運用されていると考えるのが妥当だろう。


 つまり、理由はわからないが何者かがシュバルツゼーブルグからこっち、ずっと一行を…おそらくルクレティアかヴァナディーズのいずれかをつけ狙っていることが予想された。

 そして、昨夜の盗賊たちは軍団レギオーの部隊と正面からの衝突を避け、逃げに徹して大した被害も出さないまま姿を消している。中継基地スタティオ周辺の森で発見された盗賊の死体とブルグトアドルフ周辺で見つけた盗賊の死体、合わせても二十体に届いていない。捕虜は負傷して動けなくなった状態で捕まえたのが…そして今も生きているのが三人ほどいたが、いずれもほとんど何も知らないか尋問を行えないほど重症を負っているかで有力な情報は得られていない。


 推定で三百人ほどと目される盗賊は死者と捕虜で二十数名を失ったわけだが、同時に第四中継基地スタティオ・クァルタを襲撃して武器弾薬の調達にも成功している。その損害が目標達成によって得られる彼らの利益を上回っていないのであれば、襲撃継続を断念させるには至らないだろうし、目標がルクレティアであるとするならば、この程度の損失で断念するとも思えない。


 やはり奴らが狙っているのが本当にルクレティア様なのか、それともヴァナディーズ女史なのか、それは確かめたいな。その理由もわかれば、少しは対処のしようも見えてくるかもしれん。


 セプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスは車列が小休止のために止まったタイミングで自身の馬車から降りた。

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