第388話 ポーション希釈

統一歴九十九年五月五日、黎明 - ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



「くらーてーる!?

 えーっと撹拌器ルーグレイトか?

 こんな時にそんな物、何にすんです?」


 教会の厨房に入ったヨウィアヌスは、そこで包帯づくりのためにボロ布を煮沸消毒しゃふつしょうどくしていた教会の寺男クスターにポーションを薄めるための器を無心していた。


「いや、ポーションを薄めようと思って」


「ポーションを薄めるだって!?

 アンタら十分な量のポーション持ってきてくれたって話じゃなかったのかい?」


「いやあ、運んでる最中に濃くなっちまったみてぇでさ。」


「何だい、ポーションを樽かテラコッタにでも入れて来たのかい?

 そんなのもう駄目になっちまってんじゃないか!?」


 ガラスや磁器が普及しておらず、陶器と言えば素焼きテラコッタが普通のこの世界ヴァーチャリアでは、魚醤ガルムなどの液体調味料や酒は長期保存している間に水分だけ抜けていって、次第に濃くなってしまうのは珍しいことではなかった。だからこそ酒は混酒器クラーテールで水を混ぜて薄めるのが一般的になっている。

 だが、ポーションは寿命が短く、水分が抜けて濃くなり始めるころには劣化して使い物にならなくなっているのが普通である。元々長期の保存ができないからこそ、ポーションは金属の瓶に入れて運搬・保存されるものだから、ヨウィアヌスの適当なウソに寺男クスターが疑念を抱くのは当然だった。


「特別なヤツなんだ。

 ムセイオンの学士様から教わって試しで作られたっていう貴重な品でね。」


「へぇ~…まあ、兵隊さんレギオナリウスが言うんならウソじゃねえんだろうけどねぇ。

 そっちの棚の真ん中の段だよ。

 薄めるため水はこっちの水瓶だ。

 この水瓶の水は一度沸かしてあるからそのまま使えるだろう。」


 胡散臭そうに思いながらも、ヨウィアヌスがヤケに立派なロリカまとっていたこともあって寺男クスターは必要以上に疑うのをやめた。とっととボロ布を茹でる大鍋を掻き回す作業に戻りながら、言葉だけで教える。かなしい事だが、身分社会の底辺で生きる彼らは自分たちでは触れる機会さえなさそうな立派な格好をしている人物の言うことは、大抵の事なら無条件に受け入れてしまう癖がついていたのだ。


「ありがとよ。

 終わったらどこで洗えばいい?」


 背後からの質問に寺男クスターは少し考えた後、振り返りもせずに答える。


「いや、今井戸の周りは怪我人を洗う水を汲むだけでいっぱいいっぱいのはずさ。

 洗えねぇだろうから、そのまま置いといてくれ。」


 ヨウィアヌスは「わかった」と言うと早速教えられた棚から混酒器クラーテールおぼしきテラコッタの壺を取り出し、水瓶から水を注ぎ入れた。


「よしカルス、コレもってけ」


「分かった。」


 ヨウィアヌスはそう言えば薄めたポーションを飲ませるための器が無かったと気付き、食器棚を見あげた。そこに輝く銀の酒杯に目をとめながら寺男クスターに尋ねる。


茶碗ポクルム酒杯キュリクスも欲しいんだけど?」


「ああ、好きなの持って行きなよ。」


 寺男クスターは振り返りもせずに答えた。ヨウィアヌスは振り返り、寺男クスターが木の棒で大鍋を掻き回すのに集中しているのを確認し、さらに寺男クスター以外に他に誰もいないのを確認してから銀の酒杯を手に取り、ポーチに入れ、そしてその隣の木のカップを掴んで厨房を出た。出しなにヨウィアヌスが「ありがとよ!」と声をかけると「いいってことよ!」という返事だけが返ってきた。


「借りれたか?」


「水も貰えました。」


 セルウィウスの問いに水の入った混酒器クラーテールを抱えたカルスが答える。一抱えほどもある水の入った肉厚のテラコッタ製の壺は結構重たい。


「何だってそんなデカブツを?」


「さあ?

 ヨウィアヌスが選んだんだ。よいしょっと」


 カルスが持ってきた混酒器クラーテールはどう見ても宴会用で、それに入るだけの酒があれば四~五人ほど酔い潰せそうなくらいの大きさがあった。小瓶に入ったポーションを二十倍に薄めるにしてもこの半分も要らないだろう。セルウィウスが呆れるのも当然だった。


「そういえばヨウィアヌスは?」


 カルスがテーブルに混酒器クラーテールを置くのを尻目にセルウィウスは部屋の入り口を見ると、ちょうどヨウィアヌスが入ってくるところだった。


「えっへっ、こりゃカウデクスセルウィウスの旦那、お待たせしやして」


「カルス一人に運ばせて何してたんだ?」


「いやなに、薄めたポーション飲ますのに酒杯キュリクスがねえとって思い出しやして」


 眉をひそめるセルウィウスにヨウィアヌスは、ヘラヘラ笑いながら手に持った木の酒杯キュリクスを見せて弁解する。言われてみればデカい壺で直接飲ませるわけにもいかないし、まさか柄杓で飲ませるわけにもいかない。

 だが、どうもヨウィアヌスの態度は胡散臭くてどこか信用ならない。セルウィウスは不機嫌そうに鼻を鳴らすと命じた。


「もういい、さっさと始めろ。」


「へぃっ、今すぐ」


 早速ヨウィアヌスはポーチからガラスの小瓶を取り出すと、リュウイチから教わった通り瓶の蓋を捻った。プチっと音がして蓋を抑えていた金の線が切れ、その後は特に何の音も手応えも無く蓋が抜ける。混酒器クラーテールを囲んでいたセルウィウス、カルス、そして小瓶を開けた本人であるヨウィアヌスの三人は一斉にホォーっとため息をつき、互いに顔を見合わせた。そして小瓶から混酒器クラーテールに青い半透明の液体を注ぎ込む。


「み、水が多すぎないか?」


 世にも貴重なポーションが小汚い混酒器クラーテールに注ぎ込まれるのを見ながら、セルウィウスは何とも勿体なさそうにこぼす。だが、ヨウィアヌスの方はそんな気は全然無いようだった。


「薄め過ぎたらもう一本足しゃあいいでしょう?

 どのみち、全員に行き渡らせようと思ったらこんくれぇは要るんだ。」


 最後の一滴まで注ぎ込もうと、空になった小瓶を振りながらヨウィアヌスは答えた。そして、混酒器クラーテールとセットの小さな柄杓で中身をよく掻き回して撹拌かくはんすると、それを持ってきた木の酒杯キュリクスに注ぎ込む。


「はいっ、じゃあこれで試してみやしょう!」


 ヨウィアヌスが薄めたポーションの入った酒杯キュリクスを差し出すと、セルウィウスはゴクリと唾を飲んでから「あ、ああ」と言って受け取った。


 彼らはひとまずポーションの効き目を確かめることにしていた。リュウイチのポーションなんだから間違いなく効くのは分かっている。毒と骨折で瀕死の重傷を負っていたカールを、たったの一口で治してしまったという噂は彼らも聞いていたのだ。だから効くことは疑っていない。問題は効き過ぎることだ。

 もし、薄めてもとんでもない効果で、瀕死の重傷者を一瞬で全快にしてしまうようなら、すぐにコレがこの世界ヴァーチャリアで普及しているローポーションではないとバレてしまうだろう。そうなっては不味いのだ。だから、まず重傷者に薄めたポーションをちょっとずつ与え、疑問を抱かれない程度の効き目しか無いことを確認し、それから他の負傷者にも使おう…そう決めたのだ。


 セルウィウスは酒杯キュリクスを手に振り返る。その先には瀕死の重傷を負ったシュテファン・ツヴァイクが応急手当だけを受けた状態で横たわっているベッドがあった。

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