第1256話 カエソーの戦力見積もり

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ヴァーチャリア世界では火砲が既に普及している。軍勢同士の戦闘は大砲の撃ち合いと戦列歩兵同士のぶつかり合いだ。騎兵突撃は未だ無効とはなっていないが、それでも鉄砲が登場する以前の華々しさや決定的打撃力は失われている。今の騎兵の役割は偵察と連絡、そして敵後方へ素早く回り込んでからの火力発揮……つまり支援だ。

 そんな世界であるから刀剣での白兵戦の重要性はかなり低下している。火砲が普及しているとはいっても製鉄技術が未熟なヴァーチャリア世界では、青銅製の砲や鉄砲が主流で、おまけに前装式の滑腔銃身……いわゆるマスケット銃であるため、白兵戦の機会は完全には無くならない。戦列歩兵同士が撃ち合いながら互いに前進しつづけ、石を投げれば確実に届く様な距離まで近づいたら最後は突撃、そのまま白兵戦に雪崩なだれれ込んで勝敗を決めるため、刀剣類は完全に無用の長物と化していたわけではなかったが、それでも剣を使っての斬り合いのような行為はあまり重視されていない。何故なら一般将兵の持つ刀剣はどれも青銅製だからだった。


 ヴァーチャリア世界では精霊エレメンタルが実在している。そして鉄を溶かす様な強い火、あるいは街を焼き尽くす様な大きな火を燃やすと、その火に精霊が宿って《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れ始めてしまう。このため鉄製品、ガラス製品、磁器や施釉陶器といった高温を要する製品の製造技術は未発達なままだ。それらを作るには《火の精霊》を制御できるほどの魔力か、あるいはそれだけの魔力を持つ人物の協力がなければヴァーチャリア世界では不可能だったのである。そして、それだけの魔力を有する人物は非常に限られていた。その結果、鉄は同じ重量の金に匹敵するほどの高価な代物になってしまっている。鋼鉄の防具、鋼鉄の刀剣……そういったものは貴族しか持てないのだ。

 ゆえに、戦場での白兵戦は事実上の鈍器での殴り合いである。青銅製の剣をほとんどの兵士が持っているが、青銅剣の刃は鉄剣の刃と違って非常に弱い。どれほど鋭く刃を研いだとしても、一度斬りつければそれだけで切れ味は落ちる。人の骨にでもあたれば、もうその部分は刃が丸くなり何かを切断するだけの切れ味は失われてしまうのだ。よって、本格的な戦闘になれば、ほんの数撃で青銅剣は剣の形をした鈍器に変化してしまうのである。戦が終われば回収して鋳潰し、新たな剣として鋳造しなおさねばならない……つまり使い捨てなのだ。


 例外は貴族たちが持つ鉄、あるいは鋼鉄でできた剣だ。良い剣ならば人体を斬りつけても刃こぼれ一つしない。下手に骨に当ててしまったとしても、剣によっては骨を断ち切るだけの威力がある。さすがに脂のせいで切れ味は落ちるが、研いで脂を落とせば切れ味は復活する。青銅剣のような使い捨てではなく、一生涯のうちに何度でも使い続けることができるのだ。

 そんな鉄剣だからこそ、より上手く、壊れないように、威力を増すように、使いこなそうという考えが出てくる。その結果生まれるのが「剣術」だ。青銅剣のような使い捨て前提の武器しか使えない状況では、「剣術」のようにより効率を高めようとする技術は生まれないのである。ましてや、鉄剣が普及する前に鉄砲の方が先に普及してしまったヴァーチャリア世界では、「剣術」というものの重要性は一般的に高くはならない。

 しかし鉄剣、鋼鉄剣を持った貴族階級の軍人にとっては重要だ。戦闘の終盤、互いに突撃し白兵戦へなだれ込んだ戦列歩兵たち……当たるに任せてただ無我夢中で青銅の鈍器で殴り合うだけの乱戦の中、ただ一人でも鉄剣や鋼鉄剣を持った者がいれば、そこから戦況を巻き返すことは不可能ではなかったからだ。鋼鉄の武具で身を固めた戦士は、青銅の鈍器しか持たない敵兵を一方的に叩きのめすことが可能だからである。一騎当千……というとさすがに大袈裟だが、一人で十人を倒すくらいの活躍は、それが貴族階級出身の軍人であるならば珍しい話ではない。

 火砲が普及し、戦場での死が身分の違いを無視して平等にいきわたるようになってしまった現代においても、立身出世を求めて戦場を目指す貴族家出身の子弟たちが後を絶たないのは、自分自身も英雄譚の主人公のような活躍が出来る……そういう期待が決して夢物語などではなく、現実に手の届く可能性として存在しているからに他ならない。


 そして現在、シュバルツゼーブルグ方面からグナエウス街道をグナエウス砦へ向かって接近してきているというハーフエルフ……おそらくティフ・ブルーボールとデファーグ・エッジロードであろうと予想されている二人は、そうした「剣術」を極めた存在だった。

 『勇者団』リーダー、ティフ・ブルーボール二世……気配を消して一瞬にして零距離まで接近する『暗殺者アサシン』。乱戦ともなれば俊敏な動きで敵を翻弄ほんろうし、死角から必殺の一撃を見舞う双剣の使い手。彼の巻き起こす血煙の中で敵は視界を奪われ、何が起こったか分からぬうちに全滅を余儀なくされるという。

 もう一人は『剣聖』ソード・マスターデファーグ・エッジロード二世……三つの願い事をかなえる代わりに破滅をもたらすとされる呪われた魔剣『ティルヴィング』の所有者。半世紀を超える歳月をただ剣術のみに注ぎ込み、ついには何者も太刀打ちできぬ実力を得るに至ったという不屈の剣士。世界一の実力者大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフも、その息子でムセイオンの聖貴族たちを指導するルード・ミルフ二世も、こと剣術に関してだけはデファーグに及ばないとの噂だ。


 そのような二人に万が一にも踏み込まれ、敵味方入り乱れての乱戦に持ち込まれればレーマ帝国の辺境軍リミタネイの中でも精強で知られるサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアとてタダでは済むまい。完全武装の兵が何十人いようと、青銅の鈍器しか持たない兵では鋼鉄剣の使い手が相手では一方的に蹂躙されるしかないからだ。


 一個百人隊ケントゥリアが食われている間に他の部隊でその場所をまるごと包囲し、大楯スクトゥムを並べて逃げられないように壁を作り、その内側へ向かって投槍ピルム投擲爆弾グラナートゥムを一斉に投擲する……味方の犠牲を前提とした非情の戦法だ。しかしそれぐらいしか対抗する方法はないだろう。それでも現状でカエソーやセルウィウスが投入できる戦力はそれぞれ二個百人隊ずつの合計四個百人隊分しかない。そのうち一個百人隊に被害を担当させ、残りの三個百人隊で包囲網を形成するとなれば、出来るのは一度だけだ。無理すれば二回目も出来るかもしれないが、まず不可能だろう。

 とにかく、乱戦に持ち込ませないこと、短小銃マスケートゥムの火力にモノを言わせて敵を近づけないようにし、そのような味方一個百人隊を犠牲にするような作戦など実施しなくて済むようにするしかない。


 が、敵側に魔法使いが二人も居るとなるとそれも難しくなる。


 ソファーキング・エディブルス……ヒトの聖貴族の中ではトップクラスの攻撃魔法の使い手。噂ではその一撃の破壊力は投擲爆弾グラナートゥムをも上回り、しかもそれを短小銃の二倍以上のペースで連射でき、さらに射程距離も短小銃の二倍ほどもあると伝えられている。


 レーマ軍の射程の二倍の距離から、レーマ軍の短小銃の二倍のペースで魔法で攻撃されたりしたら……勇猛で知られるアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの精兵といえども、士気を保つのは難しいだろう。

 

 距離を開ければ魔法で一方的に叩かれ、距離を詰めすぎればあっという間に蹂躙される。それなのに付与術師エンチャンターが加わればその戦力が二倍にも三倍にも高まるという。


 ……ダメだ。勝算がない。

 『勇者団』ブレーブスは二個百人隊ケントゥリアが守るケレース神殿テンプルム・ケレース攻略のために盗賊を集めた。だから『勇者団』ブレーブスの戦力は二個百人隊ケントゥリアで対応可能だと思ったのに、シュバルツゼーブルグで借りた聖貴族名鑑の記述と照らし合わせるととてもではないが最低でも一個大隊コホルスくらい無いと対応できそうな気がしない。

 そうだ、今まで《地の精霊アース・エレメンタル》様の御助力があったから対抗できていたのだ。レーマ軍われわれだけの力では防ぎようがないぞ。

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