第1255話 ペイトウィンの要求

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ふぅ~~~んッ……苛立ち、というより諦めに近い溜息を吐きながらペイトウィンは両足を投げ出し、背もたれに上体を預けた。そのまま脱力させたペイトウィンの身体はズルズルと滑り、見ていたグルグリウスがペイトウィンが椅子から滑り落ちてしまうではないかと思わず危惧したところで、ペイトウィンの尻は座面のへりに引っ掛かって止まる。結果、背もたれに投げ出されたペイトウィンは座高が頭一つ分くらい下がったところで落ち着いた。

 思わずペイトウィンを受け止めるために飛び出そうと身構えてしまったグルグリウスは踏みとどまり、一瞬でも我を見失いそうになった自分の姿を壁際に立つ給仕たちに見られてしまったことを恥じるかのように咳ばらいすると居住まいを正した。


「……グルグリウス」


「……何ですかな?」


 憂鬱そうなペイトウィンに返されたグルグリウスの声は、どちらかというとうっとおしそうであった。


「お前は何でそんな話をした?」


「……そんな話とは?」


「ティフが来るって話だ」


 ティフ……ああ、近づいて来てるハーフエルフのことか……

 来てるのはティフというハーフエルフだと確信してるんだな……


 俯いたペイトウィンの表情を見ることができないグルグリウスがそんなことを考えながら反応しないでいると、ペイトウィンはまた自分がティフの名を出してしまったことに気づき、湧き上がる自己嫌悪を振り払うように「ああクソッ」と罵りながら頭を振った。


「お仲間と再会できると知れば寂しさも紛れるかと思ったのですよ」


「そんなわけないだろ!?」


 バッと顔をあげ、跳ねるように前のめりになって言ったペイトウィンにグルグリウスは思わず目を丸めて小さく仰け反る。


「お前、状況分かってるのか!?

 俺の立場が今どうなってるか分かってるか?」


 まるで縋りつくようなペイトウィンの口調は彼の失望の現れだろう。しかし、当のグルグリウスの方はペイトウィンが何をそんなにガッカリしてるのか分からない。


「レーマ軍の虜囚……お仲間が助けに来るのですから、嬉しくないのですか?」


「そんなわけあるか!」


 吐き捨てるように言うと、ペイトウィンは再び両足を投げ出して背もたれに背を預け、腕組みまでしてプイッとそっぽを向いた。


『勇者団』ブレーブスのハーフエルフの中で一番最初に捕虜になっちまったんだぞ!?

 しかもそのせいで仲間から預かってた荷物や共有財産も、全部魔法鞄マジック・バッグごと取り上げられたんだ。

 大失態だ!

 それでティフに助けられてみろ、もう一生ティフに顔をあげられないぞ!?」


 その言い分にはさすがにグルグリウスも顔をしかめるのを堪えきれなかった。要するに彼のプライドが許さないということなのだろうが、いくらなんでも考え方が自己中心的過ぎる。


「それは他で取り返せばいいじゃありませんか?」


 呆れたようなグルグリウスの言葉をペイトウィンは取り合わない。


「フンっ! 

 分かってないなぁ、貸し借りには利子ってもんが付くんだぞ?!」


「利子!?」


 金銭の貸し借りではあるまいに利子などという考えを持ちだされたことにグルグリウスは思わず我が耳を疑った。


「そうだ、着せられた恩ってのは受けた時より多く返さなきゃいけないんだ。

 さもないとずっと言われ続けるんだぞ?!」


 この人はいったいどういう世界を生きて来たんだ……


 さすがにグルグリウスも呆れを禁じ得ない。

 貸し借りなんてものは所詮は一時的なものだ。借りなんてものはいつか返せばいいのだし、いつまでも一方が貸し続けるなんてことはあり得ない。付き合いのない赤の他人同士というならともかく、仲間同士なのだから借りを返す機会はいずれ必ずやってくるのだ。その機会をお互いに待てる関係……それこそが本当の意味での信頼関係と呼ぶべきものであろう。

 しかしペイトウィンとしては一瞬ではあっても借りを作ることで相手に対する優位を失うのは気に入らない。借りを作ったままにしておけば後々まで恩着せがましく言われ続け、その都度プライドを傷つけられ続けたうえ、後に思わぬタイミングで法外な請求をされる……そう思っているのだ。逆に言えば、搾取される不安から逃れるためにこそ、彼は他人に対して常に優位に立とうとしつづけなければならないのである。つまるところ彼は、健全な信頼関係というものを未だに知らないのだった。


「しかし、現にこうして捕虜になってしまった事実はどうしようもないでしょう?

 貴方様はいったい何をどうしようというのです???」


 困惑を禁じ得ないグルグリウスの言葉にペイトウィンは予想外の食いつきを見せる。


「それだよ!」


「!?」


 跳ねるように再びグルグリウスの方へ前のめりになったペイトウィンに、グルグリウスは思わず後ずさりかけた。


「俺はこの状況を自力で打破するか、あるいは失点以上の成果を挙げてティフたちを見返してやらなきゃいけないんだ」


 またこの人は何を言ってるんだ???


 この時グルグリウスは生まれて初めて、まるで女の子が虫やヘビでも見るかのような表情をしていたのだが、ペイトウィンはそれに気づかず視線を床のどこかに這わせながらひとちるように続ける。


「自力で脱走ってのは流石に無理だ。

 仮に可能だったとしても、ティフがそこまで来ちまってる以上もう遅い。

 つまりティフを見返せるだけの手柄をあげなきゃ……

 だから逆に今のこの状況を活かすんだ。

 捕虜という状況、敵の懐に入り込めたこの状況をだ!

 グルグリウス!!」


 ブツブツと一人の世界に入り込んでしまっていたペイトウィンがふいに顔をあげ、視線があってしまったことにグルグリウスは嫌な予感を抱いた。


「な、何です?」


 何かこの人苦手だな……前々から何となくそんな感想をペイトウィンに対して抱き始めていたグルグリウスだったが、その認識は次第に強まっている。


「やっぱり俺は交渉しなければならないんだ」


「交渉!?」


 また何を言い出すんだ?


「そうだ。

 お前の今の主人、《地の精霊アース・エレメンタル》とだ!」


 また突拍子もない事を……この人は御自分の立場と状況を理解しておられないのではないか?


 グルグリウスは先ほどペイトウィンから投げかけられた不安をペイトウィンに対して抱き、おもわず目を閉じ額に手を当てた。


「それはカエソー伯爵公子閣下に御相談すべきことですな。

 貴方様の御身柄はあの御方が御預かりしておられるのですから……」


 ペイトウィンは捕虜でその管理責任者はカエソーだ。グルグリウスはカエソーからペイトウィンの身の回りの世話と監視とを請け負っているにすぎず、ペイトウィンを他の誰かと会わせるかどうかを決める権限など持ちあわせてはいない。

 だがペイトウィンはそれで納得せず、不満も露わに口を尖らせた。


「昼間の尋問の時に言ったが、アイツはぐらかすだけでまともに取り合おうとしなかったぞ!?」


 それはそうだろう……《地の精霊アース・エレメンタル》はルクレティアを守護する精霊エレメンタル。そしてルクレティアはペイトウィンがこの砦に運び込まれた最初の晩に会った際、ペイトウィンに対してハッキリと苦手意識を抱いてしまっていたのだ。初対面だというのに横柄な態度、探られたくないところを無遠慮に探ろうとし、あまつさえ気にいらないと人前でさえ平気で文句をつけてくる……そんな貴族を嫌わないでいられる女性は探す方が難しいだろう。

 カエソーも上級貴族パトリキで社交の経験は年齢の割に豊富だ。ましてルクレティアとはそれなりに親交もあり、その気持ちを察するのは難しくないのだから、聖女サクラというルクレティアのまだ公にできない立場や事情もあって現状ではなるべくペイトウィンから引き離しておこうとするのは当たり前の配慮だった。

 しかしペイトウィンにそうした考えは回らない。ハーフエルフ……その血を、その血を引く子を、求める者は後を絶たないのだ。誰もがペイトウィンの子を産ませようと女を押し付けようとする……まだハーフエルフとしては大人になり切れていないにも関わらずだ。そんな状況に半世紀以上も置かれ続けたペイトウィンに、自分が他人から嫌われるなんて発想は持ちようがない。むしろたとえ内心で嫌っていても、自分に近づき取り入り子供を作ってくれるならどんな無茶でも聞き入れてくれるとさえ思いこんでいる。

 ペイトウィンはその誤った認識を改める機会を得ないままここまで来たのだ。そして、今もその認識の元、グルグリウスに要求を突きつける。


「いいか、俺はお前の主人 《地の精霊アース・エレメンタル》か、その背後に居る黒幕と交渉したいんだ。

 ハーフエルフのペイトウィン・ホエールキング二世が会いたいって言ってるんだぞ?!

 まして俺はお前の召喚主、いわば生みの親なんだからちょっとは役に立ってくれたっていいだろ!?」

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