第1328話 幸福な食卓の居心地悪さ

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュキスカは居心地の悪さを感じていた。右隣に座っているのはエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人、リュキスカの暮らすアルビオンニア属州の女属州領主ドミナ・プロウィンキアエその人である。そして左隣に座るのはアンティスティア・ラベリア・アヴァロニア・アルトリウシア子爵夫人、リュキスカの暮らすアルビオンニア属州アルトリウシアの領主ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の妻である。アルトリウシアに居る……いやアルビオンニア属州全体を見回しても彼女たち以上の貴婦人は存在しない。いわばツートップだ。

 アルビオンニア属州に居る上級貴族パトリキの貴婦人と言えば彼女たち二人のほかはクプファーハーフェンのブリギッタ・フォン・クプファーハーフェン男爵夫人、アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子の妻コト・アリスイア・アヴァロニア・アルトリウシア、そしてルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの四人だけであるから、今この場にアルビオンニアの上級貴婦人パトリキアの半数が居ることになる。借金だらけの貧民パウペルで父親が誰かもわからぬ娼婦の子で自身も娼婦だったリュキスカとは対極の人々だ。居心地の悪さを感じないわけがなかった。


 もっとも、リュキスカはリュウイチに買われて“お手付き”になり、並みの聖貴族に互するほどの魔力を得た結果、現在では正式に第一聖女プリムス・サクラという立場になってしまっているため、実を言うとこの中での最高位はリュキスカだったりする。しかし彼女には未だにそうした自覚は無い。

 そもそも、貴族ノビリタスが貴族として振る舞うためには後ろ盾となる物が必要になる。多くの場合、それはコネクションだったり財産だったりするわけだが、リュキスカの場合はそれが無い。彼女には財産も無いし、他の貴族と張り合えるようなコネクションも持っていない。リュウイチという後ろ盾はあるが、降臨者とは言えたった一人の人間だ。場合によっては味方してくれないこともあるだろうし、助けてほしい時にその場にいないということもあるだろう。貴族が己の権勢を誇るのに、後ろ盾がたった一人の人間のコネクションではちょっと弱すぎる。たとえそれが皇帝陛下だったとしてもだ。

 だいたい、今リュキスカの目の前に居る貴婦人はリュキスカにとってのパトロンでありスポンサーそのものなのだ。対抗できるはずもない。エルネスティーネやアンティスティアから見た評価は全く異なるが、しかしリュキスカの認識ではそうなのである。


 リュキスカはリュウイチの夜伽よとぎをする専属娼婦として、エルネスティーネやルキウスと契約し、報酬を貰っている。それが無ければリュキスカはいつでも彼らの望む時にここから追い出されてしまうかもしれない。そして、それだというのにリュキスカは一昨日から生理が来てしまっているせいでが出来なくなっているのである。リュキスカは今、彼女自身の体調不良とともに、そうした後ろめたさもあって、居心地の悪さを拭いきれないでいるのだった。


「大丈夫かしらリュキスカ様、食が細いようだけど?」


 タマゴサラダをスプーンの先でちょっと掬ってはチマチマ食べるリュキスカの様子が気になり、アンティスティアが自らの食事の手を止め尋ねた。


「いえ! だ、大丈夫です。

 アタイ、朝がちょっと苦手で……」


「本当に?

 無理はなさってはいけませんけど、食べられるならキチンとお食べになった方がよろしくてよ?」


 リュキスカが誤魔化すと今度は反対側からエルネスティーネも気遣いを見せた。


「いやいや、アタイ、ホントに大丈夫だから!」


「体調が悪い時は温かいものがよろしくてよ。

 ほら、こちらのスープなんていかが?」


 そう言いながらアンティスティアがスープ皿をリュキスカの前へ押し出してくる。するとエルネスティーネが反対側から相槌を打つように一緒になって勧めはじめた。


「そうね、それがいいわ。

 パンを浸して食べるの。

 食べやすくなるし、お腹も暖まるのよ」


「あ、ありがとうございます……」


 リュキスカは二人に苦手意識を抱き始めていた。

 ”雌狼犬リュキスカ”などと言う、おおよそ女の子に付けて良いわけのない名前のせいでリュキスカは小さいころからよく揶揄からかわれた。アルビオンニウムの貧民街で育った彼女は悪戯を仕掛けてくる男の子に対し、悪意ある言葉に対し、どう立ち向かうべきか心得ていた。実際、彼女は拳で相手を黙らせたのだ。大人になってからもそれは大して変わらない。目には目を、刃には刃を……それは裏社会の掟、人間社会の根源的な原理原則である。リュキスカは悪意には悪意を、嫌味には嫌味を返すことに慣れ切っていた。

 だが好意に対してどう返せばいいかは慣れていなかった。もちろん好意には好意を返すものだと分かってはいる。自分と同じような境遇の貧民同士、娼婦同士であれば相手が何をどうすれば助かるか、どうしてもらうのが嬉しいかは理解しやすい。

 しかし、今のリュキスカの相手は貴族だ。しかも一方的に助けられ、一方的に養われている状態で、リュキスカには返せるものが何もない。エルネスティーネとルキウスに依頼された仕事だって、今は果たせていない。それなのにこうも厚意を向けられることに、リュキスカは完全に参っていた。

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