第1325話 マルクスの急用

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 レーマ貴族の朝食イェンタークルムには前日の残り物を温めなおしたものが出される。それも見こして晩餐ケーナでは多めに調理するのだが、前日が客を招いての酒宴コミッサーティオだったりすると翌朝の食卓はやたら豪勢になってしまう。一度カットしてしまった生野菜や果物など足のはやい物はさすがに翌朝まで持ち越すことはないし、ある程度は使用人や奴隷たちにも振る舞われるため前日のメニューが全て丸ごと出てくるわけではないにしても、朝から片づけるには重たい内容になりやすい。リュウイチもヴァーチャリアに降臨して早一か月、今ではさすがにだいぶ慣れてはきたものの、朝から食卓に並ぶ料理の皿の多いこと、しかもその半部以上が肉料理という光景にはだいぶ面食らったものだ。ヴァーチャリアに来る前の田所龍一リュウイチは朝食といえは味噌汁と漬物と目玉焼きと納豆ご飯と決まっていたのだから、ギャップは大きかったのだ。


 しかし現地で生まれ育った者にはやはりそれは当たり前の光景らしく、アルトリウスなどは体格に相応しい健啖けんたんぶりを示している。普段は貴公子然としているくせに、大きく口を開けて肉の塊に食らいつく様はまるで野獣のようだ。その隣でカールも負けじと自分の取り皿に大きな肉の塊をよそってもらい、舌なめずりをしている。年齢の割に長身とはいえ、その小さく細い体によくそれだけ入るものだと見る者を感心させずにはおれない食欲である。もちろんリュウイチはカールがかなり無理をして腹に詰め込んでいることを知っていた。毎回、履き戻す寸前まで胃袋に詰め込むのだ。だが、これまでのカールの境遇、そして強く丈夫な身体をつくりたいというカールの気持ちを知っているため、あえていさめたりはしない。

 ルキウスは流石に歳のせいか、二人に比べて食は細いようだ。食卓に並ぶ料理を見る彼は口にこそ出さないものの、ヤレヤレと半ば呆れるような視線を食卓に走らせながら苦笑いを浮かべている。

 だが、ルキウスが呆れた様子を見せるのも分からなくはない。ここの食卓はいつも朝から豪勢だが、今日は普段より料理一つ一つの量が多いように思えるからだ。最初の一皿を平らげたことでようやく落ち着きを取り戻したカールは改めて食卓を見回し、違和感の正体に気づいた。


「そういえばサウマンディアの御客人は今朝は一緒ではないんですか?」


 カシャカシャと部屋中に鳴り響いていた食器鳴る音が急に静まり返る。昨日の酒宴はどうだったとか、あの時の誰それの話はどうとか、食べながら話していたルキウスたちの声も止まった。ちなみに食事中は音を立てず会話もせずに静寂を保つというテーブルマナーはレーマ帝国には無い。食事中でも構わずしゃべるし、食器を鳴らすのも平気だ。飲み物はズルズルと啜るし、ゲップも咀嚼音そしゃくおんも何でもありである。リュウイチもさすがにそれはどうかとは内心で思ってはいたが、日本人らしい奥ゆかしさというか主体性の無さゆえに特に何の反応も示していなかった。なお、カールが女たちの食卓ではなくこちらで食事を摂りたいと言ったのはテーブルマナーについてとやかく言われないというのも隠された理由の一つだったりする。

 とまれ、アルトリウスとルキウス、そしてリュウイチは手を止めカールに注目した。


「昨日はマルクスウァレリウス・カストゥス殿が来られたとアルターヒルデブラントから聞きました。

 前回来られた時のラクダ肉の御礼を言ってなかったので、今日は会えると楽しみにしてたんです」


 大人たちの視線から何やら触れてはならないことに触れてしまったような気配を感じたカールが言い訳でもするように言うと、リュウイチが様子をうかがうように答えたが、同時にそれは便乗して質問しているようでもあった。


『マルクスさんは急用ができたとか聞きましたが?』


 カールに続いてリュウイチの視線もルキウスとアルトリウスへと向けられた。ルキウスとアルトリウスは互いに見合い逡巡しゅんじゅんする。ただ、それは都合の悪いことを答えたくないという理由からではなく、単純にどちらが答えるか迷ってのものだった。

 無言の譲り合いの結果アルトリウスが答えることになったが、質問にすぐに答えられず不調法を晒してしまった気まずさも手伝ってか、その口調はどこか投槍になってしまう。


「あ~……はい、マルクスウァレリウス・カストゥス殿はグナエウス砦ブルグス・グナエイに向けて既に出立なされました」


グナエウス砦ブルグス・グナエイ!?」


 カールが驚いてひっくり返った様な声をあげると、ルキウスがカールに言い聞かせるように補足する。


カエソー伯爵公子閣下がグナエウス砦ブルグス・グナエイに来ておられるのですよ。

 ルクレティア様といっしょにね」


 ルキウスがカールに説明している陰でリュウイチは一人眉をあげ、シチューの中から肉の塊を掬いだして口に放り込んでいた。カエソーがグナエウス砦に来ていることはもちろん知っていたが、マルクスがグナエウス砦へ向かうことについてはリュウイチは知らされていなかったのだ。


 あれ、てことは奴隷の返事は急がなくてよくなったのかな?


 リュウイチが一人口の中で煮込まれ過ぎた肉がほぐれていくのを感じながら暢気のんきにそんなことを考えている間にカールはヒートアップしていく。


カエソー伯爵公子?!

 閣下が来ているなんて知りませんでした。

 アルトリウシアここに来られるのですか!?」


 これにはルキウスも苦笑いを浮かべ逡巡する。多分カエソーはアルトリウシアに来るだろう。ただ、アルビオンニア貴族たちからすればカエソーに今アルトリウシアに来てほしくはないという思いがある。できれば『勇者団』ブレーブスの問題にケリがつくまでグナエウス峠より東に留まってほしいというのが本音であり、そのような要請もしていた。しかしマルクスとしてはカエソーが捕えているムセイオンの聖貴族たちを奪還されないよう、ルクレティアと共にアルトリウシアへ急がせたい考えだ。

 答えあぐねたルキウスは「どうなんだ?」とアルトリウスに話を振った。


「まだ分かりませんね。

 これからカエソー伯爵公子閣下が判断なさることでしょう。

 いずれは来るでしょうが……」


 口ではそう答えたものの、アルトリウスは高確率で来るだろうと予想していた。アルトリウスの何かを諦めたような口調はその予想を反映したものである。カエソーが来るかもしれないというのにどこか残念そうなアルトリウスの様子に、カールは怪訝な表情を見せた。


カエソー伯爵公子閣下は来られないかもしれないのですか?

 せっかくグナエウス砦ブルグス・グナエイまで来てるのに……

 閣下はアルビオンニアで何をしてるんですか?」


 アルトリウスは思わずカールの背後に控えるミヒャエルをチラリと見た。ミヒャエルは思わず自分に至らないところを見抜かれたような気になってドギマギしてしまう。

 貴族の子供に至らぬところがあればその家庭教師に責任を求められるのは致し方の無い事であろうが、家庭教師を拝命してまだ一週間も経ってないミヒャエルの影響がカールの言動に出てくるわけはない。となると、しつけとかの問題ではないはずだ。


 アルビオンニウムやブルグトアドルフの戦のことをカール侯爵公子閣下にお教えしていなかったことか!?

 でもあれは口外するなと言われているし……

 

 ミヒャエルはカールが知っておくべきことを知らずに質問してきているのを咎められているのではと疑った。が、自身でも既に気づいているように『勇者団』ブレーブスの起こした一連の事件については軍事機密扱いになっており、いくら領主貴族の一家とは言えカールに教えてよい情報とはされていない。

 ミヒャエルはアルビオンニウムやブルグトアドルフで『勇者団』が引き起こした事件についてほぼタイムラグ無しで知ることが出来ていた。アルビオンニウムの戦に関して言えばリュウイチが中継してくれている場に立ち会い、遠いアルビオンニウムで軍勢がどのように動きどのように戦闘が推移していったかを居ながらに知るという得難い経験もしている。だが、そうして彼が得た情報は秘匿されることになった。


 アルビオンニウムやブルグトアドルフで盗賊どもが暴れて被害が出ていることは既に世間には知られつつあることだが、アルビオンニウムやブルグトアドルフで起きた情報がアルトリウシアに届くにはそれなりの時間を要する。特に街道の途中にある中継基地スタティオが壊滅した以上は情報伝達速度は極端に低下せざるをえないので余計である。にもかかわらずシュバルツゼーブルグに情報が伝わるより早くアルトリウシアで詳細を知られているということになれば、そこからリュウイチ降臨者の存在が明るみになるかもしれない……そうしたリスクを踏まえ、アルトリウシアではリュウイチの存在を既に知っているごく一部の人間以外は情報を封鎖することにしたのだ。


 でもカールはリュウイチのことを知っているのだからいいのでは?


 たしかに問題なさそうではある。だがまだ幼いカールがどこまで秘密を守れるかは未知数だった。カールは外部の人間と接する機会はほとんど無いが、しかし週に一度の日曜礼拝の際だけはティトゥス教会から出張してきてくれるマティアス司祭とその補助をする修道女たちと会う機会がある。教会の聖職者たちはリュウイチのことを知らないし、であれば遠隔地で起きている出来事を居ながらにして知る術について何も知らない。その彼らの前でカールがウッカリ口を滑らせては困ったことになる。カールは叔父のアロイス・キュッテルの影響で英雄譚が大好きで、戦談義などになると夢中になる傾向があるため、もしもアルビオンニウムやブルグトアドルフの話題に触れたりすれば、興奮して口を滑らせてしまう可能性が強く懸念されたのだ。そしてミヒャエルの見たところ、カールにも話を伏せるようにという指示は決して大げさな判断ではなかった。

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