第1327話 アロイスに期待するカール

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



カエソー伯爵公子閣下はルクレティア様を守ってくださったのだよ。

 ほら、シュバルツゼーブルグで盗賊どもが暴れていると聞いたでしょう?」


 ミヒャエルが内なる焦燥を抑え込みながら直立不動の姿勢を何とか保っていると、ルキウスがカールの疑問に答えた。普通の子供なら面倒なことは適当にはぐらかして誤魔化すことも出来るが、カールは女属州領主ドミナ・プロウィンキアエの跡取り息子、侯爵公子である以上は粗略には扱えない。ルキウスも地方領主ドミヌス・テリットリイである以上、同じ領主貴族パトリキとしてそれに相応しい敬意を払ってやる必要がある。何より年長者とは、己の言動によって後進に範を示すべきだ……ルキウスはそのように信じていたのだ。


「シュバルツゼーブルグの盗賊団!

 ではアロイス叔父上オンケー・アロイスも一緒なのですか!?」


 カールは目を輝かせた。シュバルツゼーブルグに現れた盗賊団といえば、カールの叔父であるアロイス・キュッテル軍団長が自ら大隊を率いて討伐に行った“敵”である。それと戦っているというのなら、アロイスも関係していておかしくはない。いや、関係しているだろう。アロイスはカールにとって親戚の中で一番大好きな存在だ。

 新たな答えは新たな疑問を生み出すものだが、興味のある事柄に対する八歳児の知的好奇心のとなればその勢いはすさまじく、カール自身でさえ自制を利かせることなど出来はしない。ルキウスは後悔の気配を感じ始めていた。


「いや、アロイスキュッテル閣下はシュバルツゼーブルグに留まられるのではありませんでしたかな?

 盗賊どもの残党がまだ残っているとか・・・」


 ルキウスがアルトリウスを振り返って話を振ると、アルトリウスは心なしかヤレヤレと言いたげに口角を上げて養父ルキウスに続く。


「ええ、報告ではまだ二、三十人ほどの残党が残っているそうです。

 当初の三百人から比べれば十分の一程ですが、一つの盗賊の集団としてはかなり規模が大きい。

 中継基地スタティオから奪った武器で武装しているそうですし、一日でも早く討ち取らねばシュバルツゼーブルグ卿も安心できないでしょう」


 カールは輝く瞳をルキウスからアルトリウスへ向けなおした。もう彼の食事の手は完全に止まってしまっており、早くも戦談義に夢中のようである。


アロイス叔父上オンケー・アロイスは五百人の兵を率いて行きました!

 アロイス叔父上オンケー・アロイスなら盗賊の三十人くらい、すぐに討てますか!?」


「まともにぶつかればそうでしょう」


 アルトリウスが首肯するとカールは小鼻を膨らませた。しかしアルトリウスはカールに水を差すように、今度は首を横に振って見せた。


「しかし負けると分かっている相手とまともにぶつかる者はいません。

 勝てない相手からは逃げようとするのが普通です。

 まして相手は盗賊、逃げることに関しては長けているでしょう」


「ではアロイス叔父オンケー・アロイスは盗賊を討てないのですか!?」


 カールは愕然とした。表情がコロコロ変わるのはカールの健やかさの現れであろうが、肌の色素の無いアルビノという体質もあって顔色の変化は一層顕著である。実際に肌の色が変わっていくのだ。

 ピンクに染まっていた顔を青ざめさせたカールにやや同情しながらも、アルトリウスは現実を突きつける。相手を慰めるために下手に言い繕うのは、特にこの年頃の子が興味を持っている分野については避けるべきだ。ましてカールは将来の属州領主、軍事について甘い考えするような癖をつけられては困る。


「逃げられれば追いつくのは難しいでしょうね」


「レーマ軍は早いんでしょう?

 アロイス叔父オンケー・アロイスは軍隊では行進訓練が一番大事だって言ってました」


 実際、軍隊では行進訓練が多い。行進の練習ばかりで戦闘訓練が少ないことに不満を感じる兵士や軍オタは決して少なくない。だが行進訓練が多いのはもちろん軍隊にとって行進が非常に重要だからである。

 野戦では陣形が非常に重要になる。同数以上の敵に囲まれた状態から勝利をもぎ取るのはほぼ不可能だろう。どれほど強力な軍隊でも、正面の敵と戦っている最中に無防備な側背を突かれれば容易に瓦解してしまう。極端な話、有利な陣形に布陣できれば不利を悟った敵が戦わずに撤退してしまうことすらあるのだ。ゆえに、軍隊は部隊単位で戦場を高速で機動し、有利な位置に布陣することが戦場で勝利するカギとなる。そしてそれを可能とするのが兵站へいたんであり、普段から繰り返される行進訓練なのだ。

 逆に言えばどれほど優れた兵器を装備していようと、どれほど戦闘能力が高かろうと、行進の出来ない部隊は野戦では使い物にならない。そんな部隊に出来るのはせいぜい拠点防衛ぐらいなモノだろう。そして野戦行軍のできない部隊が守る拠点など力攻めする必要はなく、兵糧攻めにしさえすれば確実に攻略できてしまうだから、いくら戦闘に強くても行進の苦手な軍隊など見掛け倒しでしかないのだ。

 ゆえにレーマ軍では行進訓練を重視している。レーマ軍の行軍速度は啓展宗教諸国連合側のどの国の軍隊よりも速く、その軍団を構成する種族によって異なるが最も遅い軍団でも一日に十マイルミーッレ(約十八・五キロ)を移動できた。啓展宗教諸国連合側の軍隊の一日の行軍距離は最も早い例でも八マイル(約十五キロ弱)程度であることを考えれば、その健脚ぶりがわかろうというものである。去る大戦争の際は多くのゲイマーガメルが啓展宗教諸国連合側に組したにも関わらず、レーマ軍が互角以上に戦い続けることができたのは優れた兵站と高い行軍速度によるところが大きい。

 カールもアロイスからそうした話を聞いていた。レーマ軍は早いのだと。そのカールからすれば、レーマ軍が盗賊ごときに追いつけないというのは不可解なのかもしれない。アルトリウスは苦笑いを浮かべながら答えた。


「軍隊は集団でまとまって戦うから強いのです。

 ですが重たい装備を持った兵士がまとまって行動するには、山林という地形はどうにも都合が悪い。

 樹々は邪魔だし地面は平らではなく不安定……山林の中ではどうしても動きが鈍くなってしまいます。

 味方と連携することも考えずに我先にと逃げることに集中する盗賊に軍隊が追い付くのは至難の業でしょう。

 まして山の中ともなれば土地勘は盗賊側にあります」


 アルビノという体質から日光を避けるため、物心つく前からほぼずっと部屋に引きこもっていたカールにとって山林という環境はまったく不案内だった。遠くから見た事がある、話に来たことがあるという程度であり、自分で山の中に分け入ったことなど一度も無い。だから想像することしかできない。

 しかしこれまでの人生の大半をベッドの上で過ごし、アロイスに与えられた英雄譚を読みふけっては想像を膨らませる日々はカールの想像力と同時に、与えられる外界の情報を素直に受け入れる柔軟性とを育んでいた。


 そうなのか、山の中では軍隊は動きにくいのか……

 兵士は猟師より強いから山の中だって自由に動けると思ったのに……

 でもアルトリウス閣下が言われるのだから間違いない。

 だってアルトリウス閣下はアロイス叔父上オンケー・アロイスと同じ軍団長レギオンスコマンドゥアだし……アルビオンニアで一番強い将軍ゲーナーハイだって言ってたし……


「ではアロイス叔父オンケー・アロイスはコッチに帰ってこれないのですか?

 せっかくコッチに来てくれてたのに……」


 アロイスは一番カールを可愛がってくれた親戚だ。暗い部屋に閉じこもり、ベッドの上で過ごすしかなかったカールに様々な話を聞かせてくれ、本をくれ、素晴らしい英雄譚や騎士物語の世界を教えてくれた。それらは狭い世界で過ごすしかなかったカールの心を鮮やかに彩ってくれるものだった。アロイスはカールにとって、来るたびに素晴らしい贈り物をくれるサンタクロースのような存在だったのだ。一緒に過ごせるならずっと一緒に居たいくらい大好きな叔父だ。だがそのアロイスが逃げ回る盗賊を捕まえることができず、帰ってこれない……それはカールの意気を消沈させる悪い知らせだった。


 もうすぐ冬なのに……

 西山地ヴェストリヒバーグが雪で閉ざされれば、アロイス叔父オンケー・アロイスは春までコッチに来れなくなっちゃうじゃないか……


 哀れを誘うほど意気消沈するカールにアルトリウスもルキウスもさすがに気まずさを覚えた。ルキウスなどはあからさまに顔をしかめてアルトリウスを責めるような視線を送り、言外にアルトリウスを叱責するかのようだ。


「オ、オホン!

 まだそうと決まったわけではありませんよ。

 盗賊の逃げ足が速くとも、予め逃げ道を塞ぎながら徐々に追い詰めて行けばいいのです。罠を張るという方法もありますしね。

 ただ、それには少しばかり時間がかかるというだけで……」


 悲観的な材料をアピールしすぎたアルトリウスは今度は逆に好材料を示すことでカールを安心させようと試みる。だが慎重なアルトリウスはどうしても予防線を張ってしまう。おかげでせっかく示した好材料もカールを元気づける力を失ってしまったようだ。


「でも、時間がかかるってことは早くても春まで帰ってこれないんでしょう?」


 さといカールはアルトリウスの張った予防線に過敏に反応してしまった。ルキウスはアルトリウスの言い回しに呆れ、背けた顔を顰めて一人小さく首を振る。ルキウスもアルトリウスも根は楽観的な性格なのだが、一度人生のどん底に身を沈めた結果変な具合に吹っ切れてしまったルキウスから見ると、若いアルトリウスの貴公子特有の慎重さは人間的な未熟さ、失敗を恐れる臆病さに見えてしまう。そんなルキウスの様子にアルトリウスは気づいていなかったが、自分の添えた一言が余計だったことには自分で気づいていた。

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