第1328話 食卓の小さな攻防

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 食事は決して不味いわけではない。平民プレブスならたまのお祝い事の時にしか食べないような御馳走がズラッと並んでいるのだ。それも一皿一皿が平民の数日分の稼ぎに迫るような上等な食材を当たり前のように使っているのだから、美味しくないわけはない。しかし人間は同じ料理でもその時々の気分によって美味しくも感じれば不味くも感じるものである。リュキスカはやや濃すぎるくらいの味付けのスープに浸したパンの欠片を、妙に味気なく感じながら食べていた。

 リュキスカはどうやら気分がまだ良くないようだ……そう察したエルネスティーネとアンティスティアは話題を切り替えて様子をうかがうことにする。


「そう言えばルキウス子爵閣下の腰はどうなの?

 まだ車椅子なんか御使いのようだけど……」

「もうとっくに良いんですのよ?

 車椅子なんて大袈裟おおげさなくらい。

 あの人ったらすぐに甘えたがるんだから……」

「なら良いけど、腰を痛くした日は脂汗なんか流してホントに辛そうだったから」

「いつものことじゃありませんか。

 二、三日寝てりゃ勝手に治るんですから放っておけばいいんですよ」

「そんなこと言って!

 私、聞いてますのよ?

 アンティスティア子爵夫人が一生懸命マッサージをしてさしあげてたって」

「いやですわ!

 あの人ったら何かというとすぐに腰揉んでくれとかさすってくれとかしつこいんですもの!」 

「でもそれでルキウス子爵閣下もお治りになられたのでしょう?

 さすがですわ」

「もう止してください。

 私は別に魔法の癒し手なんかじゃないんですからね」

「でも他の方のマッサージはお受けにならないんでしょう?」

「甘えたいだけなんですよ。

 あの人ったらちょっと痛がってれば周りが優しくしてくれるものだからって、すぐに甘えてくるんですから……」

「そうかしら?」

「そうですよ!

 別に身体の調子が良い時だって、都合が悪いことがあるとすぐに腰が痛い振りをしだすでしょう?」

「それは確かにそうだわ!」


 リュキスカを挟んで二人はコロコロと笑いだす。上級貴婦人パトリキア二人の会話に普通の人なら気を飲まれて圧倒されたり、会話に置いていかれて焦ったりとするのかもしれないが、リュキスカは逆にホッと息をついていた。


 別に二人のことが苦手と言うわけではない。彼女たち個人に対して苦手意識のようなものは無かったはずだ。これまでも何度か二人とは会っているし、食事も共にしている。その時だって緊張はしたかもしれないがこうも気後れすることはなかったはずだ。


 やっぱりまだ体調が戻り切っていないせいかな……

 でも生理だからって……

 前は生理なんて大したことなかったのに……


 子供を産む前のリュキスカは生理痛はそれほど重くは無かった。むしろ軽い方で、生理中で客をとれない時でも店の雑用なんかは平気で助けていたくらいだった。

 リュキスカが頭を抱えていると、急にエルネスティーネの声が飛ぶ。


「エルゼ!」


 その声にハッとして顔を上げると、エルネスティーネの娘の一人エルゼがパンにフォークを指してクルクルと回転させていた。その脇でエルゼにやめさせようとしていた乳母キンダーメディヒェンのロミーが、まるで自分が怒られたかのようにビクッと身体を震わせて硬直している。


「ちゃんと食べなさい!

 ちゃんと食べないで遊んでいると、大きくなれないわよ!?」


 エルネスティーネが鋭く叱ると、エルゼは手に持っていたフォークの刺さったパンを投げ捨てるように皿の上に置き、口を尖らせる。それをロミーがアタフタと手を出してパンからフォークを抜き、元の位置に並べてエルネスティーネに頭を下げた。


「エルゼ、聞いているの?」


 エルネスティーネが困ったように言うと、エルゼはプイッと横を向いた。


「食べたくないもん」


「エルゼ様、そのようなことを言ってはいけません」


 幼女の小さな叛乱にロミーは狼狽うろたえた。エルネスティーネの見るところ、ロミーは気が弱いのかどうもエルゼを甘やかしすぎる。このままではエルゼはとんでもなく我儘な子に育ってしまうのではないか……エルネスティーネのみならずエルゼの将来が心配になってこようというものだ。しかし、ロミー以上にエルゼを猫かわいがりする姉が横から声をかけた。


「エルゼはケーキクーヘンを食べたいのよねぇ?」


 ディートリンデが揶揄からかうように言うと、エルゼは満面の笑みを浮かべて頷いた。


「うんっ!

 エルゼ、バームクーヘン食べたい!

 リューイチ様と作るの!!」


 これにはエルネスティーネも思わず閉口してしまった。エルゼは先週、こちらに来た時に道に迷い、リュウイチに保護されて一緒にバウムクーヘンを作って食べたのだが、どうやらそれがいたく気に入ってしまったらしい。ティトゥス要塞カストルム・ティティに帰ってからも度々、バウムクーヘンを強請ねだるようになっていた。


「バームクーヘン?」


 事情を知らないアンティスティアが困惑した様子で誰に訊くともなく尋ねると、リュキスカが何の気なしに答えた。


「先週、リュウイチ様がエルゼ様のために作ってあげたんですよ。

 それを気に入ったのかしらねぇ?」


「まぁ!」


 アンティスティアは目を丸くして驚いた。降臨者自らケーキを焼いて食べさせてくれたなど、ちょっと想像が追い付かない。


「エルゼ!

 リュウイチ様のことは言ってはいけないって言ったでしょ!?

 誰かに聞かれたらどうするの!!」


 エルゼには秘密を守るのは無理だったのかもしれない。仕方が無い事だったとはいえエルネスティーネは娘たちをリュウイチに会わせてしまったことを後悔し始めていた。しかし、そんな大人の都合など子供にとっては知ったことではない。エルゼの反抗は続く。


「エルゼ言ってないもん!」


 リュウイチ様と作ると口走ってしまったことをエルゼは自覚していなかった。忘れていた。エルゼにとってエルネスティーネの叱責は理不尽極まるものだった。ゆえに抵抗する。理不尽には抗わねばならないのだ。

 自由の戦士の果敢な抵抗にエルネスティーネは一瞬たじろぎそうになる。だがそこは属州を納める女領主、大人の余裕で抵抗が無益であることを証明して見せた。


「行儀の悪い子はリュウイチ様に会わせてあげません!」


 その意味するところは明らかであった。エルゼはあまりにも残酷な仕打ちに悲鳴を上げる。


「ヤダ!

 リューチ様に会うもん!

 バームクーヘン作るんだもん!!」


 両手を机に叩きつけて訴えるエルゼにエルネスティーネは冷徹に、威厳を持って宣告した。


「じゃあお行儀よくなさい!

 リュウイチ様のことも、バウムクーヘンのことも、秘密を守れない子はリュウイチ様にお会いできません!」


 エルゼは頬を膨らませてエルネスティーネを睨みあげた。それは彼女の最後の抵抗であったが、無力な報復の剣は煌めくどころか儚く散る運命にある。


「分かりましたか?」


 絶対強者エルネスティーネの前に自由の戦士は屈服を余儀なくされた。エルゼはコクンと頷いたのだった。

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