第1329話 ライムント地方で起きていること

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 気まずそうなアルトリウスに助け船を出したのはリュウイチだった。


『カール君、アロイスさんは頑張ってるんだし、時に物事は思わずうまく進むことだってあるよ。

 遠く離れたところにいる私たちはアロイスさんの努力を信じてあげたほうがいいんじゃないかな?』


 リュウイチは笑っているわけではないが特に心配しているわけでもないというよう数でカールに語り掛ける。カールはうつむきながらそんなリュウイチをチラチラと何度か見たが、カールの目にはリュウイチが無関心なように見えたのかもしれない。


「そうかもしれませんが、アルトリウス閣下が言われた様に簡単ではありません。

 シュバルツゼーブルグは広いと聞いてます。

 アルトリウス閣下が言われた様に、山の中で軍隊が思うように動けないなら、きっと五百人じゃ足らないです」


『応援のために連れて行ったのは五百人だけど、現地では別の兵隊がいるからもっと多いんじゃないかな?』


 リュウイチがそう言ってアルトリウスに視線を送ると、アルトリウスはカールを元気づける好材料を思い出し、表情を明るくした。


「リュウイチ様のおっしゃる通りですカール侯爵公子閣下!

 現地で他の部隊と合流しますから、人数に不足はありませんよ」


 努めて明るく言ったアルトリウスだったがカールは敏感に“誤魔化し”の臭いを嗅ぎ取った。機嫌の悪い子供をあやすような上辺だけの上機嫌、おもねり……言うなれば“嘘”である。大人たちのそういう嘘に騙されると大抵後で失望することになる。部屋の外から出れず、外の世界へ強い憧憬を抱き続けたカールは、大人たちのそういう取りつくろいに浮かされ、その後失望させられる経験を多く積んでいた。

 カールは俯いたままプイッとそっぽを向く。


「シュバルツゼーブルグに動かせる兵なんてありません。

 シュバルツゼーブルグには難民がいっぱいいて、シュバルツゼーブルグ卿の兵は日ごろの治安維持だけで精一杯だって聞いてます。

 法律が許す上限の、五百人の兵を全部使ってるのに、それでも足らない……それでもシュバルツゼーブルグ卿は一生懸命頑張ってるって……去年から聞かされてます」


 口を尖らせてつぶやくように言ったカールの声には不信の色がにじんでいた。カールは大人に嘘をつかれるのが嫌いだった。何より、それに対抗できない自分の無力さが大嫌いだったのだ。それが嘘だと見抜けているのに、その嘘によって押し付けられる大人の都合を跳ねのける力がカールには無い。嘘だと分かっているのに、その嘘を最終的には受け入れねばならない自分……何と情けない事だろうか。


「そうではありませんよ」


 アルトリウスは拗ねたカールの見せる拒絶を前にしても諦めなかった。


サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの援軍が来ているのです」


「……サウマンディア?」


 カールが顔を上げ、アルトリウスを見る。そのキョトンとした顔にアルトリウスは手ごたえを感じた


「そうです。

 第一大隊コホルス・プリマだそうですよ」


「それはグナエウス砦ブルグス・グナエイに来ているカエソー伯爵公子閣下の部隊コホルスですか?」


 アルトリウスは微笑んだまま首を振る。


「いいえ、違います……あー、そっちも第一大隊コホルス・プリマから分遣された部隊マニプルスですが、それとは別です。

 援軍は軍団長レガトゥス・レギオニスアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウス閣下が自ら率いてアルビオンニウムに上陸しているそうです。

 盗賊どもはブルグトアドルフ周辺に潜んでいるらしいので、アロイスキュッテル閣下とアッピウスウァレリウス・カストゥス閣下で敵を挟み撃ちにできるでしょう」


 カールの顔に再び赤みを取り戻した。だが、不安が取り除けたかと言うとそうでもないらしい。一瞬、浮かびかけていた微笑みをカールはすぐに消し、慎重に考えこむような様子を見せる。


「まだ、不安ですか?」


 アルトリウスが尋ねるとカールは怪訝そうに首を傾げた。


「分からないことがあります」


「何でしょう?」


「サウマンディアは何でそこまで助けてくれるのですか?

 わざわざ軍団長閣下レガトゥス・レギオニス自ら兵を率いてアルビオンニアの盗賊を討伐する理由がわかりません」


 あー……アルトリウスの表情から笑みが消え、ルキウスと視線を交わす。どこまで話していいのか迷っているのだ。少なくとも『勇者団』ブレーブスについてまで話すのは早い。現時点ではムセイオンの聖貴族が盗賊を率いて暴れていたという事実は隠蔽する方向で動いている。大協約体制への信頼を根幹から促す様なスキャンダルだ。それを公表して世界を揺るがす様な大問題に発展させてしまうよりは、事実は隠蔽して一連の事件はあくまでも地元盗賊の仕業として片づけ、ムセイオンから見返りを引き出す方が良い。

 だがそれを次期属州領主ドミヌス・プロウィンキアエとはいえ幼いカールに教えるのは早すぎる。秘密保持の点でも問題があろうし、何よりもこれは見ようによっては領主による領民に対する裏切り行為だ。ブルグトアドルフで生じた死者は百人にも達するし、街道を守っていた警察消防隊ウィギレスも合わせれば犠牲者は二百人を超えてしまう。その犠牲者たちを見捨てて代わりに利益を得ようとしている……捉えようによってはそのような陰謀に見えなくもない。病気のせいで他人との接触を酷く制限され続けた結果、ひどく純粋な子に育ってしまっているカールがそうした汚い事実を目の当たりにし、何も気にしないでいられるとは思えなかった。

 逡巡の末、今度はルキウスが答えた。


「あー、実は今度の盗賊団にメルクリウス団が関わっているという情報がありましてね」


「メルクリウス団!?」


 カールは驚き、跳ねるように身体を伸びあがらせる。


「新たに降臨を起こすために盗賊団を利用したと……そういう噂があるようなのです」


 驚愕の表情でルキウスを凝視していたカールは見開いた赤い瞳をリュウイチに向ける。


「まさか、リュウイチ様に関係が?」


 これにはリュウイチが逆に驚き、慌てて首を振る。


『いや、私は関係ないよ』


「リュウイチ様の降臨とは別に、降臨を引き起こそうとしていたようなのです」


 リュウイチの弁明を引き継ぐ形でルキウスが言い添えた。今度はそれを打ち消すようにアルトリウスが「ああっ!」と声を上げ、割り込んだ。


「まだそれも確認されたわけではありません。

 まだ噂程度の話でしてね」


 三人の大人たちが、というよりルキウスとアルトリウスが食い違う話をしそうになっていることに気づいたカールは眉を寄せる。ルキウスは自分が失言したことに気づき、茶碗ポクルムを手に取って口元へ持っていき、舌を湿らせる素振そぶりを見せながらアルトリウスに場を譲った。

 盗賊団の背後に『勇者団』が居ることは事実だし、『勇者団』にメルクリウス団の疑いがかけられているのも事実だ。だが『勇者団』の存在は秘されねばならなかったし、メルクリウス団が暗躍していたという話も否定されねばならない。何故ならエッケ島に逃げ込み立てこもっているハン支援軍アウクシリア・ハンが自分たちの叛乱事件をメルクリウス団のせいにして自らの正当化を図っているからだ。盗賊団の背後にメルクリウス団が存在している……そんなことを認めてしまえば、ハン族たちはそれを利用しようとするに違いない。彼らの主張に正当性を与えかねない発言は、どのレベルであろうと控えねばならなかったのだ。

 アルトリウスはルキウスの目配せで話を任されたことを理解すると、説明を続ける。


「盗賊団を率いていた首領がどうも不思議な力を使っていたと捕虜たちの証言があったのです」


「不思議な力……」


「ええ、常人では考えられない戦闘力で盗賊たちを圧倒し、盗賊たちはその首領に従わざるを得なかったと……で、そこからメルクリウスか、メルクリウス団が関わっているのではないかと邪推する者が出ましてね。

 仮にメルクリウスと関りがあるとすれば伯爵家が捕えねばなりませんから、サウマンディアから捜査のために部隊コホルスが派遣されることになったのです」


「それは、メルクリウス団じゃないのですか?」


 アルトリウスは自分の茶碗を手に取り、首を振った。


「それを確認するためにアッピウス閣下が来られたのです。

 おそらく、南蛮あたりから流れて来た魔導具マジック・アイテムの使い手ではないかという予想が主流ですけどね」


 そう言うとアルトリウスは手にした茶碗を口元へ運び、香茶を飲んだ。

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