第1330話 貴婦人のたくらみ

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 エルネスティーネたちは朝食を終えた後も食堂に留まり、食後のカフェをたのしんでいた。この後はお色直しをしてティトゥス教会からこちらへ向かっている筈のマティアス司祭を迎え、日曜礼拝に臨む予定となっている。リュキスカはキリスト教徒ではないので、お色直しの後はそのまま要塞司令部プリンキピアへ移動してリュウイチと共に週に一度の報告会……その前に今朝、オトからリュウイチから話があるとのことだったので要塞司令部へ行く前に一度リュウイチと会わねばなるまい。しかし、彼女たちは食堂から出るわけにはいかない。出てはいけないというわけではないが、彼女たちが食事をしている時間は外では使用人たちが掃除などで忙しく働いている時間でもあるのだ。それが終わって迎えが来るまで、貴族たちはカフェを楽しみながら時間を潰すのが習わしである。

 ただ、自分自身が貴族に仕える使用人たちよりもずっと下層の貧民パウペルだったリュキスカからすると、外で掃除をしているからとかいう理由で食堂に留まらねばならないのはイマイチ納得できない。聖女サクラとなった今でも貴婦人パトリキアよりは使用人たちの方にシンパシーを感じる彼女にとって、掃除をしているから何なの?というのが正直なところだ。


 そりゃ邪魔しちゃったら悪いとは思うけどさ。

 別に掃除してもらってありがたいとは思っても、邪魔だとか思うわけないじゃないさ!

 むしろ自分の部屋くらい自分で掃除したいくらいなんだけど……


 そうは言ってもどうやらリュキスカの掃除の仕方はルクレティアから借りている侍女たちからすると認められるような出来ではないらしく、「いけません!」「これでは赤ちゃんの健康に障ります」などと叱られる始末。最初は余計な御世話だと突っぱねようかとも思ったが、オトが困ったように頭を掻いていたので仕方なく侍女たちに任せるようにしていた。実際、彼女たちの清掃は徹底しており、塵一つ残らないほどだった。


 はぇ~、貴族様の御屋敷ドムスが綺麗なのはこんなに掃除するからなんだねぇ……

 貧乏人パウペル身形みなりが汚いのも当然だわ……


 リュキスカは『満月亭』ポピーナ・ルーナ・プレーナの娼婦たちが暮らす集合住宅インスラを思い出し、自分たちがやってた掃除だの洗濯だのがどれだけ中途半端なものだったのかを痛感したものだ。

 掃除や洗濯を仕事として時間を確保してやる人間に任せるのと、仕事は仕事として別にこなさねばならない人間の家事とではどうしたところで差は生じる。費やせる労力が違うのだから当然だ。だからといって自分が時間を確保できたとしても、掃除や洗濯を仕事としてやってる連中と同じ水準で出来るようになるかと言うと自信はない。結局リュキスカも、納得がいかなくても貴族という身分と生活に少しずつ慣れて行かねばならないのだった。


 そんなわけでリュキスカも貴婦人たちの食後のカフェに付き合わざるを得ない。もっとも、途中からエルネスティーネとアンティスティアの話題がリュキスカから離れたので、居心地はそれほど悪いものではなくなってはいたのだが……


「それにしてもリュキスカ様、あんまり食べなかったけどホントに大丈夫?」


 思い出したように向けられた言葉は収まっていた居心地の悪さを呼び起こす。


「え!?」


「『えっ!?』じゃありませんわ。

 そりゃリュキスカ様はヒトだし、私みたいなホブゴブリンよりは寒さに強いんでしょうけど、それでも女は肥えてた方がよろしいんじゃなくて?」


 アンティスティアの表情に演技らしい様子はなく、本気でリュキスカのことを心配していそうだ。実際、この世界ヴァーチャリアでは一般に太っている女の方が魅力的とされている。肥満は豊かさと包容力の象徴……そしてアンティスティアらホブゴブリンはヒトより背は低いが筋肉量が多く、特別鍛えているわけでもない男の二の腕がヒトの太腿くらい太かったりするのだから、アンティスティアの目からは中肉中背のヒトでも細く見えてしまう。アンティスティアからすれば少しポチャっとしている程度のエルネスティーネだって痩せているように見えるのだから、ダンサーとして身体を鍛えてヒトの女にしては筋肉がしっかりついているとはいえ贅肉の少ないリュキスカは健康を心配したくなるほど細く見えてしまうのだ。まあ、昨日見たグルギアとかいう女奴隷と比べればリュキスカも随分マシな部類ではあるのだが……


「そうねぇ、あれでは今より痩せてしまいそうで心配だわ。

 まだ息子さんだって乳離れしてないのに、お乳の出が悪くなっちゃうんじゃないの?」


 アンティスティアに続いてエルネスティーネも心配そうに話しかけてくる。リュキスカとしては余計な御世話ぐらいの話だったが、さすがに貴婦人相手に安易に突っぱねるわけにも無視するわけにもいかない。


「いえ、大丈夫ですよ。

 アタイにはこれくらいで十分なくらいで……」


「ウソおっしゃいな。

 ディートリンデ様ほどもお召し上がりになっておられないじゃない?!」


 ディートリンデはエルネスティーネの長女で十歳の少女だ。女の子は成長が早いとはいえ、十歳ではまだ大人ほど健啖けんたんではない。にもかかわらずリュキスカはアンティスティアが言うようにディートリンデが先ほど食べた量と比べ、大差ない程度にしか食べてない。


「やっぱり体調が悪いの?

 だとしたら無理強いは出来ないけど……」


 リュキスカがアンティスティアに反論する前にエルネスティーネがすかさず口を挟む。正直言うとリュキスカは実はまだ身体の具合が……と逃げるつもりだったのだが、エルネスティーネに先回りされたことで逆に「いえ体調はホントにもう全然ッ!」と反射的に答えてしまい、自ら逃げ道を塞いでしまう。体調は悪くないと言質を取ったところでアンティスティアが食べ物を勧め始めた。


「やっぱり足らないでしょう?

 何か持ってこさせましょうか?

 豆やドライフルーツなら手間もかからないし、すぐに出てくるわよ」


 確かに豆やドライフルーツぐらいなら、主人が間食を求めた際にすぐに出せるように用意しているものだ。アンティスティアにしろエルネスティーネにしろ、どうしてもリュキスカにたくさん食べさせたいらしい。


「いえ、ホントに大丈夫だから!」


 リュキスカは弁明するがアンティスティアもエルネスティーネも諦める様子を見せず、リュキスカを疑うように見つめ返す。


「いやその、にいさ……リュウイチ様がお昼ブランディウムを結構がっつり召し上がるから、その、アタイも隣に座ってて何も食べないわけにはいかないし?」


 リュキスカの説明にアンティスティアは身を乗り出し、リュキスカを挟んで反対側に居るエルネスティーネに尋ねた。


エルネスティーネ侯爵夫人本当なの?

 確かにルキウスうちの人からリュウイチ様がお昼ブランディウムをお召し上がりになるって聞いてるけど……」


 なんでソッチに訊くのよ……などと内心で思いつつ、リュキスカはエルネスティーネが返事する前に答える。


「ホントですよ!

 この間なんてこれっ位のピザを二枚もペロッて……」


 そう言いながらリュキスカは両手で自分の頭の倍ほどありそうなピザを描いて見せる。それは標準的な四つ切パンパニス・クァドラトゥスと同じ大きさであり、同じ大きさの四つ切パンなら一人前どころか大人数人が分け合って食べるくらいのボリュームがある。もっとも、四つ切パンがもっとも厚い部分で二~三インチ(約五~八センチ)ほどの厚さがあるのに比べ、リュウイチが食べるピザは薄いので実際のボリュームは全く違うのだが、しかしそれでも昼食をオヤツぐらいの感覚で軽く摂る程度のレーマ人からすれば常識はずれな量だ。アンティスティアも驚き、おもわず「まぁ」と小さく悲鳴を上げながら開けた口を手で覆い隠す。


「だからアタイも朝食イエンタークルムでお腹いっぱいになるわけにはいかなくって……

 じゃないとホラ、リュウイチ様のお昼ブランディウムに付き合えなくなっちゃうから?」


 何とか二人を納得させられそうな気配にリュキスカはホッとしながら、ダメ押しの説明をする。そしてアンティスティアは実際にそれで納得してくれたようだった。


「なるほど、お昼ブランディウムでそんなに食べるんじゃ、イェンタークルムで食べなくっても痩せそうにないわね」


 アンティスティアはそう言いながら興味深げに頷いたが、反対側からはエルネスティーネがなおも用心深く尋ねてくる。


「じゃあお乳の出の方も、心配いらないのかしら?」


 まだエルネスティーネが諦めてなかったらしいことに驚いたリュキスカは飛び跳ねるように振り返った。


「もちろんですよ!

 アタイほら、オッパイだってこんなだし?」


 両手で持ち上げて見せたリュキスカの乳房は確かに痩せた身体には不釣り合いなほど大きい。その大きさには前から気づいてはいたが、しかし改めて目の前に突き出されると女同士でさえ驚きを禁じ得なかった。


「アナタそれ、ホントに?」


 レーマ帝国でも胸を大きく見せるために詰め物をする女性は少なくない。リュキスカは男の目を誘わねばならない娼婦だし、てっきりある程度は詰め物で大きく見せているんだろうと無意識に思っていたのだが、揺れ具合からするとそうでもなさそうだ。


「いやぁ、前はそんなでも無かったんだけど、何か子供出来たら大きくなっちゃって……」


「それだって、普通子供産んだら縮み始めるでしょ!?

 もうすぐ一歳よね!?」


「いや、アタイもそう思ってたんだけど、何でか縮まんなくって……

 アタイだって困ってんですよ?

 大きすぎて邪魔だし、重いし、肩凝るし、オッパイ溜まると張って痛いし?」


 リュキスカが苦笑いを浮かべながら答えるとエルネスティーネとアンティスティアはリュキスカ越しに互いに見合った。


「じゃ、じゃあお乳の出は大丈夫なの?」


「え!?

 ええ、もうフェリキシムスももう乳離れしなきゃいけないんだけど、お乳の出コッチの方は全然……」


 エルネスティーネとアンティスティアの視線に何か異変を感じたリュキスカは急に不安に襲われた。


「……な、何です御二人して?」


 リュキスカを挟んで二人の貴婦人は無言のまま頷くと、エルネスティーネがリュキスカに呼びかけた。


「リュキスカ様」


「はい!?」


「そんなアナタを見込んで一つお願いがあるのだけど……」

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