第74話 被弾

統一歴九十九年四月十日、午後 - ナグルファル号船上/アルトリウシア湾



 アルトリウシア湾は東をアルトリウシア、北をアーレ半島、南をセヴェリ川ほか西山地ヴェストリヒバーグから流れる川によって流出した土砂や火山灰が堆積たいせきしてできたとみられる広大なアルトリウシア平野によって囲われている。

 湾の西側は地図上ではエッケ島が存在するのみだが、エッケ島とアルトリウシア平野の間には堆積した土砂による浅瀬がつながっており、喫水きっすいの浅いロングシップと言えども通過できないとされている。

 船で湾内に出入りするにはエッケ島北側の、幅一マイル半(約二・八キロ)に満たないトゥーレ水道を通るしかない。


 エッケ島とアルトリウシア平野の間の浅瀬は干潮時であっても地続きになるわけでは無いのでタイダル・アイランドというわけではないのだが、潮が引いてる間ならエッケ島まで歩いて渡ることが出来ると一部では言われている。ただし、途中で波にさらわれる危険性が高く、過去に試して成功した者は一人もいない。

 干潮時に陸地になる部分は昔に比べると少しずつ増えているらしいので、いずれエッケ島は陸繋島りくけいとうになるのではないかという説もある。


 このような地勢ちせいであるため、アルトリウシア湾の海面を覆う波もトゥーレ水道近辺を除けば風によって湾内で生まれたものが大部分であり、外洋に比べいちじるしく穏やかでほとんど湖のようだ。


 広く穏やかな海面を覆う細波さざなみはしかし一様ではない。

 風の吹き方に偏りがあるというのもあるが、浅いアルトリウシア湾では波は海底の地形の影響も大きく受けるからだ。


 風に押された海水は流れ、流れの遅い海水にぶつかって乗り上げ、波を形作る。

 海底が盛り上がってそこだけ浅くなっていると、その浅瀬によって海水の流れが阻害されるため、その浅瀬より風下側には他より波の穏やかなスポットができる。


 アルトリウシア湾の海底は川から流れ込んだ火山灰が広く堆積しており、そういう波に影響するような浅瀬があちらこちらに点在していた。もちろん、そこを船で通過することは出来ない。

 アルトリウシア湾の船乗りにとっては船が座礁ざしょうしないよう、波から海底の地形を読み取り浅瀬を見つけだすのは必須の技術である。



 サムエルはそうしたそこだけ他よりやけに波の穏やかなスポットが『バランベル』号の手前やや右手(『バランベル』から見て左手)にあるのを見つけていた。


 こちらナグルファルから攻撃はできないが、『バランベル』号の脚は止めたいサムエルはそれを利用する事にした。


 『ナグルファル』号自身をおとりにし、一旦右へ進路をとって『バランベル』号をその浅瀬へと誘導した。『バランベル』の進路と彼我の位置関係の調整のため、『ナグルファル』の進路を右へ左へと変え、微調整を繰り返した。


 そして絶好のタイミングで『ナグルファル』号は『バランベル』号の鼻先を掠め、そこにあるであろう浅瀬のすぐ手前をすり抜ける。


 ド素人のハン族はおろかにも浅瀬に気付かず、『ナグルファル』に体当たり攻撃を仕掛けるつもりで突っ込み、見事に浅瀬へと乗り上げたのだった。


 サムエルと、潮目しおめからサムエルが何を狙っているかに気付いていた船員ブッカたちは『バランベル』が急停止した瞬間、成功を確信し歓声を上げて喜んだ。



 『バランベル』号の舷側げんそくから旋回砲せんかいほうが相次いで火を噴いたのはその直後のことだった。



 四時乃至ないし五時の方角から降り注いだ六発の砲弾のうち三発は外れ、勝手に海面に着弾ちゃくだんして小さな水柱を立てた。


 一発は舷側に並べたスクトゥムの効果で急減速して海へ落ちた。


 このレーマ軍の盾はこの世界ヴァーチャリアで量産に成功した数少ない実用魔道具マジック・アイテムの一つである。

 上から革を被せるように貼られているため外からは見えないが、盾中央の持ち手を守る半球形の部分を中心にエッチング加工で魔法陣が張り付けられており、誰かが持ち手を握っている時に正面から矢玉が接近してくると自動的に持ち手を介して装備者から魔力を吸収し、接近してくる矢玉を減速させる効果がある。

 実験では十二リブラ砲(約三・九キロの砲弾を撃ち出す)の弾を一人の兵士で防ぐことができた・・・という噂があるが真偽のほどは確かではない。

 しかし、並べる事で隣接する盾が相乗効果を発揮でき、戦列の一番前に並べる事で敵からの銃砲撃をかなり防ぐことが出来る優れ物だった。


 この盾のおかげで、他国は戦列歩兵戦術せんれつほへいせんじゅつを採るにあたって膨大な死傷者を出すか、火力が分散してしまうのをある程度諦めて歩兵同士の間隔を広げるかしなければならないのに対し、レーマ軍は歩兵に密集隊形みっしゅうたいけいをとらせて火力密度かりょくみつどを高めながらも損害を最少限に抑える事ができていた。

 製造方法は最高機密扱いである。



 ともあれ、問題だったのは『バランベル』号の船首楼せんしゅろうの旋回砲から放たれ、五時方向から『ナグルファル』へ襲いかかった二発だった。どちらも舷側に並べた盾の効果範囲外からの必中コースだった。


 一発はテントに命中し内部に飛び込んだ。


 もう一発は船尾楼せんびろうにいたヘルマンニの右肩と右胸の間ぐらいに命中した。

 直径二インチ(約五センチ)弱の砲弾はヘルマンニの右の鎖骨と第二肋骨を砕き、肩甲骨を叩き割り、割れた肩甲骨を裏側から押し出しながら背中を突き破って飛び出した。

 ヘルマンニはその衝撃で船尾楼から後甲板こうかんぱんへと転落しながら、胸にぶら下げていた御自慢の角杯リュトン太陽の石サン・ストーンと、そして半分ちぎれかかった自分の右腕とが、明灰色の雲が広がる空を背景に目の前でクルクルと勝手に踊る様を見ていた。

 甲板デッキに叩きつけられた衝撃は不思議と感じなかった。



 ロングシップの後甲板に建てられたテントはかなり頑丈な造りをしている。

 一般家庭の家屋に使われるものよりもがっしりした木材で組まれた垂木たるきに、一般家庭で使われるのと同じくらいしっかりした棟木むなぎが乗せられ、更にそれをしっかりした造りの母屋 もや小屋束こやづかが支えている。その立派な木組みに分厚く丈夫な帆布はんぷが被せてある。

 まあ、要するにマーキーテントの三角屋根の部分みたいな構造をとてつもなく頑丈にしたバージョンとでも見ればいいだろう。

 最高速に挑戦した際の台風並みの暴風にもびくともしなかっただけはある。


 布が分厚すぎるため昼間でも意外と暗いが、外の音はテントと言う割には入ってこない。結構静かで居心地が良い。

 そのテントの中ではルクレティアとヴァナディーズが顔を青くしていた。船に酔ってしまった・・・というのも少しはあるが、それが全てでもない。


 彼女たちはクィントゥスから状況を教えてもらえていなかったが、テントの外で軍団兵レギオナリウスが盛んに歩き回る軍靴カリガの足音と、さっきから頻繁に進路を変えるナグルファルの様子から外でただならぬことが起きているらしいという程度の事は理解していた。

 そして最初の砲撃には気づいていない二人だったが、二回目の砲撃の砲声はテントの中にいる彼女たちの耳にも聞こえていた。


 もしかしたら、外でいくさが起こっている!?


 さすがに気付かない方がおかしい。

 だが、目の前のリュウイチは平静なまま二人の顔を見つめている。


 そこで彼女たちはリュウイチが外で戦闘が起こっている事に気付いていないと思い、このまま気づかれないようにするために必死の努力を重ねていた。

 今日の御夕食はどうしましょうねとか、御所望ごしょもうの料理はございますかとか、喉は乾きませんかとか、とにかく当たりさわりの無い事を生返事しか返さないリュウイチ相手に一生懸命話しかけていた。


 しかし、彼女たちのその努力は最悪の形で水泡に帰した。


 突然、外から歓声かんせいが聞こえたと思ったら右後方で大砲の音が聞こえ、一発の砲弾がテントの中に飛び込んできたのである。


 最初、何が起こったのかさっぱりわからなかった。

 気付いたら目の前にいるリュウイチの頭に直径二インチに満たないくらいの鉛玉がめり込んでいた。

 いや、厳密に言うとリュウイチの頭が鉛玉にめり込んでいたというべきか?


 テントへ飛び込んできた砲弾はよりにもよってリュウイチの頭に直撃した。

 レベル半分以下の敵からの攻撃を無効化するパッシブスキルによりリュウイチのダメージはゼロだったが、命中した砲弾の方はリュウイチの頭に衝突した事で変形し、潰れ、広がり、吸盤のように貼り付いていた。



「あ、ああ、あああああ・・・・」


 ルクレティアはもうどう言いつくろっても誤魔化しきれない事には気づきつつそれでも何とか誤魔化せないかと、その小さな頭の中で無駄なあがきをしていた。

 しかし、彼女が無駄なあがきをしている間にも外から何か重たいものが甲板に落ちる音に続いて水兵ブッカと軍団兵の悲鳴が飛び込んでくる。



大将ぉぉぉーヘルマンニ!!」

大将ヘルマンニがやられたぁ!!」

「ルクレティア様をお呼びしろ!」

「いや、治癒魔法でもこれは無理だ。

 それより若大将サムエル呼んで来い。」

「魔法で治んなくても若大将サムエル来るまで保たせられるだろ?!」

提督プラエフェクトゥスがやられた!

 隊長クィントゥスに報告しろ!!」

大将ヘルマンニ、しっかり!!」


 もう台無しだった。ルクレティアは目の前が暗くなるのを・・・いやそれどころではない。

 少なくとも外ではヘルマンニが重傷を負ったらしいことは明らかだ。ならば、治癒魔法を使える神官である自分ルクレティアの出番。


 ルクレティアが意を決して立ち上がるのとリュウイチが立ち上がるのは同時だったように思う。リュウイチの頭に張り付いていた砲弾がボトリと床に落ちる。


「あ、リュウイチ様は・・・」


 このままお待ちくださいと言おうとしたルクレティアを無視するようにリュウイチはサッと外へ出てしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る